金沢城

住所:石川県金沢市丸の内1-1 / 石川県 / 城ファンチェック: 18

写真:岡 泰行

開城時間開城時間

AM7:00~PM6:00(10月16日~2月末日はAM8:00~PM4:30)、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓はAM9:00~PM4:30まで。入園無料(菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は共通300円)。

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

JR北陸本線、金沢駅下車、北鉄10分「兼六園下」降車、徒歩3分。

マイカー利用

北陸自動車、道金沢東ICから国道159号線を金沢市街方面。有料駐車場(554台)有り。

文献資料文献資料

今では手に入りにくいが、[現代によみがえる幻の城郭「金沢城」CD-ROM] を探してみて!株式会社 橋本確文堂より1999年に1,000部限定で発売されたCD-ROM。金沢城城郭を3Dで再現し、その中を歩くことができます。内藤 昌氏監修。CD-ROM内では天守も復元され、ありし日の金沢城を見、そしてQTVRで体験することができます。
Web版も公開されています。→[再現金沢城]
[shirofan (2004.10.01)]

石川県立歴史博物館にも城の資料があります。また、お隣の藩老本多蔵品館には、加賀藩の家老である本多家伝来の武具や調度品などの資料があります。この二館の他に県立美術館や伝統産業工芸館、近代文学館も入れて2日間有効のパスポートを購入するとお得です。
[西山忠博 (1998.12.29)]

今は石川県埋蔵文化財センターにあるそうです。また、どこかで「金沢城縄張図」と現代の一万分の一地図が重ねて印刷されている地図を売っているらしい。
[イッチー (1999.09.28)]

撮影アドバイス撮影アドバイス

石川門、菱櫓、三十間長屋はじめ、建築物は早朝の撮影が良い。春だと桜に囲まれた石川門がとてもいい感じ。ライトアップ撮影は、石川門は公園の外から撮影できるので問題ないが、菱櫓など、代表的な復元された建築物は公園内。金沢城は季節によって開園時間が異なる(上記)ので日没時間と合わせて要チェック。また、司令部と切手門は北向き、野田山の利家墓所は東向き。

近郊グルメ近郊グルメ

「リカーランド・ヒラタ」酒店。金沢市森山一丁目。「北陸づくし」というキリンの地域限定ビールはスーパードライ愛飲家の私にもうまかった。

石川県の観光おすすめ石川県の観光おすすめ

野田山の利家墓所。または忍者寺と呼ばれる「妙立寺」(要予約)。または尾山神社に移築された二の丸御殿唐門、武家屋敷の通り界隈。一部の長屋門が公開されるのみで多くは土塀が見られるのみ。ちなみに土塀の下の石の段数で階級が分かるそうだ。同所にある足軽資料館もおすすめ。

忍者寺と呼ばれる「妙立寺」は木造7階4層。落とし穴や隠し部屋、隠し階段など多様な仕掛けがある。市街線を想定してその監視所、出城として機能するそうな。当時は3階以上の建物は禁止されていたのでそれを隠す外観。一説には江戸時代は博打場だったとか。北国新聞が昭和初期に学生が住んでいた妙立寺をその構造からとりあげ「忍者寺」の通称ができたらしい。なお、見学には予約が必要。詳しくはこちら→[妙立寺]
[shirofan (2004.10.04)]

金谷出丸跡の尾山神社。二の丸御殿唐門が移築されている。東向きのため早朝の撮影が望ましい。
[光秀 (2004.10.01)]

香林坊のバス停から西へ5分位歩いた長町という地域が有名な武家屋敷の通りです。ここを抜けて大野庄用水沿いに北上すると、旧加賀藩士の野村家の邸宅や、高田家の長屋門などが公開されています。私が特に興味深かったのは、高田家跡からさらに北へ数十メートルのところにある、金沢市足軽資料館ですね。加賀藩の足軽屋敷が当時の姿で移築保存されており、中も無料で見学できます。江戸時代の足軽の生活が偲ばれてなかなかおもしろいです。
[西山忠博 (1998.12.29)]

お城戦国グッズお城戦国グッズ

金沢城天守閣の焼き物3,000円くらい。兼六園前の売店にて。
[本多 (1998.11.05)]

城ファンチェック (18)

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    1998.02.09 城山神々 さんより

    石川門(大手門ではなく搦手)は現存する数少ない桝形の遺構(他に江戸・大阪・丸亀)であり、附随する菱櫓と櫓門に見られる銅板張の唐破風出窓(石落)、桝形内部で様式の異なる石垣、積石に見られる刻印、表門の部材に張った筋鉄などは注目に値する。

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    1998.02.09 城山神々 さんより

    建築遺構すべてに見られる瓦を張った海鼠壁や、単調な切石の布積に変化をつける赤と青の戸室石が乱積の石垣に交じり城跡の随所に見られる(石川門や橋爪門跡など)。二層の三十間櫓は南面の入母屋破風に対し北面は切妻破風になる点、石積も、南から北に移るにつれ切石の目地が粗くなる点が面白い。遺構は少ないものの、遺構それぞれに見るべきものが多く、城に関する知識が増えるにつれ気になる城跡である。

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    1998.04.24 デイヴ.N.藤林 さんより

    金沢城の隠し狭間は海鼠塀の部分にあって、もちろん外側からは見えません。石川門などで見ることができます。

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    1998.07.02 イッチー さんより

    金沢城跡から、全国初の火縄銃の鍛冶場跡が発見されたそうです。場所は、金沢城石川門の櫓の裏付近で、鉄砲用の金具類や、炉の跡などが発見されたそうです。加賀藩が幕末に、藩財政の立て直しのため火縄を洋式銃に改造する事を行なって、金沢城内にその工房があった事は史料で分かっていたため、その事実が確認されて非常に貴重だという事です。金沢城は最近発掘が進み、古い絵地図には載っていない、謎の石垣なども発見されたとか。

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    1998.07.03 辻本・イッチー さんより

    戌亥櫓に近い本丸石垣部で、石垣をくりぬいて赤煉瓦のトンネルがあったのがありますが、金沢城跡は終戦までは陸軍元陸軍第九師団が使っていて、あの煉瓦で囲まれた一画は、弾薬庫への通路でした。反対側にも同じようなトンネルがあったそうです。こちらはお城の遺構に掛かっていなかったので、早々に壊されたそうです。ちなみに第九師団の司令部庁舎と長官舎、陸軍クラブ「偕行社」の建物が残っています。

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    1998.07.03 辻本 さんより

    「百間堀」という堀の正式名称は「蓮池堀」といい、金沢城の全身、一向宗の金沢御坊の時代にこのあたりに、蓮池という池があったようです。信長の命で柴田勝家が加賀を攻め、天正8年(1580)4月に金沢御坊が陥落。そこに勝家の部下の佐久間盛政が入って、蓮池を深い堀に変えました。後に前田利長がさらに広げ、長さ150間、幅40間にもなって「百間堀」の名で呼ばれるようになりました。当初は空堀で1630年代?に辰巳用水ができて水をたたえるようになりましたが、明治43年(1910)に埋め立てられてしまいました。

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    1998.07.03 辻本 さんより

    兼六園の「ことじ灯籠」のある広い池「霞ヶ池」には「水落とし」という仕掛けがあり、いざというときには、この池の水を抜いて百間堀の水位を上げることができた、軍事的な意味あいを聞いたことがあります。

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    1998.10.01 シモヤン さんより

    金沢城石川門の内部は、殺風景で飾り毛が無く、一階から二階への階段は急ですが、内部は以外に広く感じられるそうです。また、櫓の解体修理時に発見された瓦、木材、壁の一部、金具などが陳列されているそうです。1998年の特別公開にて。

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    1999.09.28 Itchy さんより

    金沢城は世界遺産登録を目指しているのだ!

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    2002.06.08 光秀 さんより

    金沢城の瓦は、鉛が使用されている。臨戦時に鉄砲の弾として使うことを想定、または、屋根にかかる雪の重さを軽減するためとも言われている。なお、鉛の巴瓦にかぎり通常の梅鉢が使用されているが、これは複雑な家紋だと寒さに耐えられないからだそうだ。

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    2004.09.13 半兵衛 さんより

    石川門で全国的にも珍しいポイントが1つ。門内側の石垣には「ちぎり」と呼ばれる石と石をつなぐ穴太衆の技巧が見られる。石のずれを防止するためのもので、通常、鉛や銅を用いるらしいが、石川門では漆喰を流し込んでいるとか。白いためその場所が分かりやすい。城内では本丸鉄御門の石垣にも使われており、重要な箇所に用いられているそうだ。

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    2004.10.04 半兵衛 さんより

    五十間長屋の格子窓は、東側のみ1階と2階の窓に位置が互い違いになっている。狭間の無い五十間長屋はその格子窓で死角を無くす工夫がなされている。

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    2004.10.04 半兵衛 さんより

    復元された菱櫓は、正方形ではなく直角に対し10度傾いている菱形の櫓。石垣の土台に合わせたとも考えられるし、大手門と石川門両方を見渡すためともいわれている。菱形であることは内部に入るとよく分かる。柱1本単位で菱形に加工されている手間のかかりよう。金沢城では同様に現存の石川櫓で約4度、今は無いが東の丸の巽櫓も傾いて建てられていたそうな。なお、復元された菱櫓の柱には、縦に割われた隙間があるが、これは現代工法で「背割れ」といって乾燥等の役割があるそうな。

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    2004.10.04 半兵衛 さんより

    復元された菱櫓等は、総工費36億円。石垣も3,766個の石のうち、3,008個は元のまま使用し、積み直したそうだ。ちなみに金沢城の石は、戸室石といって城の東方にある戸室山がその産地。当時は前田家の許し無く戸室石を使うことはできなかったそうな。

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    2004.10.04 半兵衛 さんより

    この地には天文15年(1546)頃、本願寺の出先機関である御坊があったが、その名残は城内の8本の橋のうちのひとつ、極楽橋の名前に残る程度。佐久間盛政が「尾山城」という名で同地に城を築くが、この時にゆくゆく城内最大規模に拡張される蓮池堀ができたらしい。前田利家の頃は「金沢城」「尾山城」両方の呼び名が使われていたが、三代前田利常の頃に「金沢城」に統一されたようだ。

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    2004.10.04 半兵衛 さんより

    城を挟むように犀川、浅野川と2本の河川が天然の外堀を成している。なお、流れの速さの違いで、犀川は男川と言われ、浅野川は女川と言われているそうな。

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    2004.10.04 半兵衛 さんより

    平成10年に持ち上がった金沢城復元計画は3年の歳月を経て平成13年9月に菱櫓(3層3階)、五十間長屋(2層2階)、橋詰門続櫓(3層3階)、橋詰門、鶴の丸太鼓塀が復元された。石川門界隈、三十間長屋に続き是非見ておきたい。

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    2016.01.05 shirofan さんより

    2021年までに、金沢城の鼠多門と鼠多門橋を復元するとのこと。また、将来的に、鶴の丸休憩所から、菱櫓と五十間長屋などが見られる眺望ポイントができるらしい。

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