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住所:熊本県熊本市本丸町 遺構:石垣、堀、櫓、門 見所:櫓、門、復興天守 区分:平山城 城主:出田氏、佐々氏、加藤氏、細川氏 築城年代:1496(明応5)年〜 |
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加藤清正の城として有名。一般的に日本三代名城の一つとして数えられ、特にその石垣の美しさは他の追随を許さない。九州豪族、菊池氏の一族、出口秀信が文明年間に城を築いたのがはじまりで千葉城といった。その後、鹿子木氏によって今の熊本城の南隅に築いた城が、隈本城といった。 1587(天正15)年になって秀吉の九州討伐によって、佐々成政が隈本城に入封するが、治政を誤り失脚、尼崎で切腹すると、1588(天正16)年、加藤清正が入る。このときから、城の改築を始めるが、慶長の朝鮮出兵など戦で城を留守にすることが多く、なかなか工事は捗らなかった。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで清正は、東軍家康側につき、石高を上げることになるが、このときから朝鮮出兵などの経験をもとにさらに城を改築しはじめ、茶臼山と呼ばれた丘を中心に、千葉城、隈本城の両城を合わせた大規模な築城工事を開始したのだ。約7年の歳月をかけ、1607(慶長12)年、隈本城を熊本城と改め、現在の城の構造ができあがることになる。清正の没後、子の忠広が後を継ぐが、1632(寛永9)年、謀反の疑いをかけられ、改易。その後、細川忠利が入封、以来、細川氏が世襲し明治を迎えた。 明治10年、西南戦争で熊本城は、西郷軍の攻撃を受け、その真価を発揮したのは言うまでもない。このとき、惜しくも天守が焼失してしまったが、現存する宇土櫓ほか多数の櫓や城門などは今の畏怖堂々と残っている。現在の天守は昭和35年に復興されたもの。清正が作った石垣は独特な曲線美と風合いを持ち、一度訪れた者の目を釘付けにする。 |
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