三木城

住所:兵庫県三木市上の丸町 / 兵庫県 / 城ファンチェック: 6

写真:岡 泰行

開城時間開城時間

播磨の三大勢力のひとつ、別所氏の城。「三木の干し殺し」といれれた秀吉との三木合戦で有名。三木城址は公園になっており、特に時間制限などは無い。もちろん無料。

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

神戸電鉄、上の丸駅下車、徒歩3分。

マイカー利用

山陽自動車道、三木小野ICより南東約2km、三木市立図書館を目指す。

撮影アドバイス撮影アドバイス

三木城本丸跡にある天守台と、すぐ横にるある別所長治の石像は、東から望むため、午前中が良い。

三木城の兵陵らしさを撮影するには、美嚢川(みのうがわ)の対岸の河原から。神戸電鉄が通るタイミングを狙ってみても風景として面白いかも。

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ふたつの竹中半兵衛の墓

竹中半兵衛の墓・平井忘れてはならないのが、竹中半兵衛の墓。地元の伝承により守られてきた2つの墓がある。平井山本陣跡に続く、ぶどう畑に土塀に囲まれた墓(三木市平井385)と、栄運寺の東側の山間にある半兵衛の墓と馬塚(三木市志染町安福田)。竹中半兵衛の墓・栄運寺後者は、徳川時代に、豊臣系の墓が壊されることを恐れ、山中にもうひとつ墓を作ったという話も伝わるが今となっては正確なところは分からない。墓石には6月13日と命日が記されており竹中半兵衛を供養したものであることは間違いない。前者の竹中半兵衛の墓と比べると、まるで人目を避けるように山中にあるその風情が歴史を感じる(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。余談だが、竹中半兵衛の墓は、竹中陣屋菩提山城(岐阜県)の麓、禅幢寺にもある。

 

三木合戦の史跡

谷大膳衛好の墓・平田山砦跡三木合戦の史跡が、三木城のまわりに点在している。別所長治公と照子夫人の首塚、平田山砦跡に谷大膳衛好の墓、八幡森史跡公園に淡河城(おうごじょう)城主の淡河弾正の墓、別所長治の首検分がされた寺で秀吉が三木城落城後に本陣とした本要寺、別所小八郎治定(長治の弟)の屋敷跡と伝わる正入寺など、実に見どころの多いエリア。また、あまり知られていないが、常巌寺(三木市宿原1038)には、赤松円心の墓所がある。門前の「温故知新」の石碑の背面に、開基・赤松円心公墓所と記されている。もともと別所氏は、この地域(播磨)の守護だった赤松氏の一族。赤松円心の時代に、円心の弟を娘婿として迎え、赤松氏とさらに深い繋がりができている。(詳しい場所は上記Googleマップ参照)

 

別所長治公と照子夫人の首塚・雲龍寺中でも雲龍寺の「別所長治公と照子夫人の首塚」は、見ておきたい(三木市上の丸町9-4)。首実検の後、雲龍寺住職が長治夫妻の首を貰い受け埋葬したと伝わる首塚。首塚のすぐ左に別所長治辞世の句碑、さらに由緒碑があり、これが三木城の外堀の残石を使っているから、同時にチェックしておこう。また、その雲龍寺駐車場の東側には広大な空堀跡(公園)もある。ちなみに本要寺(三木市本町2-3-6 )は、別所長治の首検分がされた寺で、秀吉が三木城落城後に本陣とした。(詳しい場所は上記Googleマップ参照)

 

鷹ノ尾城付城や出城でいうと、秀吉軍が三木城包囲のために作った30余りの付城群をめぐるのもいいかも(2012年現在20箇所が確認されている)。整備されて見やすいのは、明石道峯構付城。そのほか、別所側になるが三木城の出城、鷹ノ尾城。三木城から南へ1kmの三木勤労者体育センターを目指そう。城跡は整備されていないが、体育センター建物西側の土塁は、圧巻のサイズだ。

 

そのほかの見どころ

姫路城主池田利隆・伊木忠繁と母の供養塔・正入寺「正入寺」も城ファンなら要チェック。三木城の平山丸跡で、三木合戦で秀吉の本陣平井山に攻めかかり戦死した別所小八郎治定(長治の弟)の屋敷跡と伝わる場所。その地に建立された正入寺は慶長6年(1601)、三木城主となった、姫路城主池田輝政の筆頭家老、伊木忠次(いぎただつぐ)ゆかりの菩提寺(三木城は姫路城の支城のひとつとなる)。境内には、池田信輝・輝政親子と伊木忠次・忠繁親子の位牌を祀り、墓地には姫路城主池田利隆、伊木忠繁と母の供養塔がある。2代当主、伊木忠繁は姫路城の普請奉行となり、今見る姫路城を完成させたことはあまり知られていない。

 

本町滑原遺跡出土石列遺構「本町滑原遺跡出土石列遺構」もちらりと見ておこう。滑原(なめら)商店街工事の際に出土した石列の石が屋外展示されている。三木合戦の焼土層の上から出土したため、秀吉もしくは池田輝政時代の家臣屋敷等の町割遺構の可能性が高いのだとか。上の丸稲荷神社への参道(鳥居)右側にある。商店街の中にあるため、徒歩散策が良いぞ。ちなみに参道から商店街に入ったすぐの地面を見て、黒いレンガで示されている場所が出土跡。余談だが滑原(なめら)商店街の道は、淡河城や淡河の宿場町も通る「湯の山街道」。湯の山とは有馬温泉(三木から約30km東にある)へ続く道という意味合いで、秀吉も頻繁に往来した。

 

旧玉置家住宅ちょっと戦国時代から外れるが、旧玉置家住宅は、一見の価値がある。文政9年(1826)に、切手会所(銀行)として建てられ、明治になり玉置家が拝領し母屋以外を大々的に増築(つまり母屋は江戸時代の建築物)。趣向を凝らした匠の技が見られる町屋となっている。三木では豊かさを示す「うだつ」は町屋に少なく、屋根が弧を描く「うねり」がその証し。余談だが玉置家初代は、もとは別所氏の菩提寺である雲龍寺の住職。

城ファンチェック (6)

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    2014.02.02 竹中半兵衛 さんより

    御着城(小寺氏)、英賀城(三木氏)と並び、三木城は播磨三大城といわれたそうな。

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    2014.03.01 shirofan さんより

    三木城は、兵陵の先端部に本丸(上の丸)があり、南西に曲輪が続き、南側に出城を築いた構えのお城だと理解しておこう。天守台跡には「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された長治辞世の歌碑がある。

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    2014.03.04 竹中半兵衛 さんより

    三木合戦で有名な、淡河城(おうごじょう)も同時に攻めるべし。三木城から東に約8kmの位置にある。道の駅「淡河」を目指すと良いぞ。

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    2014.03.04 竹中半兵衛 さんより

    三木は、お城でもお世話になる、左官屋が使うコテの全国シェア8割を誇っているそうな。

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    2014.03.04 竹中半兵衛 さんより

    三木城上の丸公園と、三木市立図書館の間の道路は、堀切跡。

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    2014.03.10 shirofan さんより

    本丸跡には、残り石と伝わる、三木城に使われていた石材が残っている。

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