箕輪城
群馬県群馬郡箕輪町西明屋
 


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  • 地元の人でもめったに立ち寄らないのではないかと思いたくなるような、まったく手付かずのまま、ほったらかしにされているため、時々歴史に興味のある方々には絶賛されたり、けなされたり……。しかし、群馬県内では一番の城郭として、見所が沢山残っています。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • 二の丸が駐車場になっていて本丸までは整備されていますが、通にはまったく整備されていない隠れた登り口と整備の手が掛らないと倒壊寸前の遺構が数多く用意残っています。ただし、倒木や竹の根っこ、崩れかけた土塁、あるいはそこに生息する野ウサギとそれを狙う野良犬の群れにはくれぐれも注意して下さい。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • 見所:元々中世の軍事目的に築城したため、天守は実在しません。そのかわり、御前曲輪に続く本丸跡は広く、南北を両断する大堀切は圧巻です。形としては中世・平山城に位置づけられると思われますが、一城別郭式で主要部は北側、その他は大堀切を挟んで南側に幾つかの曲輪で形成されています。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • 歴史:築城は永享12年(1440年)、上毛(こうずけ)の猛将と言われた長野氏(業尚・業政親子)とされ、武田・上杉・北条など関東制圧に重要な地域に位置した城です。軍事的にも攻撃と防御に優れた縄張りが形成されており、慶長3年(1598年)に高崎に移転するまで幾多の攻撃にも持ちこたえた堅城です。
    歴史的には長野業政の時代がもっとも盛んな頃で、関東管領上杉氏に従う豪族であり、戦略的な婚姻関係を周辺の豪族と結びつつ、業政の死後には武田の猛攻と味方の衰退・裏切りにより、氏業(業政の嫡子)は篭城の末、一族共に御前曲輪にて自害してしまいます。徳川が関東を治めると同時に井伊直政が城主となり、大手門や搦手口など縄張りを変更・大改築し今に残る遺構の基となっています。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • 交通JR高崎線、高崎駅からバス、箕輪小学校降車、徒歩25分。
    [又兵衛 (2000.05.01)]

  • 資料:新人物往来社「日本城郭大系」に掲載されてます。群馬の城址は山崎一氏がほとんど調査し、その記録の膨大なのには敬服しています。一見の価値は充分あります。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • お城戦国グッズ:たしか、「箕輪城」とそのままの名前でお菓子(最中)が地元のお菓子屋さんで売っていた。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • 宿泊:城址の周辺にはまったく宿泊施設らしいものはありません。高崎市内・前橋市内のホテルをお勧めします。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

  • 歴史スポット群馬県庁が前橋城址となっていますが、土塁程度しか遺構はありません。また、高崎市役所は高崎城址となっており、お堀と再建された櫓があります。
    [イエローマン E-mail:bzp02522@msn.com (98.10.20)]

 
 
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