- 山頂に近い曲輪は結構残ってますよ。でも金子曲輪や山下曲輪等は、ほとんど曲輪の形も分からないです。なんでも、八王子城落城後に住み着いた農民に城の裾は開発されてしまったらしいのです。ただ、そこに住み着いた農民も地元の人だったので、山頂付近は手を付けず、江戸の時代になっても氏照を想い近くにお寺を作ったり、山頂に社を置いたりして現在に至っているようです。
[ゆがみん (98.03.14)]
- 山下曲輪には東京造形大学が建っていたので破壊が著しいですが、登ってしばらく行くといきなり段曲輪があったり、金子曲輪の上に
は3連の物見台があったり、江戸時代に御禁制地として立ち入りが制限されただけあって、非常に遺構の残存状態がいいです。さらに本丸からの眺めはすばらしい。さらにさらに、詰めの城まで行けば大きな石塁が残っていたり、大堀切があったり、「昔の人はこんな所を鎧着て走りまわってたの?」と一層感心のことうけ合いです。でも、私には小田原の海は見えませんでした。また行ってみたくなりました。
[イッチー E-mail:ichinose@ba.mbn.or.jp (98.03.14)]
- 時期が悪いとクマンバチやマムシが恐いところですけど、確かに一度行くと病みつきになります。本城である山城とは違ったところに御主殿地区というところがありますが、あそこの石垣は発掘調査によって発掘された石垣をそのまま使って復元されているそうです。これも一見の価値あり(全部ではないです。冠木門や橋も、まったく根拠がないものだそうだし。でも、新しいものをできるだけ排除した姿勢は買いましょう)。
[イッチー E-mail:ichinose@ba.mbn.or.jp (98.03.14)]
- 八王子城は、城を建てた北条氏照の家臣が安土城へ信長に挨拶にいっており、その時の報告を基に安土城を意識して作られたという説があります。その安土城との共通点は以下の通り。
1.当時関東では、数少ない石垣の城
2.訪問者が圧倒されるような作り
大手道が当時としては、広く、長い、広い石畳の道(6m程度)が数十メートル続いている。大手門より上方に天主が見える縄張り。所詮関東の城、安土城といろんな面で比較に成らないが、両城跡を歩いてみると共通するものを感じるのは、私だけであろうか。
[ブースカ E-mail:shibata@pcm.hq.sandi.co.jp (98.03.16)]
- 昨今 圏央道という高速道路が、城山の中を抜ける計画があります、発掘調査も完全でない現在、関東の安土城の正体がますますわからなくなってしまいます。既に、中央高速道路建設の際、一部大手門付近が失われているというのに、悲しい事です。狭い日本そんなに急いでどこ行くの?
[ブースカ E-mail:shibata@pcm.hq.sandi.co.jp (98.03.16)]
- 八王子城は山城だったために非常に責めにくく、豊臣秀吉も北条氏への攻撃(すなわち、八王子城への侵攻)は非常に慎重になったということです。
[イッチー E-mail:ichinose@ba.mbn.or.jp (97.10.09)]
- まず、北条氏は本拠地が小田原で、氏照は北条氏康の次男にあたります。現在、同じ八王子市にあります滝山城の主に最初はなり、その後八王子城主になりました。周辺の武将との交流にたけていたため、秀吉にも恐れられていたということ
です。城跡からは、茶道や香道の道具も出土し、芸能にもたけていたようです。
小田原城攻めは天正18年(1590)で、この時小田原城が包囲されたため、氏照は主だった武将を連れて兄の氏政(4代当主)とその子氏直(5代当主)と共に小田原にいました。この隙を突かれてこの年の6月23日、城主を欠いたまま八王子城は1日にして落城したそうです。
[イッチー E-mail:ichinose@ba.mbn.or.jp (97.10.09)]
- 女子供まで駆り出されて徹底抗戦したが、むなしく落城し、立てこもっていた者たちは八王子城の麓にある「御主殿の滝」に身を投げたそうです。滝が血に染まった期間は、七日七晩だったかもしれません。この滝は現在もあり、供養塔が建っています。そして、私が行った時には、新しいお供え物が添えられていました。ちなみに、その滝は、そういう伝説をかかえているため、幽霊が出るということでも有名です。
[イッチー E-mail:ichinose@ba.mbn.or.jp (97.10.09)]
- 僕は八王子城址の近くに住んでいる者ですが、八王子城址のお話をさせていただきます。八王子城址は豊臣秀吉によって落とされたことはみなさんは知っているとおもいますが、その時にいた女子供などが多く圧倒的に兵力の差があり一日で落城しました。そして女子供は御守殿の滝に飛び込み死にました、城山川は三日三晩血に染まったといいます。今でも落城日の6月24日かな?(うろ覚えですみません)には必ず八王子城址には行っては行けないと伝えられています。橋などが復元されておりすばらしいです。八王子城址に向かう途中に北条氏照の墓がありますが、そこの近くに個人運営の資料館があります。そこもなかなかの場所です。
[益 (2006.3.6)]
- 八王子城の激戦は有名な話ですが、そのあたりは、縄文時代の遺跡、遺物も大変多いそうです。で、そのあたりを発掘調査した人によりますと、未だに骨や、刀の破片などが見つかるみたいですよ。
[太刀持ち E-mail:k_tozuka@nscomp.co.jp (98.02.22)]
- 資料:八王子城跡、手前に北条氏照の墓がありますが、そこに行く途中に個人の趣味でやっている、八王子城資料館があります(個人宅1室を使って展示入館料350円)。
展示内容は、城山で拾った、鉄砲の鉛玉、青銅玉、矢尻等他骨董品です。個人で行っているので、展示物には、限界があると思います。しかし、そこのおじいちゃんの八王子城について話は、城跡に住んでいないと聞けない話盛りだくさんで、楽しめます。私が行ったときは、コーヒーをだして貰いました。
[ブースカ E-mail:shibata@pcm.hq.sandi.co.jp (98.03.16)]
- 交通:[鉄道] JR中央線、京王高尾線、いずれも「高尾駅」下車、南口から、西東京バス「八王子城跡」行き、終点降車、徒歩約1時間。バスは午前6時台〜午後7時までで1時間に約1本。帰りの時間のチェックも忘れずに。
[半兵衛 (2000.08.25)]
- 歴史スポット:かなり分かり難いところにあるんですよ。氏照さんのお墓って……。八王子城を下りて、旧造形大学の前の道をずっと駅の方に向かって下って行く途中の左側にちっちゃく看板が出てます「北条氏照公墓所入口」。その入り口は民家のすぐ脇の細い道なので、「ホントにこの道かぁ?」って不安になります。その入口を入れば後は一本道なので迷わずにお墓までたどり付けると思いますよ。でも入口を入ってからお墓までは5分ほど歩きます。行くと分かりますが、かなり荒れています。あまり人も訪れないようです。
[ゆがみん (98.03.14)]
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