太田金山城

住所:群馬県太田市金山町 / 群馬県 / 城ファンチェック: 9

写真:岡 泰行

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

東武伊勢崎線、太田駅下車、北へ徒歩1時間15分。

マイカー利用

ほぼ山頂まで車で上がれる。

近郊グルメ近郊グルメ

和食では「新田乃庄 」で豪族料理なるものがあるらしい。武将料理、椀盛りほうとう、もっそめしなど、1,500円~5,000円程。足利街道沿い寺井町。洋食では「オーガスタ」東新町にある。ステーキ、刺身、天ぷら、しゃぶしゃぶなど。ランチは1,800円から。

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金山城の支城である、丸山砦、小金井屋敷、矢田堀城は、堀と土居などその跡を残す。

城ファンチェック (9)

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    日本式山城と朝鮮式山城が混合した特徴的な城跡で、一山が全部城跡でした。金山という山の頂上に本丸(別名:実城、金山城は尾根上の物見それぞれが出城のように機能していたようで、それぞれに別名がありました)があるのですが、まだ城の麓である場所に、既に城の遺構が現れます。最初の遺構は大手口の石塁でした。ここからさらに少し行った所が、車で城跡に登るための道である金山ドライブウェイの入口です。ここの右手の尾根上にも金山城の石塁が存在していて、この城の大きさが想像されます。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    ドライブウェイを車で登っていきますと、途中には大手口枡形の跡がありましたが、遺構は判然としません。金山城跡全体がこのようだとするとがっかりだなどと考えながら登っていったのですが、ドライブウェイ終点の駐車場に車を停めて、駐車場の北側にある石段を登ったら、そのがっかりした気分は吹き飛んでしまいました。ここには金山城の新田郡方面の守りの要、西城跡がありますが、階段を上がった所には筋違御門跡があり、土塁と空掘の跡がはっきりと残っていました。また、その土塁や空掘が名前の通りに互い違いになっていて、本城である実城を防衛する最前線だったことをうかがわせます。その残存具合が非常によく、感動しました。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    さらにここからドライブウェイを少し戻り、ドライブウェイから分かれる道へ入って尾根の頂上沿いに本丸へ向かいます。ここからの新田郡方面の眺めが抜群によく、なるほど、これだけの展望が得られるところであれば、この城の戦略的な重要性が分かります。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    途中の尾根上には石塁や物見台跡といわれる郭、堀切などが残っています。物見台はそれぞれ非常に大きな堀切3つで区切られていて、このあたりに来ると城の様子がだんだん分かってきます。さらに大手口馬場に石垣が残っていて、だんだん城跡らしくなってきます。
    現在、この大手口馬場付近は発掘調査をしていて、一部の遺構を復元する工事をしています。その奥には大きな堀切を発掘中で、非常にはっきりと当時の工事の形跡を見ることができました。これは幸運でした。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    最近はこのように遺構の復元にとどめる工事で済ませるところが多いですね。他の一部の城跡では、復元天守閣や様々な城の建造物を復元と称して遺構の上に建てているところもあって、あまつさえ時代考証を無視した天守閣などを建てて大変がっかりさせられていましたが、このような復元方法なら大歓迎です。さらにここから階段を上ると頂上です。その階段途中から、復元が終わった日の池が見えます。北条氏が居城したときに池を石垣で囲んでいた様子をしっかり復元してあります。この城はその特徴の一つとして、「山上でも水利がよかった」ということですが、それがこの池でよく分かりました。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    このすぐ上が頂上(本丸)でした。ここには樹齢400年といわれ、城の歴史を見守ってきた大きなケヤキがあります。このケヤキの南側に御殿跡が発掘されたそうです。現在は遺構は埋め戻されていて、その上に休憩所が建っていました。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    その上の一段高いところには新田義貞を祭る新田神社が建てられています。この神社は明治時代に建てられたそうで、歴史的に城跡とは関係ありません。この新田神社の高台を周りこむと堀切があり、ここを抜けたところに本丸の石垣があります。野面積みの堅固な石垣でした。

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    1998.01.01 市瀬俊一 さんより

    帰りには来た道とは違う、平道という道を戻っていきました。その途中では発掘中の石塁を見ることができました。さらに、金山城の縄張りを示した地図(新田神社の前の説明板にありました)を確認してから山を下ったのですが、ドライブウェイの途中は右手にも左手にも郭跡や石塁があり、一山がすべて城だったことが実感できます。

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    1998.01.06 藤枝哲哉 さんより

    この地元で親しまれている金山城は現在、あとかたくらいしかありませんでしたが、発掘調査中に戦国時代中世の東国に、しかも山城に石垣があったと判明し、注目を集めています(石垣の定義をもめさせたそうです)。

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