写真:岡 泰行

福井城の歴史と見どころ

福井県は2024年から2030年に福井城の坤櫓と西側土塀の復元に向けた資料調査など準備に着手、2030年〜2040年に向けて巽櫓の復元の検討を行う(中日新聞2022年5月2日)。

郷土歴史博物館に、当時の福井城の模型や絵図などがあるそうな。

舎人門(とねりもん)

福井城・舎人門昭和27年(1952)、足羽山にあった福井市立郷土歴史博物館が現在の地に移転。同エリアに外堀や庭園の遺構、福井城の舎人門(とねりもん)が復元されている。高さ約6m、幅約10m、瓦は越前赤瓦を使用しているらしい。

町中に残る遺構

(詳しい場所は上記Googleマップ参照)

  • 同市内にある「瑞源寺」に旧本丸御殿が移築されている。
  • JR福井駅から福井城までの道路上に、百間堀の当時の位置を示すラインが笏谷石で2本示されている(写真はそのうち1本)。百間堀の幅が実感できる。
  • 福井市役所前には二の丸石垣の刻印石を並べた多数の石材が屋外展示されている。
  • 福井城内内堀公園の向かいに、百間堀の石垣が屋外展示されている。
  • 北ノ庄城で、福井城の舟山門礎石やその虎口跡が見られる。
  • 百間堀の当時の位置を示すライン

    百間堀の当時の位置を示すライン

    道路上に笏谷石で示されている。

  • 福井市役所前の二の丸石垣の刻印石

    二の丸石垣の刻印石

    福井市役所前に二の丸石垣の刻印石が屋外展示されている。

  • 福井城内内堀公園の向かいの百間堀の石垣

    百間堀の石垣

    福井城内内堀公園の向かいに百間堀の石垣が移築されている。

福井城の撮影方法

天守台はその入り口が南向き、養浩館庭園は西向き、復元された山里口御門は西向き、舎人門は北向き。

福井城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る福井城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

福井城の関連史跡

養浩館(ようこうかん)

養浩館博物館の隣にある福井藩主松平家の別邸「養浩館(ようこうかん)」も時間があれば訪れたい。復元された藩主別邸だが、風呂や藩主の座った部屋など、当時の姿が蘇っている。

最も近い北ノ庄城を忘れずに

北ノ庄城北ノ庄城跡では、下層に北ノ庄城の遺構、上層に福井城の遺構(舟山門礎石やその虎口跡)が見られる。簡単な見方を解説すると、石垣は福井城のもの、石列は北ノ庄城のものといった具合だ。そのほかの城では、丸岡城一乗谷朝倉氏遺跡と近郊に有名城が多い。福井をベースキャンプにすると良いぞ。

福井城のおすすめ旅グルメ

「天たつ」の越前うに日本三大珍味「天たつ」の越前ウニ。江戸時代、軍用の保存食として各藩への贈り物に使われていた。天たつは旧越前福井藩、松平家の御用商として越前雲丹を一手にとりまとめていた歴史があり、現在は11代目。100個以上のバフンウニからたった100gの汐雲丹ができるという希少な高級珍味で濃厚なウニの旨みが特長だ。

「天たつ」の紙袋は福井城の縄張図また、商品を入れる紙袋には、百間堀を含む福井城の縄張図「福井城御図」が使われているのがなんとも良い。福井城は、現地で当時の姿が分かる縄張図的な案内看板は少なく、ここに来て当時が香るものに出会えた感じがした。「天たつ」本店は福井市順化2丁目にあり、JR福井駅にも店舗がある。

 

または、「へしこ鯖(鯖のぬか漬)」や「へしこ粥」など。「へしこ」とは、魚の身や卵巣をぬか漬けにしたもの。江戸時代が起源で広く各地で生産されてたが、現在はここ北陸のみに伝わる珍味だそうな。

福井城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

JR福井駅から徒歩3分、お堀ばたにある「ホテルニューユアーズ」がリーズナブルでおすすめ。

福井城のアクセス・所在地

所在地

住所:福井県福井市大手3丁目 [MAP] 県別一覧[福井県]

電話:0776-20-5111(福井市役所)

鉄道利用

JR北陸本線、福井駅下車、徒歩5分。

マイカー利用

北陸自動車道福井ICから福井市中心部へ車で15分、福井県庁を目指す。JR福井駅周辺に有料駐車場有り。

城ファンの気になるところ (12)

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    残っているのは本丸だけで、中には県庁がある。城内に現存建造物はないが、旧本丸御殿の小座敷・御座之間が、市内瑞源寺に移築され、本堂・書院に使用されているので、ぜひ行くべし。

    ( 中川桂)

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    結城秀康は、慶長6年(1601)より城の改修を始め、北陸の諸大名にも築城御手伝が命じられた。天下普請の城で石垣には刻印が見られる。なお、福井市役所前の生け垣背後の石墨は二の丸から出土した刻印された石垣を集め使用している。

    ( 半兵衛)

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    銅像チェック!福井城の南側にある堀端のちょっとしたスペースは内堀公園と呼ばれ、福井藩の財政改革で活躍した福由利公正、横井小楠の彫像がある。また城内には、結城秀康の石像があるがこれはやや漫画チックな印象を受ける。その他、福井神社には松平春嶽の像、福井城の前にある中央公園には由利公正の像がある。

    ( 半兵衛)

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    柴田勝家が築いた北の庄城を取り囲む形で拡充した福井城。68万石の規模。家康の縄張りで改築したらしく、名前も北ノ庄は「北」が敗北に通じることから松平忠昌が「福井」と改称したらしい。幕末の松平春嶽でも有名。

    ( 半兵衛)

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    天守台のそばに福井の名の発祥「福の井」がある。井戸の北側は、福井地震で崩れた石垣が崩れたままの状態で保存されている。

    ( shirofan)

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    福井県庁建設の際に、一部の発掘調査が行われたらしいが、天守台下で検出された井戸は、天守脇に現在も残る井戸「福の井」に向かって切石で組んだ人ひとりが通れる穴が空けられていたらしい。その井戸跡は確認することができなかった。

    ( shirofan)

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    「笏谷石」は、凝灰岩のことで加工がしやすい石。このあたりでは、福井市にある足羽山(あすわやま)笏谷の石切場が有名なため「笏谷石」と呼ばれている。狭間石、棟石、屋根瓦、石垣、階段、井戸枠、敷石、鉢、石仏など多様に用いられており、福井城では石垣をはじめ、天守・櫓等の建物で多く使用されていたらしい。天守台石垣は笏谷石を方形の切石とし切り込みハギによる布積みで使用している。

    ( shirofan)

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    福井城は石垣の内側を、東側では土塁を用い、西側では石段としているが、この石段と壁の接点になる部分にある縦に通すかたちの石の土台(塀と石垣の接合部)が残る。当時の御所院のしきり塀を固定するためのものだろう。

    ( shirofan)

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    すぐ近くの柴田神社(北ノ庄城跡)にも訪れてみよう。福井城の舟山門礎石やその虎口跡、百間堀の発掘された石垣などを見ることができる。

    ( shirofan)

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    2015年10月現在、山里口御門を復元中。完成は平成28年の予定。御門が完成すれば、御廊下橋〜御門が一体となり、往時の姿の再現となる。
    ※現在は石垣の分解調査中。堀の一部も水抜きされている。

    ( 元福井県民)

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    2017年春の山里口御門復元を目指し、御廊下橋付近の石垣の積み直しが行われていたが、これが2016年5月完了した。櫓門を築く土台になる石垣のゆがみを直すのが目的。ちなみに福井城の石は、地元の足羽山で採掘されていた「笏谷石(しゃくだにいし)」を使っているが、破損した箇所には兵庫県の竜山石をはめ込んだらしい。

    ( 城好きの匿名希望)

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    福井城の山里口御門の建設工事期間は、平成29年10月31日(予定)と半年間、延長された模様。その後、山里口御門が完成し、2007年11月25日(土)に完成した櫓の内部を公開。詳しくは参考URLで。
    http://www.pref.fukui.jp/doc/sokou/kennto/yamazato.html

    ( shirofan)

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