- 勝竜寺城本丸跡は長岡市の手により堀で囲まれた、大層立派な公園(日本庭園)と化している。石垣のみが残るというのを好む古城ファンには、ちと納得がいかないかも知れない。
[KUBO (01.07.19)]
- 勝竜寺城は発掘後、埋め戻され公園化されている。土塀で囲われたエリアに井戸跡と虎口、その西側に空堀跡がある。建物は資料館。夜はライトアップされる。
[城の観光好き (99.09.28)]
- 今の勝竜寺城は発掘調査にもとずいて復元されました。この城は土塁の1部に石垣を使っているという珍しい城です。今では2層櫓のような管理練があって、発掘調査で見つかったものが展示してあります。この管理連は当時の城には無かったが、復元図によると本丸と沼田丸の間にある小高い土塁の上に2層櫓らしきものがあって、天守の役目をしていたとも言われています。隣の沼田丸は芝生広場になっていて、見る価値は無いなと思うかも知れないけど、よく見ると空掘が芝生広場を取り囲んでいます、この堀はなかなか保存が良いです。本丸の近くにある神足神社には、2〜3メートルもある土塁がきれいに残されています。小畑川にかかる橋には大手門があったらしいです。
[忠興 (03.3.27)]
- 細川忠興のもとにガラシャ夫人が輿入れしたお城。公園の建物の瓦も忠興が使い始めた「九曜紋」だが、勝竜寺城の実質上の城主は父の藤孝だから、ちと先走りすぎな気もする。
[KUBO (01.07.19)]
- 勝竜寺城から駅へ「ガラシャ通り」を通っていると、右側に建物の隙間からわずかに残る当時の土塁を見る事が出来ます。地元のタクシー運転手さんが教えてくれました!
[ポメ朗 (10.10.07)]
- 地元では毎年「長岡京ガラシャ祭」が行われています。
[ポメ朗 (10.10.07)]
- 1339(暦応2・延元4)年、細川頼春の築城と言われ、足利尊氏の西岡衆統率の本拠として築かれた。1568(永禄11)年、信長上洛に伴い、岩城友道が城主で柴田勝家に攻略され、1573(元亀4)年、細川藤孝が入封。本能寺の変後の山崎の戦いでは、明智光秀がこの城に一旦引いたが、ここから近江の坂本へと落ちていく。元々は城でなく勝龍寺という寺があり、その名の由来はここから来ている。寺と古墳とを合体させ、改修、城と生まれたと見られている。
[城の観光好き (99.09.28)]
- 交通:[鉄道] JR東海道本線(JR京都線)、長岡京駅下車、東口から徒歩600m。
[若だんな (99.09.28)]
- 歴史スポット:長岡天満宮。このあたりでは有名。細川ガラシャ関連では、かなり通りけど、隠棲の地(味土野)はいかが?隠棲の地ですが、さながら城跡です。
[若だんな (99.09.28)]
[城の観光好き (99.09.28)]
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