「丹波篠山へのいざない」のWeb Mater植村さまのご好意で、篠山町の資料室、の方より、篠山城発掘の概略をいただきましたので、ご紹介させていただきます。●史跡篠山城跡二の丸登り口
2.調査期間
1998年1月19日〜1月31日3.調査面積
112m24.篠山城について
篠山城は慶長14年(1609)に徳川家康の命により、大阪城攻めの備えと西国大名へのおさえの拠点とし、天下普請によって築城されました。現在の城跡は本丸、二の丸の石垣内濠の一部、外濠、馬出など主要な城郭遺構が良く保存されていることから、昭和31年12月28日国の史跡指定を受けています。5.調査に至る経過
篠山町では1996年度から99年にかけて、二の丸内に大書院の復元建築工事に伴い二の丸登り口に電気・ガス・水道・下水道等を集約した共同溝を埋設するための工法等を検討する資料とするため、二の丸登り口の遺構の発掘調査を実施しました。6.二の丸登り口について
二の丸登り口は、三の丸から二の丸の御殿跡に至る最も重要な動線で、絵図によると延長100mの範囲に北廊下門、表門、中之門、鉄門が配置され、篠山城内の動線の中でも特に厳重に造られていたことが分かります。7.調査結果の概要
今回の調査は、二の丸登り口の共同溝埋設予定部分のごく限られた範囲の調査を実施しましたが、動線の敷石や、鉄門跡、階段跡などが発見され、江戸時代の二の丸登り口の構造が約130年ぶりに明らかになりました。◎北廊下門跡
内濠部分に建てられた奥行18m、幅約5mの門跡です。調査の結果、江戸時代に盤沈下に伴い約20p盛土整地した様子が確認されました。◎表門跡
廊下門の南側にある櫓門形式の門跡です。大きさは幅5m、奥行5mで上部は渡櫓となっていました。敷石等はすでに抜取られていましたが、段差の状況から階段等の位置も復元できるようになりました。◎東枡形
大書院の北正面の位置にある枡形で、東西11m、南北16mの広場となっています。調査の結果、動線の敷石と中之門に続く階段跡が発見されました。◎中之門跡
東枡形と西枡形との間に造られた櫓門形式の門跡です。調査の結果、門跡付近は廃城後に全面的に削平されていたため遺構は残っていませんでした。◎西枡形
中之門西側に造られた枡形で、東西10m、南北16mの東枡形とほぼ同じ広さとなっています。江戸時代に武士達が歩いた動線部分に敷石が発見されました。◎鉄門跡
二の丸へ至る最後の門跡で呼び名の通り門扉には鉄板が張られていたと考えられます。調査の結果、門跡は廃城後の明治時代にやく1.5m埋められていましたが、埋土を取り除いたところで、門跡の敷石と階段跡などの遺構が江戸時代の姿で発見されました。これによって鉄門は幅約5m、奥行約4.5mの広さがあり、東側の石垣高さ約4m、西側の石垣高さ4.5mとの間に造られており、二の丸へ至る最後の関門にふさわしい、厳重な造りになっていた様子が確認されました。※一部、または全文を転載することを禁止します。