写真:岡 泰行

北ノ庄城の歴史と見どころ

北ノ庄城(きたのしょうじょう)は、平成5年から6次に渡って柴田神社の発掘調査が行われ2004年4月に、バリアフリーの城跡として、北ノ庄城跡と同じ場所にあった福井城の舟山門礎石やその虎口跡、百間堀石垣が復元保存する公園としてオープンした。これまで北ノ庄城といえば、柴田勝家の銅像とその横に建つ石碑のみという印象だったが、北ノ庄城の石垣の一部が保存され、すぐ横の資料館でも関連資料の展示を行っている。

北ノ庄城はバリアフリー化された公園となっており、福井城の遺構とともに屋外展示がなされている。また、柴田勝家とお市の銅像が建ち、すぐ西側に資料館を併設している。

北ノ庄城と笏谷石

近郊の福井城丸岡城では「笏谷石」を多彩に使用しているが、北ノ庄城ではどの部分で使用されていたか明らかではないらしい。天正8年(1580)に2回訪れたルイス・フロイスの記録では屋根が石で葺かれていたと報告されている。

北の庄城址資料館

北の庄城址資料館北の庄の公園内にある「北の庄城址資料館」の2階で、北ノ庄城の歴史や発掘調査のパネル展示がある。また2階のテラスに出ると公園内がよく見渡せる。そのほか、西光寺の「柴田勝家公資料館」。西光寺境内に柴田勝家とお市の墓や北ノ庄城の礎石、資料館に柴田勝家とお市の木像、天守の鬼瓦や勝家の書状などが展示されている。

北ノ庄城の撮影方法

北の庄城址・柴田公園は南向きだが、朝、夕は周囲のビルにより公園に影が落ちるので、雲天または真昼が向いている。勝家銅像は南向き、お市銅像は西向き。なお、北ノ庄城の石列遺構は深く掘り下げられたもののため、特に日の影響を受けないが光がよくまわる雲天が良い。

西光寺の柴田勝家公愛用の梅西光寺の柴田勝家公愛用の梅は、柴田勝家とお市の方の墓のそばにあり毎年3月下旬に開花する。この梅は柴田勝家が生前愛用したと伝わり、昭和20年(1945)7月の福井空襲で焼失したが、不思議にも後日、発芽したらしい。

北ノ庄城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る北ノ庄城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

北ノ庄城の関連史跡

西光寺は必ず訪れるべし

西光寺西光寺は足羽山のふもと近辺にあり北ノ庄城跡から徒歩約15分。一乗谷にあった西光寺を左内町に移転したもので、柴田勝家・お市の菩提寺だ。柴田勝家・お市の墓や、北ノ庄城の礎石、朝倉貞景公寄進の梵鐘、柴田勝家公資料館がある。柴田勝家公資料館には、勝家・お市の木像のほか、北ノ庄城天守の鬼瓦や勝家の遺品などが展示されている。境内は参拝自由、資料館は事前に電話予約(TEL:0776-36-1528)が必要だ(西光寺の場所は上記Googleマップを参照)。

 
  • 西光寺の柴田勝家・お市の墓

    柴田勝家とお市の墓

    丸岡城城主だった甥の柴田勝豊と勝家の一子、作次郎の墓が合祀されている。

  • 北ノ庄城の礎石(西光寺)

    北ノ庄城礎石

    明治7年に北ノ庄城の堀跡から出土。

  • 朝倉貞景公寄進の梵鐘・西光寺

    朝倉貞景公寄進の梵鐘

    朝倉家当主、朝倉貞景の寄進と伝わる梵鐘。永正3年(1506)の銘がある。

そのほか近郊の城

有名城では、福井城一乗谷朝倉氏遺跡丸岡城。少し足を伸ばして越前大野城も良い。

北ノ庄城のおすすめ旅グルメ

「天たつ」の越前うに日本三大珍味「天たつ」の越前ウニ。江戸時代、軍用の保存食として各藩への贈り物に使われていた。天たつは旧越前福井藩、松平家の御用商として越前雲丹を一手にとりまとめていた歴史があり、現在は11代目。100個以上のバフンウニからたった100gの汐雲丹ができるという希少な高級珍味で濃厚なウニの旨みが特長だ。

北ノ庄城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

JR福井駅前にビジネスホテルが数件あるぞ。

北ノ庄城のアクセス・所在地

所在地

住所:福井県福井市中央1丁目21?19 [MAP] 県別一覧[福井県]

電話:0776-20-5460(北の庄城址資料館)

開館時間

北の庄城址資料館は、9:00〜18:00。入館無料。公園内は散策自由。

アクセス

鉄道利用

JR北陸本線、福井駅下車、徒歩5分。

マイカー利用

北陸自動車道福井ICから国道158号・県道5号を約5分、柴田神社前に1台の駐車スペースあり。基本、付近のパーキングを利用すべし。

城ファンの気になるところ (4)

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    福井にある柴田勝家関連のスポットは、この柴田神社、墓のある西光寺、そして現九十九橋。九十九橋は、北陸道と足羽川が交わるところに架けられた橋。鎌倉時代からあるこの橋を、柴田勝家は半石半木とした。その後、何度も架け替えが行われたが、その半石半木をイメージしてこの公園に復元されている。欄干の一部は同時のものだそうな。

    ( 光秀)

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    ご存じ柴田勝家とお市最後の城。天正3年(1575)ごろ築城、足羽川と吉野川の合流地点に築かれたその城は柴田勝家自らの縄張りだったそうだ。天正11年(1583)賤ヶ岳の合戦後、お市とともに自刃し、落城した。現在の柴田神社のあたりが本丸と考えられているそうな。福井城がその上に築城されたため、今は大部分が謎とされている。

    ( shirofan)

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    北ノ庄城の石垣の一部、石列遺構は南北方向に並んだ30〜50cm大の笏谷石6個など。笏谷石はその特性から風化の恐れがあり、表面に薬を塗って保存してあるそうな。凝灰岩のことで加工がしやすい石。このあたりでは、福井市にある足羽山(あすわやま)笏谷の石切場が有名なため「笏谷石」と呼ばれている。

    ( shirofan)

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    北の庄城址・柴田公園内に銅像は5体ある。お市、三姉妹、柴田勝家。

    ( 桜)

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