- なんと、天守落雷時(天明4年)の城主は、老中松平越中守定信の兄です。つまり9代藩主松平隠岐守定国(徳川宗武男)の時で、定国は城内三之丸(現国立ガンセンター)におり、お城下の法龍寺(現中の川通り)に避難したということです。その天守の再建落成式が挙行されたのは、1853年で実に70年近くの時間が要されたのでした。時の藩主は12代松平隠岐守勝善で、彼は定国の養曾孫にあたるのです。ほんと、松山城は定国以下歴代の並みならぬ努力の賜物です。大切に見学したいですね。
[数之進 (99.11.29)]
- 松山城を松山市に寄贈したのは、最後の藩知事従五位久松定昭の養嗣伯爵久松定謨(さだこと)ですが、それを顕彰した石碑が、本丸艮櫓付近にあります。顕彰碑だけなら問題ないのですが、その字を書いた人が、徳川将軍家17代当主徳川家正です(現18代当主恒孝の養父)。来城した時、ご覧になって下さい。
[数之進 (99.11.29)]
- 本丸(標高132m)へは、ロープウェイ・リフトあるいは、徒歩で登ることになる。同じ平山城である熊本の約2.6倍、姫路の約3倍の高さ。彦根は136mだが、幕府普請であることを考慮すれば、一大名の居城としてこれだけの規模の城郭を築いた加藤義明の並々ならぬ意気込みが本丸に近付くごとに伝わってくる。
[城山神々 (98.01.30)]
- 構造的には層塔型である天守は、直線的な破風、最上層の高欄、初層・二層目の腰高下見板、連子窓に付く突揚板など、外観の意匠は幕末再興とは思えぬほど古式。
天明四年に焼失した天守を忠実に再現したのだろうか。ならば、これが復元城跡松山のはじまりとも言える。
[城山神々 (98.01.30)]
- 度重なる火災、戦災により多くの建造物を失っているが、往時を偲ばせる本丸は木造による復元を心掛けた松山市の努力による賜物。二の丸跡の中学校が廃校後発掘
調査を行い、門・多聞・土塀を復元している。今後の復元構想には愛媛県も乗り出すなど、現在進行中の城郭整備は他城のお手本といえる。願わくば、三の丸跡の球場や美術館を撤去し旧情に復していただきたい。
[城山神々 (98.01.30)]
- 交通:[鉄道] JR予讃本線、松山駅から伊予鉄道、大街道下車、ロープウエイ5分。また、JR松山駅から徒歩20分で堀之内、二之丸庭園まで徒歩15分、本丸広場まで徒歩35分、天守まで徒歩5分。その他のルートも有ります。
[伊達政宗子 E-mail:sh30027@mails.cc.ehime-u.ac.jp (99.03.03)]
[数之進 (99.11.29)]
- 資料:歴史民俗資料館が三の丸跡にある。
[城山神々 (98.01.30)]
- 資料:堀之内に県立図書館があり、そこに松山市観光課刊「松山城」、松山市教育委員会刊「松山市史 近世 第2巻」が所蔵されています。
[数之進 (99.11.29)]
- 撮影アドバイス:伊予銀行本店より松山城本壇を狙うと良し。交通量が多いのでご注意を。
[数之進 (99.11.29)]
- グルメ:夏のあつーい時に、松山城下を見ながら食べるかき氷を最高。お店のおばっちゃんは、結構親切。
[うんの E-mail:unno@paltek.co.jp (98.12.03)]
- グルメ:伊予鉄道(路面電車)の「松山市駅」横のいよてつ高島屋上階のレストラン。松山城を真南から眺望できる。また、眺望なら屋上の観覧車に乗るのも良い。
[城山神々 (98.01.30)]
- 宿泊:松山城に隣接し天守群の眺めがすこぶる良いのが「ホテルJALシティ松山
」と「東京第一ホテル松山 」。料金もネット予約で安くなる。地図で見ると「チサンホテル松山 」が最も近くにあるが、城山が大きいため、天守群のごく一部が最上階のダブルルームから見えるのみだ。なおこの3つのホテルは、リフトと反対側にあるため、歩いて城山に登らない人にはおすすめできない。松山は城のまわりにホテルが隣接しており窓から城が見えるかどうかは、こちらのサイトをチェックしよう!
[半兵衛 (03.09.30)]
- 宿泊:ちなみに道後温泉本館は銭湯感覚の温泉です。
[城山神々 (98.01.30)]
- 歴史スポット:県庁通りに伯爵久松定謨が建てた萬翠荘なるフランス風別邸があり、摂政宮裕仁親王(昭和天皇)もお泊まりになった。もちろん見学可能(愛媛県立美術館別館です)。
[数之進 (99.11.29)]
- 歴史スポット:湯築城跡へは路面電車でどうぞ。
[城山神々 (98.01.30)]
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