淀城

住所:京都府京都市伏見区淀本町167 / 京都府 / 城ファンチェック: 7

写真:岡 泰行

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

京阪京都線、淀駅下車、徒歩5分。

マイカー利用

名神高速道、大山崎ICから東へ3.3km(約8分)。

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現在、見られる淀城の本丸石垣や内堀は、徳川時代の新しい淀城のもので、徳川の伏見城(木幡山伏見城)の代わりとして造られたもの。

また、淀城の天守は、豊臣秀長の大和郡山城の天守だった。豊臣秀長の大和郡山城の天守は、徳川家康によって、京都の二条城の天守として移築され、寛永元年(1624)、徳川家光が二条城の改修を行なった際に、淀城天守として、再び移築された。その後、宝暦6年(1756)、落雷で消失してしまったらしい。

秀吉の淀古城を忘れずに

淀古城石碑:妙教寺秀吉時代の淀城は「淀古城」と呼ばれ、北にある妙教寺付近にあったとされている。木津川・桂川・宇治川が合流し、淀川となって大阪湾に流れる。この合流地点に淀古城は築かれた。当時の河川は、いわば自動車道のようなもので、大坂から京都へ河川を使って人や物資が運ばれた。淀は水上交通の中継地といったところだ(現在の河川の位置は当時のものではなく、その後、秀吉が伏見城に移るにあたり河川の改修が行われている)。

淀古城は、秀吉の側室、茶々が鶴松を出産した城で、以降、茶々は「淀の方」と呼ばれることになる。そのネーミングの由来となった城が淀古城だ。淀古城は遺構がなく、妙教寺境内にある石碑を見るほかない。淀古城は秀吉の伏見城(指月伏見城)の築城で廃城となる。もしかしたら、城の資材は、秀吉の淀古城→伏見城→淀城と、この地を行ったり来たりしたのかもしれない。

秀吉時代の淀城に思いを馳せるなら、是非、妙教寺を訪れてほしい。妙教寺は淀城から北へ徒歩600m(約8分)。道すがら納所会館にある「戊辰役戦場址石碑」も見ておこう。そのほか、「唐人雁木旧趾石碑」、「淀小橋旧址石碑」などもある。なお、妙教寺はいわゆる観光寺ではないので、突然行っても見られないかもいれない。拝観される際は、マナーを大切に(詳しい場所は上記Googleマップを参照)。

 

妙教寺と戊辰戦争

淀古城:妙教寺本堂東側 戊辰戦争弾痕跡妙教寺は、徳川が築いた新しい淀城の守護として、秀吉の淀古城跡に建立された寺院。妙教寺の本堂は、戊辰戦争で幕府側の大砲を被弾しており、本堂東側の壁をつきやぶり、本堂内の柱も貫いた。妙教寺本堂東側の壁に、磨りガラスがはまっている箇所があるがそこが貫通した跡。境内には先の淀古城の石碑のほかに、榎本武揚の揮毫(きごう)による「戊辰之役東軍戦死者之碑」がある。

 

近郊の城

近郊の城では、勝竜寺城山崎城(天王山城)が近い。

城ファンチェック (7)

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    1997.12.08 Y.Akatsuka. さんより

    今は公園となっている。江戸時代は春日局の子孫の稲葉氏が城主として入城していたらしい。石垣、水堀、天守台が残る。天守台は柵があり中は入れなかった。

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    1997.12.08 Y.Akatsuka. さんより

    淀君に所以のある淀城は現在のものより500mほど北の「納所」というところにあったらしい。京都競馬開催中は混むので気を付けよう。

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    1997.12.08 Y.Akatsuka. さんより

    公園には「小・中学生はあまり遅くまで公園にいないようにしましょう」といったような内容の立札がある。

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    2010.01.29 淀君 さんより

    石垣の上に明治天皇の記念石碑ありま〜す。また、公園の中に神社があります。

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    2010.10.07 ポメ朗 さんより

    蚊が非常に多いので、夏場はしっかり対策する必要あり。

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    2011.08.04 秀吉 さんより

    淀城の石垣には多数の刻印石が見られる。近くの城なら伏見城とセットでどうぞ。

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    2015.04.05 秀吉 さんより

    公園内の淀城を示す石碑は、「淀城故址石碑」「淀城址石碑」の2本がある。そのほか、「淀小橋旧址石碑」など古い石碑が並ぶ。ちなみに淀小橋とは、宇治川に架けられた橋「淀小橋」のことで、新しい石碑はその橋があった府道124号線沿いに建っている。

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