勝竜寺城

住所:京都府長岡京市勝竜寺13-1 / 京都府 / 城ファンチェック: 12

写真:岡 泰行

開城時間開城時間

本丸跡である勝竜寺城公園の休園は、毎週火曜、年末年始。開園していないときにいくと、本丸へ入れない。開館時間は時期により異なるので、こちらを要チェック

要するにここは「勝竜寺城公園(本丸跡)」「公園西側の駐車場一帯(沼田丸跡)」「公園北方の神足神社に残る土塁」の3点攻めを忘れずに。

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

JR東海道本線(JR京都線)、長岡京駅下車、徒歩10分。東口からガラシャ通りを南下、勝竜寺城公園を目指す。

マイカー利用

名神高速道路、大山崎ICから北へ約2km(7分)。勝竜寺城公園西側の無料駐車場を利用する。ちなみに駐車場は勝竜寺城の沼田丸跡。ハイ、城内です。

文献資料文献資料

勝竜寺城公園内の資料館で発掘の内容など詳しく紹介されている。また、本丸内は解説板が充実しているため、しっかり見どころをチェックできる。

また、勝龍寺城跡土塁・空堀調査などの現地説明会資料(勝龍寺城縄張復原図を含む)は、長岡京市埋蔵文化財センターのサイトでPDFで閲覧できる。

撮影アドバイス撮影アドバイス

勝竜寺城:細川忠興・細川ガラシャ銅像城跡は、どちらかというと東側の堀から撮影しやすい午前中が良い。本丸内にある細川忠興・玉(ガラシャ)の銅像は、北向きに設置されているため、晴天時の昼間は思いっきり逆光になる。光のまわる曇天が良いが、もし日が強ければ、朝(細川忠興が逆光)、夕(ガラシャが逆光)のいずれかのお覚悟を。いやいやそれ以前に、フラッシュを焚いて日中シンクロでどうぞ。

宿泊宿泊

このあたりに宿泊どころはない。思い切って、京都・大阪にするか、もしくは山崎城(天王山城)の麓にあるビジネスホテルへどうぞ。

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神足神社を忘れずに

神足神社に残る勝竜寺城跡の土塁勝竜寺城公園の北に230m(徒歩3分)の距離に、神足神社(こうたりじんじゃ)がある。ここに、勝竜寺城の北を守る曲輪、神足屋敷(その昔は神足城跡)があった。その土塁や空堀、土橋が今も見られるから要チェック。

 

明智光秀本陣跡 指定地

山崎の合戦の時、明智光秀の本陣「御坊塚」と推定される場所が、勝竜寺城の南に2カ所ある。「恵解山古墳(京都府長岡京市勝竜寺30)」とさらに南下したところにある「境野一号墳(京都府乙訓郡大山崎町下植野宮脇1-107)」だ。前者の恵解山古墳は、発掘整備が進められており、全景を見渡すためか、歩道橋の上に山崎の合戦についての解説板がある。後者の境野一号墳は、付近が住宅街といった風景でその一角が墓地になっており道路上に解説板があるぞ。勝竜寺城から南へ800m(徒歩10分)で恵解山古墳、そこから700m(徒歩9分)で後者の境野一号墳。

 

そのほか・近郊の城

江戸時代末期の町屋、旧石田家住宅(長岡京市神足2-13-10)があり内部を見学することができる。近郊の城では、ちょっとマイナーに開田城(かいでんじょう・京都府長岡京市天神1丁目1)。近年、マンション建設で整備された開田城土塁公園となっており土塁が見られる。また「エスリート長岡天神」のエントランスには開田城の復元模型がある。開田城は、勝竜寺城から北西に約2km(徒歩25分)、阪急京都線、長岡天神駅のすぐ西にある。有名城では、淀城・淀古城山崎城(天王山城)が近い。

 

この機会に明智薮をどうぞ

明智薮石碑山崎合戦のとき、明智光秀はここ勝竜寺城の北門から逃走することになる。勝竜寺城と坂本城をむすぶと、ざっくり中間地点あたりに光秀が命を落としたと伝わる「明智薮」がある。現在、明智藪には石碑と竹藪がある。付近には「胴塚」も。行こうと思わないとなかなかいけない場所にあるので、光秀ファンはこの機会に良ければどうぞ。徒歩は厳しいが車移動なら、約13.3km(35分)。明智薮に至る道のりで伏見城、明智薮の付近には醍醐寺も。

城ファンチェック (12)

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    1997.08.06 ガラシャ さんより

    勝竜寺城は、小畑川と犬川の合流地点に築かれた平城で、すぐ側を西国街道が通る。

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    1997.08.06 ガラシャ さんより

    当時の遺構は、土塁跡や虎口跡、井戸跡で偲ぶしかないが、本丸は、平成4年に勝竜寺城公園としてオープン、模擬櫓や復興土塀で囲まれ、多少城らしくはなっているぞ。

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    1997.08.06 ガラシャ さんより

    ガラシャ夫人が、細川忠興に嫁いだ城で、山崎の合戦では、明智光秀が勝竜寺城の北門から坂本城に向かって逃走したらしい。

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    1999.09.28 城の観光好き さんより

    勝竜寺城は発掘後、埋め戻され公園化されている。土塀で囲われたエリアに井戸跡と虎口、その西側に空堀跡がある。建物は資料館。夜はライトアップされる。

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    1999.09.28 城の観光好き さんより

    1339(暦応2・延元4)年、細川頼春の築城と言われ、足利尊氏の西岡衆統率の本拠として築かれた。1568(永禄11)年、信長上洛に伴い、岩城友道が城主で柴田勝家に攻略され、1573(元亀4)年、細川藤孝が入封。本能寺の変後の山崎の戦いでは、明智光秀がこの城に一旦引いたが、ここから近江の坂本へと落ちていく。元々は城でなく勝龍寺という寺があり、その名の由来はここから来ている。寺と古墳とを合体させ、改修、城と生まれたと見られている。

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    1999.10.07 城の観光好き さんより

    山崎合戦のおり、豊臣秀吉が天王山城(宝寺城)を、明智光秀が勝竜寺城を本陣としたことはあまりにも有名です。1578年細川忠興・ガラシャ夫妻は勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。南北朝以来たびたび戦場になったこの城も江戸期には重要とされず、1643年に事実上廃城となりました。現在細川藤高の築城を復元させ、秋には細川忠興・ガラシャ夫妻にちなんだ「長岡京ガラシャ祭」が行われています。

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    2001.07.19 KUBO さんより

    勝竜寺城本丸跡は長岡市の手により堀で囲まれた、大層立派な公園(日本庭園)と化している。石垣のみが残るというのを好む古城ファンには、ちと納得がいかないかも知れない。

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    2001.07.19 KUBO さんより

    細川忠興のもとにガラシャ夫人が輿入れしたお城。公園の建物の瓦も忠興が使い始めた「九曜紋」だが、勝竜寺城の実質上の城主は父の藤孝だから、ちと先走りすぎな気もする。

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    2003.03.27 忠興 さんより

    今の勝竜寺城は発掘調査にもとづいて復元されました。この城は土塁の1部に石垣を使っているという珍しい城です。今では2層櫓のような管理練があって、発掘調査で見つかったものが展示してあります。この管理連は当時の城には無かったが、復元図によると本丸と沼田丸の間にある小高い土塁の上に2層櫓らしきものがあって、天守の役目をしていたとも言われています。隣の沼田丸は芝生広場になっていて、見る価値は無いなと思うかも知れないけど、よく見ると空掘が芝生広場を取り囲んでいます、この堀はなかなか保存が良いです。本丸の近くにある神足神社には、2〜3メートルもある土塁がきれいに残されています。小畑川にかかる橋には大手門があったらしいです。

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    2010.10.07 ポメ朗 さんより

    勝竜寺城から駅へ「ガラシャ通り」を通っていると、右側に建物の隙間からわずかに残る当時の土塁を見る事が出来ます。地元のタクシー運転手さんが教えてくれました!

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    2010.10.07 ポメ朗 さんより

    地元では毎年「長岡京ガラシャ祭」が行われています。

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    2015.08.06 shirofan さんより

    なんと、公園北東の水堀のすぐ側にあるベンチは、上から見ると「九曜紋」のかたちになっている。

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