富山城

住所:富山県富山市本丸1-62 / 富山県 / 城ファンチェック: 10

写真:岡 泰行

開城時間開城時間

富山市郷土博物館(復興天守閣)の開館は、午前9時〜17時、休館日は年末年始。城址公園内は24時間入ることができる。ライトアップは、日没から始まり21時からライトが部分的に消え始め、22時には消灯する。

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

JR北陸本線「富山駅」下車、徒歩10分。点在するステーションで返却できるレンタルサイクルが便利。

マイカー利用

北陸自動車道「富山IC」より富山市街方面へ車で15分。

文献資料文献資料

富山城ものがたり富山市郷土博物館内の展示がかなり良い。発掘の出土物展示から、これまでの富山城の歴史が一目瞭然。
書籍では富山市郷土博物館発行の『富山城ものがたり』が良い。神保長職の富山城築城から、越中の中世城館、謙信・信玄の争い、佐々成政と富山城、前田利長による近世の富山城などが紹介されている。博物館で販売されている。

撮影アドバイス撮影アドバイス

富山城全景復興天守は主に南向きなので、さほど撮影に苦労しない。また、城は高いところから見下ろすとその規模がよく分かるが、ここ富山城では隣接する「ANAクラウンプラザホテル富山」が良い。城を見下ろすには、6階〜15階までの城側ツインルームから、または、それより上階16階〜18階プレミアツインルームに泊まると良い。なお、日中でもフロントで許可をもらって上がれば、エレベーター横の窓から城址公園が見られる。最上階の19階にはBarがあり、こちらかも眺望が得られる。

宿泊宿泊

ANAクラウンプラザホテル富山「ANAクラウンプラザホテル富山」が城址公園に隣接している。城を見下ろすには、6階〜15階までの城側ツインルームから、または、それより上階16階〜18階プレミアツインルームに泊まると良い。

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上杉謙信ゆかりの地

上杉謙信は、隣国越後の武将。祖父、長尾能景(ながおよしかげ)、父、為景(ためかげ)とともに、越中に侵攻した。この伝承地が付近に残されている。(詳しい場所はGoogleマップ参照

長尾為景塚

長尾為景塚長尾為景は、天分14年4月、増山城攻めで討ち死にしたといわれ、その墓と伝わる塚が砺波市頼成新にある。小字名を長尾塚。また、為景の父、長尾能景は永正3年9月、一向一揆と越中守護代神保氏が対決した「芹谷合戦」で討死。為景塚の東方180mの永田家屋敷にある塚が、能景塚と伝えられている。

 
尻垂坂古戦場

尻垂坂古戦場上杉謙信は、元亀3年8月、上洛を妨げる越中の一向一揆と戦った。富山城と新庄城との間で攻防戦が展開され、ここ尻垂坂の戦いは激しいものとなった。両軍が激突したころから幾日も雨が降り続き、その流血によって、びや川が赤く染まったのだという。薄地蔵尊は、それを埋めた首塚に自然石の石塔を建てたものらしい。

 
そうけ塚

そうけ塚上杉謙信が天正6年、大村城を攻略する際に、城内外を望見するために村民に「一杯の土砂を持ち来る者には銭三文を与えん」と命じたところ、一夜のうちに丘が築かれたそうな。現在は直径約20m、高さ約5mの丘が残り、すぐ付近に大村城跡(瑞円寺)がある。

 

佐々成政ゆかりの地

佐々成政は、越中に約5年間在任し、ザラ峠越えなどが有名だが、そのほかゆかりの地が残っている。(詳しい場所はGoogleマップ参照

 
桜馬場跡・大手門外の石橋

桜馬場跡稲荷神社境内に、日本三大古木の一つ墨染桜の並木があったと伝わり、成政が家中の馬つなぎ場所と定めてから「桜馬場」と呼ばれた。また、近くの於保多神社には、富山城の大手門外の石橋の石材を用いた橋と、城内にあった時鐘が残されている。

 
佐々成政剃髪碑

佐々成政剃髪碑天正13年、富山城主佐々成政が、豊臣秀吉の先鋒、前田利家に敗れ、その際、成政がこの地で髪を剃り、服従の意志を示した。その後、成政は肥後に国替えされ、天正16年、秀吉の逆鱗に触れ、摂津で切腹を命じられている。石碑は秀吉が本陣を構えた白鳥城址から伸びる呉羽山兵陵にある。

 

そのほか

そのほか関連歴史スポットとして「長岡御廟」、建築遺構なら「富田兵部屋敷長屋門」「山田嘉膳屋敷門」が移築現存している。また、城で有名どころといえば、高岡城安田城をどうぞ。

城ファンチェック (10)

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    2011.11.27 城葱 さんより

    怪しい天守としても有名な、模擬天守。本来は天守は無く、天守を立てる予定だった天守台だけがあったとのこと。天守建築の申請を幕府にしていたが叶わずそのままになっていたとのこと。現在の天守は戦後の復興のシンボルとして立てられたもので、歴史
    的な価値よりも富山の文化的な価値が強い。復興天守建設ブームの先駆けとなったといわれている。

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    2011.11.27 城葱 さんより

    近年、城門の移築や天守台と思われる南東隅の石垣の発掘調査が行われ、城跡地下にある駐車場の入り口を石垣で囲う工事をおこなった。

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    2011.11.27 城葱 さんより

    現在、北陸新幹線開通を目処に周辺の整備を実施中。城址公園内を整備している。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    富山城復興天守は、犬山城や松本城がモデルだそうな。戦後復興天守の第一号だ。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    城内には、石垣の刻印石や、櫓の礎石、二階櫓門の礎石が屋外展示されている。富山城では刻印石が約90種、250個確認されているらしい。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    築城当時の富山城は、現在の城址公園の約6倍の大きさだったそうな。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    復興天守(富山市郷土博物館)の瓦が黒いのは、越中瀬戸の瓦焼で「瀬戸黒」という秘伝の薬を用いたのだとか。軒瓦の紋様は、江戸時代の城主だった富山前田家の家紋。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    富山城の本丸虎口には、6個の鏡石が使われている。中でも土橋から左手に配置されている巨石は、全長約3.6m、重量約6トン、面積は約5.8平方メートルと、ちょと大きい。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    本丸と二の丸が現在、城址公園になっている。その仕切りである堀は埋め立てられている。

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    2014.09.25 shirofan さんより

    城址公園内に富山藩第二代藩主・前田正甫銅像があるが、この人物は富山の薬売りで有名になった、前田正甫。参勤交代で江戸城に登城した折、他の大名の腹痛を「反魂丹」で治し、以来、諸国に行商させたのが、富山売薬の始まり。

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