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住所:兵庫県姫路市本町 別名:白鷺城 文化財指定:姫路城跡(国)特別史跡、大天守(国)国宝、西小天守(国)国宝 乾小天守(国)国宝、東小天守(国)国宝、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓(国)国宝 姫路城(門・土塀・櫓など国宝を除く74棟(国)重要文化財) 遺構:城址、石塁、堀、天主、櫓 見所:天守など建造物、石垣など 区分:平山城 城主:赤松氏、小寺氏、黒田氏、羽柴氏、池田氏、本多氏、酒井氏 築城年代:1331(元徳3)年〜 |
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| 姫路城 写真ライブラリー(特別公開を含む143点) |
| 姫路城は、播磨の守護、1331(元徳3)年、赤松則村が砦を築いたのがはじまり。その子、貞範が1348(正平3)年頃に、居城として築城した。その後、室町時代を通
して赤松氏の城で、その家臣、小寺氏が入っていた。1545(天文14)年、小寺氏は御着に城を新たに築き、姫路城には、小寺氏の家臣、黒田職隆が入った。1577(天正5)年、信長の命で秀吉が、三木城別
所氏を滅ぼし、姫路城に入り、3層の天守閣を築いた。秀吉が姫路城に入ることができたのは、黒田官兵衛、後の如水によるものである。この姫路城を拠点に中国の毛利勢と戦うことになる。1582(天正10)年、本能寺の変が起こり、秀吉がこの姫路城を経由し、山崎まで向かったのは言うまでもない。世に言う中国大返しである。秀吉は後、大坂城を居城とし、姫路城には、秀長、ついで木下定家が入封させ、1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いで戦功をたてた池田輝政が入封、このとき、9年の歳月をかけ本格的に拡張し、現在の5層6階地下1階の天守閣を築いた。池田氏のあと、本多忠政が入城し、西の丸、三の丸と増改築を行い、郡山松平氏、山形松平氏、榊原氏、越後松平氏、再び本田氏、榊原氏と経て、1749(寛延2)年、酒井氏が入封、明治を迎えた。
池田時代の拡張は、52万石という規模に合わせてのものと、毛利家という豊臣大々名と九州四国を含めた西国探題の目的が背景にある。そのため播磨、備前、淡路を一族で固めた三国支配をしていくのだが、これにちなんで三国濠という名が城内の貯水池に残る。 秀吉時代の天守や石垣は、現在の天守群ほか、多くの建物に転用され、中でも乾小天守は用材の多くがその転用材であることが判明されている。今は3つの小天守とそれを結ぶ渡櫓、大天守、もと豊臣秀頼の正室、千姫ゆかりの西の丸長局や化粧櫓ほか、城門も多数現存しており、近年、世界文化遺産となって、日本の城で最も優美な城として世界に親しまれている。 |
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