写真:岡 泰行

熊本城の歴史と見どころ

熊本市の中心に位置する茶臼山に熊本城が完成したのは、慶長12年(1607)。築いたのは城づくりの名手とうたわれ、地元では今でも「せいしょこさん」の愛称で親しまれている加藤清正である。日本三代名城のひとつとして数えられ、特にその石垣の美しさは他の追随を許さない。その歴史は古く、九州豪族、菊池氏の一族、出口秀信が文明年間に城を築いたのがはじまりで、当時は千葉城といい、その後、鹿子木氏によって現在の熊本城の南隅に築いた城が隈本城という。

天正15年(1587)、秀吉の九州討伐によって佐々成政が隈本城に入封するが、治政を誤り失脚、尼崎で切腹すると、天正16年(1588)、加藤清正が入る。このときから城の改築を始めるが、慶長の朝鮮出兵など戦で城を留守にすることが多く、なかなか工事は捗らなかった。関ヶ原の戦いで清正は、東軍家康側につき石高を上げることになるが、この頃から朝鮮出兵の経験をもとに、茶臼山と呼ばれた丘を中心に、千葉城、隈本城の両城を吸収するかたちで98haにも及ぶ大規模な築城工事を開始したのだ。約7年の歳月をかけ、慶長12年(1607)、隈本城を熊本城と改め、現在見られる構造となった。清正の没後、子の忠広が後を継ぐが、寛永9年(1632)、謀反の疑いをかけられ改易。その後、細川忠利が入封、以来、細川氏が世襲し明治を迎えた。

明治10年、西南戦争で熊本城は西郷軍の攻撃を受け、52日間にも及ぶ篭城戦を耐え抜きその真価を発揮したのは言うまでもない。このとき、惜しくも天守や本丸御殿が焼失してしまったが、現存する宇土櫓ほか多数の櫓や城門などは畏怖堂々と残っている。

熊本城といえば、上に行くほど勾配がきつくなる「武者返し」の高石垣が有名だが、これは清正流石垣と呼ばれ、近江の穴太衆によるものだとも言われている。石垣の高さや反り具合は一度訪れた者の目を釘付けにする。熊本城の魅力を語る上で欠かすことのできない意匠のひとつとなっている。

昭和30年代から40年代ごろ、「お城復興ブーム」と呼ばれる時期があった。熊本城の天守も焼失から83年の時を経て、外観が復元で蘇った。瓦1枚寸分狂わず忠実な外観復元だ。平成になり、城全体を史実に基づく姿に戻そうという整備計画が決まる。「一口城主」などの後押しもあり、現在も復元工事が進んでいる。これほど大規模な復元を進めている例はほかにはない。これもひとえに、天下の名城とされる由縁のひとつではなかろうか。

熊本城の大天守・小天守
外観を忠実に復元された大天守・小天守

熊本城の宇土櫓
天守並みの構造と大きさを誇る宇土櫓と高石垣。宇土櫓の石垣は空堀から21mの高さがあったが、2022年5月、文化財修復検討委員会から現在の堀底から4.2mほど掘り下げたところまで石垣があり、少なくとも創建時は25mの高さがあったことが明らかになった。九州の城で最大級となる。現在の堀底までの盛り土は江戸時代のものから、昭和期の修復や白川大水害の土砂のもの、また石垣修復時の堆積土と見られている。

熊本城の本丸御殿
本丸御殿の「昭君之間」は豊臣秀頼のためという説も

熊本城の東十八間櫓・北十八間櫓
曲線が重層をなす東十八間櫓・北十八間櫓

熊本城の関連書籍

『熊本城みてある記』(熊本市広報課発行)
写真を多く使用し、熊本城の各ポイントが簡潔にまとめられている。お城初心者から上級者まで楽しめる内容。熊本市役所発行A4オールカラー36ページ200円。

熊本城の撮影方法

熊本市庁舎の展望台は一度は訪れるべし。平日のみだが無料で熊本城を東から望むことができる。または、北側にある「KKRホテル熊本」から早朝に天守を狙うと良し。お城側の部屋に泊まり、距離的に200mm以上の望遠レンズがあると、壮大な石垣の上に建つ天守を撮影することができる。

熊本城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る熊本城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

熊本城の関連史跡

JR熊本駅から一駅の距離、宇土城。または、ちょっと遠いけど宮本武蔵が「五輪の書」書いた洞窟。
[マラカス (1999.06.16)]

熊本城のおすすめ旅グルメ

熊本は、辛子蓮根と馬刺、ラーメン(豚骨スープ、けいかラーメンなど)がうまい。辛子蓮根はこの地方独特のもので味は辛子明太子にも匹敵。

熊本城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

「熊本ホテルキャッスル」がベスト。または「KKRホテル熊本」や「アークホテル熊本」。お城の見える部屋をリクエストする必要がある。ライトアップされた熊本城も良い。わずかに離れるがもっとお安く熊本城が見えるには「ホテルオークス」。

また、2019年7月1日に「&and COMFY HOTEL(アンド コンフィ ホテル)熊本城ビュー」がオープンした。「熊本ホテルキャッスル」と並ぶ眺望で、天守を真東から望む好立地。屋上からも見られる。

熊本城のアクセス・所在地

所在地

住所:熊本県熊本市中央区本丸 [MAP] 県別一覧[熊本県]

電話:096-352-5900(熊本城総合事務所)
※2016年4月に発生した熊本地震で入城エリアが制限されています。詳しくは公式サイトでご確認ください。

開館時間

3月〜11月:8時30分〜18時00分(入園は17時30分まで)、12月〜2月:8時30分〜17時00分(入園は16時30分まで)、休館日:12月30日〜12月31日

アクセス

鉄道利用

JR鹿児島本線、熊本駅下車、市電「健軍(けんぐん)」行15分、「熊本城前」降車、徒歩10分。または、熊本交通センターからタクシーで10分。

マイカー利用

有料駐車場(160台)有り。

城ファンの気になるところ (19)

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    何といっても石垣の凄さ。熊本にきたらかならず登ってみよー。警備員に注意されるか、途中で落ちて入院(または即死)するかで絶対登れないぞー。

    ( すていやー)

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    天守閣前の石段を降りて高さ1m程度の穴を通れば外に出ちゃったりする。つまりその反対もあり。ただし穴の中でかなり汚れてしまうので子供しか無理かも。素直に入城料500円払ったほうが無難だろう。(それならこんな事かくな。)

    ( すていやー)

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    熊本城って、四神相応の地ってとこにこだわってますよね。北は京町台地(玄武)、東は白川(青龍)、南は平野(朱雀)、西は大道薩摩街道(白虎)。おまけに鬼門・裏鬼門にはやたら寺社が多いし。当時の「科学」の最先端行ってたかも。でも最近熊本さびれてるのはなぜ?
    ちなみに私、石垣登りと抜け穴くぐりの科で、警備員に怒られた前科あり。

    ( Flopsy)

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    1997年くらいに行ったのですが、以前は国宝(だったかな?)で非公開だった宇土櫓が拝観可能になっていました。どうやら、同櫓補強のため鉄筋を入れたため国宝から重文に格下げになったため拝観できるようになったらしい。うれしいやら悲しいやら。

    ( たかやん)

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    熊本市は平成19年までに熊本城の完全復元計画を立てました。これにかかる費用50億円!を国、市、寄付金で3分の1ずつ賄う予定だそうです。一人1万円以上寄付すれば、一口城主として、名前を残すことも検討しているそうです。西南戦争で消失して以来の名城がよみがえるわけです。さあ、あなたも、天下の名城熊本城の城主になるチャンスです!(笑)。熊本市も、もっと他にやることがあるだろうがぁ、という気持ちもありますが、城好きとしては、うふふふ…という気も否めません。

    ( Fiopsy)

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    12の建物を含む98ヘクタールの城郭全体を加藤清正が築城した当時の姿の戻すそうです。これら全面復元は、「一口城主」なる募金でまかなわれるそうです。城郭を本丸ゾーン、三の丸ゾーンなど五つのゾーンに分け、30〜50年かけて順次整備する。募金募集期間は、熊本築城400年に当たる2007年までの9年間で15億円が目標だそうです。2001年までに5億円を集める計画。1万円以下は、募金箱へ。その募金箱は、熊本城など16ヶ所に設置されているとのこと。10万円以上は、感謝状が出るらしい。有志は熊本市にお問い合せを。

    ( 光秀)

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    熊本城もいいけどお勧めはその裏にある宇土櫓、床の木のミシミシ感がたまらない。

    ( todo)

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    熊本城に行ったとき、運良く宇土櫓のライトアップに遭遇することができました。非常に堂々としており、その迫力に圧倒されました。怖いぐらいの存在感をひしひしと感じました。夜の城というのも昼間とは違った味わいがあります。

    ( 鈴木伸哉)

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    1998年末に熊本城を訪ねました。入り口のところに掲示してある、レディスガイドをお願いしてみました。申込書を書くだけで、無料です。若い女性が場内の説明を約1時間かけて説明してくれます。首かけの石とかなんだろうと見逃してしまうものや、天守閣復旧に寄付して下さった方の話とか興味深かったです。これからお出かけの方、ぜひご利用なさるのをお勧めします。

    ( みえこ)

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    熊本城の北の堀はすごい。天守閣周辺の石垣などとはぜんぜん高さが違う。ぜひ見てください。熊本城の近くに、加藤清正の菩提寺、本妙寺というのがあるんですが、ここは超おすすめ!熊本市(もちろん熊本城も)や阿蘇山が一望できるし、すごくいい。

    ( きむら)

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    熊本市役所の前にある長塀通りは絶景。特に桜の時期には、さらにパワーアップします。長塀が日本最高らしい。

    ( マラカス)

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    近代兵器にも持ちこたえた熊本城。300年の古さを超えた機能性を持っていることが、西南の役で証明された。西郷軍はどうしても熊本城を落とすことができず、城の北方に展開し、田原坂で決定的な敗戦を喫する。敗走する自軍に向かって「おはんらは加藤清正と戦争して負けたようなもんじゃ。」と西郷が言ったとか。

    ( Aki)

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    秀頼のために毒まんじゅうと知りつつ食べて死んだという、うさわがある清正。清正は、豊臣家に万一のことがあれば熊本城に秀頼を向え、家康の勢力から独立するつもりだったという説もあります。そのために築城当時の規模は中央の城郭に勝るとも劣らない壮大なものとの見方も。

    ( Aki)

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    熊本城から江戸まで268里。つまり1,000kmらしい。

    ( 半兵衛)

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    加藤清正の城として有名。一般的に日本三代名城の一つとして数えられ、特にその石垣の美しさは他の追随を許さない。九州豪族、菊池氏の一族、出口秀信が文明年間に城を築いたのがはじまりで千葉城といった。その後、鹿子木氏によって今の熊本城の南隅に築いた城が、隈本城といった。
     1587(天正15)年になって秀吉の九州討伐によって、佐々成政が隈本城に入封するが、治政を誤り失脚、尼崎で切腹すると、1588(天正16)年、加藤清正が入る。このときから、城の改築を始めるが、慶長の朝鮮出兵など戦で城を留守にすることが多く、なかなか工事は捗らなかった。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで清正は、東軍家康側につき、石高を上げることになるが、このときから朝鮮出兵などの経験をもとにさらに城を改築しはじめ、茶臼山と呼ばれた丘を中心に、千葉城、隈本城の両城を合わせた大規模な築城工事を開始したのだ。約7年の歳月をかけ、1607(慶長12)年、隈本城を熊本城と改め、現在の城の構造ができあがることになる。清正の没後、子の忠広が後を継ぐが、1632(寛永9)年、謀反の疑いをかけられ、改易。その後、細川忠利が入封、以来、細川氏が世襲し明治を迎えた。

    明治10年、西南戦争で熊本城は、西郷軍の攻撃を受け、その真価を発揮したのは言うまでもない。このとき、惜しくも天守が焼失してしまったが、現存する宇土櫓ほか多数の櫓や城門などは今の畏怖堂々と残っている。現在の天守は昭和35年に復興されたもの。清正が作った石垣は独特な曲線美と風合いを持ち、一度訪れた者の目を釘付けにする。

    ( 官兵衛)

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    熊本城の城内をGoogleストリートビューで見られるようになったぞ。

    ( shirofan)

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    熊本城の見所は、なんといっても石垣の「武者返し」です。武者返しが一番よくわかるところは、細川家の石垣と、加藤家の石垣が並んで比べられるところです。
    城は、七本槍で有名な加藤清正が築城しました。城内には、井戸がたくさんあり、銀杏の木もたくさん植えてあります。もし篭城戦になったときに兵が餓死しないように備えてあります。だから、西南戦争のときも、落ちにくくなっていたのかと思います。

    ( 11歳の熊本城主)

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    熊本城の一口城主はほかのお城の一口城主と違い城内に自分の名前が掲示されるのが魅力です。私はまだ熊本城を訪れたことはないのですが、この特典を目当てに先月熊本城の一口城主に申し込みをしました。いつか実際に熊本城を訪れた時に城内に貼り出された自分の名前の書かれた札を見たいと思います。最後に一つあまり知られていないことを書きます。先の熊本城の一口城主ですが、この制度の内容が書かれたパンフレットやホームページには一切書かれていませんが、実は「ふるさと納税」の対象になっています。なので通常、一口城主になるのに一万円かかりますが、ふるさと納税制度を使うと実質わずか二千円の支払いで城主になれます。実に八千円もお得になります。もし、今年度にふるさと納税を利用していない方がいたら、これを利用して最もお得に熊本城の一口城主になってみてはいかがでしょうか。

    ( はすきーぽんぽん)

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    熊本地震の後、修理の為に組まれていた足場が取り除かれ、美しい大天守小天守が望まれるようになりましたよ~

    ( KKRホテル熊本フロントお城好きまさみっちー)

城の情報

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