- 高崎城の古写真としては、明治初年に撮影された御三階櫓の正面全景があります。伊予の宇和島城のような端正なプロポーションです。その他最近刊行された高崎市史の近代編の口絵写真に高崎の兵営を撮影したものがあり、説明分によると、「此図ハ高サキ本城より巽櫓ニ向内外郭ノ体裁ヲ写ス 明治六年秋……」とあり、二階建ての木造の兵舎よりも高い土塁の上に二重櫓とそれに続く土塀がハッキリ見えます。おそらく破壊直前の御三階櫓に上って写したものでしょう。
[J=D=メリック E-mail:MAZMATMAC@aol.com (99.05.17)]
- 「外濠と土塁について」
高崎城の中心部(本丸、二の丸)は市役所などが建てられたため見事に壊滅していますが、三の丸を囲む土塁と外濠が現存しています。外濠の規模は、長さ約1,400m、幅は15、6mあります。道路拡張のため5、6mは狭くなっているのが残念ですけどね。又、土塁は三の丸を囲むように逆コの字型に残っています。今現在高さは、場所にもよりますが、低いところで70cm位で高いところで、2〜3mの所もあります。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 「乾櫓と東門(長屋門)について」
櫓は、明治頃農家に払い下げられ納屋となっていたものを、移築復元してあります。ただ、その下の石垣については、史実とは異なるので行くときには気を付けましょう。又、東門は昭和55年に移築され、長屋門形式の番所が付属しています。特徴としては壁面は下見板張りとなっており、番所の方は無双窓で張り出す形となっています。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 残存する少ない遺構なのだから、整備を進めて欲しいなと思います。外濠の幅がちょっと……悲しいかなと。発掘調査では幅約25m、深さ5m程あったらしいですよ(残ってれば、自慢できたのに。苦笑)。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 歴史:築城は慶長三年三月(1597)、高崎城の前身、和田城の跡地を組み入れ20倍以上の面積をもち、三重の堀で囲まれていました。箕輪城主井伊直政が家康の命令により、大修築をし高崎城と命名。位置的には、中山道と上州の街道の要所を押さえる役目を果たしていたため城主には歴代の重臣が名を連ねていました。その後葉……この城が違う意味で有名になったのは、三代将軍家光の弟、忠長が狂乱、狂暴殺傷の罪で自刃したからです(一部で有名です)。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 交通:[鉄道] JR高崎線、高崎駅下車、徒歩15分。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 資料:多分無いと思うけど、もしかしたら「群馬の森 歴史博物館」にイベントが無ければ、展示されてるかも。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 資料:高崎城については、享保の頃に記された「高崎城大意」という資料があります。この城の縄張について、維持保全、戦時における使い方、などこと細かく書かれてあります。今に残るのは写本ですが高崎市で刊行している資料に全文が載っていますので、絵図と照らしながら読むと面白いでしょう。
[J=D=メリック E-mail:MAZMATMAC@aol.com (99.05.17)]
- 資料:文化年間の頃のものとされる「高崎城断面図」という資料には、城門、櫓、土塀の絵姿が狭間の位置や形状、”折”の位置や長さ等の詳細なデータと共に載っています。巽櫓の絵などは、先に記した古写真の姿とおりに描かれていますから、かなり正確といえるでしょう。いずれも高崎市の市立図書館の「郷土資料コーナー」にありますので、城郭マニアの方には、是非とも見てもらいたいものです。
[J=D=メリック E-mail:MAZMATMAC@aol.com (99.05.17)]
- 撮影アドバイス:櫓後ろの外濠の脇歩道から乾櫓を狙うと良い。2月頃の雪が降った直後がGOOD。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
- 宿泊:JR高崎線高崎駅西口に、ワシントンホテル、ターミナルホテル、古そうな旅館があるので多分、それで……。
[レイリア(ぱらたん) E-mail:paladion@mail.goo.ne.jp (98.12.21)]
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