大天守地下1階

姫路城の中枢である天守群。最も空間を有効に活用したいエリアだが、それがこの地階。お城は石垣から上を1階と数える。石垣に囲まれた地階は、外からは石垣しか見えず、地階があるとは分からない。おまけに流れ弾さえ飛んでこない安全地帯だ。城で地階がある場合は主に倉庫として使われるケースが多いが、姫路城大天守についていえば、「流し台」や「厠(かわや)」が設置されているのが珍しい。台所櫓へ通じる扉もあり、臨戦時に活用する目的があったのは確かだ。(現在は確認できないが内陣に武具棚も昭和の大修理まで設置されていた)
大天守地階平面図

心柱と6つの部屋

地階の様子が下の写真だ。こういった部屋が6つありその中心に心柱が2本ある。写真左手に大天守を支える心柱のひとつ、西大柱が見られる。西大柱は桧で根元は85×95cmの長方形の角材。ここ地階ではその太さがおおよそ体感できる。木曾の山中から運搬する際に2つに折れてしまい、天守三階部分で二本継ぎとなっている。もうひとつの心柱、東大柱はここ播州地方の自然木。昭和の大修理で下を取り替え二本継ぎになった。両柱は、5階の天井まで通されている。

大天守地階
北側の部屋は、壁に棚があり、武具庫の役割がある。
姫路城大天守地下1階の武具庫
大天守地階
写真左手の壁に注目すると、やや傾斜がかかった板がずらっと設置されているが、石垣に沿って板でコーティングされている。写真右奥の部屋もよく見れば同じく板が設置されている。

また、これは姫路城英語ボランティアガイドの三左衛門さんに教えていただいた話だが、地階の天井(1階の床板)には、各階で同じ場所に丸い小さな穴を空けていたらしくそれが確認できた。いつのものなのか、また、はっきりとした用途は分からないが、一説にはそこに糸を垂れて、天守の傾きを測定したのだとか。いつからか、その穴にパイプが通り、確認できなくなってしまった。

秀吉の天守も

頭の中だけでかなりイメージを膨らませないといけないが、この地階の床下にはかつては礎石があった(昭和の大修理の際に鉄筋コンクリートの基礎に変更された)。その中に秀吉時代の姫路城三重天守の礎石配列も確認されている。さらに下に黒田時代のものと思われる層も確認されているほか、現在の天守石垣の内側に秀吉時代の石垣もあるそうだ。姫路市立城郭研究室のサイトでその測量図が閲覧できる。

姫路城は、姫山と鷺山の2つの山を利用して造られている。この大天守が建っている場所が姫山の頂上と考えていい。地下というと、どうしても掘ったイメージが強くなるが、実際は天守のまわりに石垣を築いて、その中を地階としているから、この地階部分が、秀吉時代の天守1階だったのかもしれない(鷺山は西の丸とされ、現在確認できるその頂上は、千姫化粧櫓のすぐ西に岩盤が露出しているあたりらしい。余談ながら、西の丸は、百間廊下を歩くと、どんどん登っていくが、その土を削り取って南に伸ばし広大な平地を造っている)。

耐震補強

大天守に過去に入った人であれば「なっ、なんだこれは!」と驚く黒い金具(写真下)。平成の修復で新たに設置された耐震補強で、地階と1階の間の柱に施されている。このほか地階天井には随所に新しい金具が設置されている。

余談だが、阪神淡路大震災では、天守最上階の刑部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)にお供えされていた一升瓶が倒れなかったらしい。そのほか、大天守と連結する渡櫓は、主要な木材が連結されておらず、築城当時から耐震を考えた造りだったらしい。
大天守地階・耐震補強
写真(下)は、1階から見た耐震補強部分。まわりの床板が切り取られ新しい材が入っている。
大天守1階・耐震補強

厠(かわや)

地階にある「厠(かわや)」。特別公開を狙っていかないと見られない。いわゆるトイレで3つ並んでいる。このほか、ハの渡櫓の地階も同じく3つ並んだ「厠」がある(非公開)。現存天守では、松江城の天守4階に「箱便所」という空間があるが、姫路城ほどいかにもトイレらしいかたちは、他で見られない。「厠」は、毎年、春と秋の特別公開時に公開されていたが、平成の修復直後の春の公開は、混雑を予想し公開されないかもしれない。

大天守地階・厠
大天守地階・厠の瓶
中を覗くと、大きな瓶が置いてあるが、これがセンターから、ずれて設置されているのが分かる。当時からなぜかこうだったらしい。

流し

大天守地階の流し
大天守地階には、流しがある。城では天守内にこのような施設があるのが珍しい。この写真の左手に天守群の内庭にある台所櫓への扉がある。その扉前は、修復後はスリッパの返却ゾーンになっていて、その台所櫓の扉が開いているのが少し見られるかも。

姫路城大天守の見どころ

姫路城の見どころ

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