写真:岡 泰行

能島城の歴史と見どころ

しまなみ海道に浮かぶ能島城(のしまじょう)は、能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。

能島城の歴史

広島県尾道市と愛媛県今治市の間に横たわる芸予諸島。瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)と瀬戸内海航路が立体的に交差する、交通の要衝だ。戦国期、村上水軍と呼ばれた三島村上氏(能島家、来島家、因島家)は、ここを拠点に瀬戸内の制海権を握り、通商の安全保障や毛利氏などの大名への加担で活躍した。その戦術は、日本海海戦の参考にされたとも言われている。

大島と伯方島との海峡に位置する能島城は、周囲720m。その南にある周囲240mの鯛崎島(たいざきじま)を出丸とし、全島が要塞化された能島村上氏の居城だ。帆船時代から重要な航路の海上権を握っていた。島の中心の最高所を本丸とし、三方の尾根に曲輪を配置。沿岸部の岩礁には、船を舫う柱などを立てたと推定される多数のピット(柱穴)や、守備兵が移動する武者走りの遺構が確認されている。周囲を流れる潮流は、ときに10ノット(時速約18km)にも達し、おいそれとは近寄れない「海城」であった。

2016年4月25日、この地域は「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島─よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶─」として、歴史や文化を語るストーリーに文化庁が定める「日本遺産」に認定された。瀬戸内随一の多島美の影に刻まれた海の武人たちの記憶は、これからも長く語り継がれてくことになる。

能島城の特徴

現在、城跡の整備も進められており、能島城へのガイド付き上陸と潮流クルーズが実施中だ。大三島の東岸に浮かぶ甘崎城や因島村上氏の因島水軍城、来島村上氏の来島城とともに海賊の城を堪能する旅もいいだろう。

岩礁ピット

能島城の岩礁ピット
引き潮の時に見られる岩礁ピット(柱穴)。島全体で約460個確認されている

激しい潮流が堀

能島城の激しい潮流
激しい潮流が城の水堀の役割を果たし敵を寄せ付けなかった

船溜り

能島城の船溜り
能島で最も潮流の緩やかな砂浜「船溜り」

鯛崎出丸

鯛崎出丸能島城には、すぐ南に小さな島がある。城でいうと出丸と表現していい曲輪で、鯛崎(たいざき)出丸という。その鯛崎出丸の船着き場には石垣がある。それ以前は砂浜だった。船頭さんに砂浜だった頃の記憶を伺ってみたところ、70年ほど前、毎年8月1日の弁天さんお詣りのときに、櫓(ろ)を漕いで、その砂浜に机や神具などを持っていき、半身、海に浸かりながらお詣りしたそうだ。ということは、当時は出丸の頂上に登っていなかった。この石垣は、20年ほど前にクレーンで積まれたもので、その時に頂上の古い祠までのルートを開拓したのだとか。頂上の弁天さんまで竹藪がひどく、2時間ほどかかってたどりついたそうだ。今は史跡に指定されていていろいろと改変できないらしい。

能島城の縄張図(村上海賊ミュージアム)

村上海賊ミュージアム「村上海賊ミュージアム」へどうぞ。能島城の縄張図や水軍に関わる展示が豊富。村上水軍博物前に、村上武吉、村上元吉、村上景親の石像があるぞ。

※「村上水軍博物館」は2020年4月から、「村上海賊ミュージアム」とその名称が変更された。

宮窪町に伝わる民話

余談ながら最後に民話に触れておきたい。鯛崎島の南側に地蔵がある。潮流体験のボートからよく見える地蔵だ。これはいつ設置されたのかは分からないらしいが「クジラのお礼まいり」の地蔵だという。今治市宮窪町に伝わる民話がもとで『まんが日本昔ばなし』でも紹介されている。今でもお地蔵様は磯の上に座って修行に励んでおり、海の安全を祈っている。

能島城の散策コース

能島城を見るには、村上海賊ミュージアム前から潮流体験の船が出ているのでこれに乗る。かつては能島の周囲を船でまわるのみで4月に桜を観るために上陸が許されていたが、2016年度は、潮流体験に加え上陸もできるクルーズがある。出航日が決められているため、必ず事前確認を。平日は原則として運航していないが、10名以上で予約ができることもある。なお、2023年からの能島城上陸は、土日祝のみの1日3回で、最少催行人員10名の予約で催行、ツアーはガイド・スタッフ付きで自由行動無しの約1時間となっている。詳しくは下記サイトで。

能島城跡上陸&潮流クルーズ
※要事前予約(上記の申込みサイト参照のこと)
運航時間:9:45〜 11:45〜 13:45〜(所要75分)
運航日:土・日・祝

宮窪瀬戸潮流体験
運航時間:毎日9:00~16:00(毎時00分運航)月曜定休

ちなみに筆者は2001年、2014年と二度、能島に上陸しているがこの時は、先の上陸ツアーは無く、広島のFさんのご尽力で2時間30分と充分に時間を得ての上陸となった。当時は広く知られていなかった能島城だったが、学芸員さんの案内で東部の海岸も歩き、大穴や岩礁ピットを見ることができた。

なお、現在の上陸ツアーの方は、滞在時間も決まっていて散策範囲も絞られている。もしくまなく散策できるのであれば、周囲約850mの小島だが能島城全体の遺構をくまなく見ることはできない。村上海賊ミュージアムに立ち寄り縄張図を参照して、散策範囲の中で予めどこを見るのか決めておくと良い。

また、島だからといって服装は油断してはいけない。例えば夏にいくにしても、海だからサンダルでといきたいところだが、蛇などいたら大変なので、しっかり運動靴でどうぞ。能島にはトイレも無いので船に乗る前に済ませておこう。

能島城と鯛崎出丸の間の激しい潮流なお、上陸ならびに、潮流体験は、できるだけ潮流が激しい時を狙いたい。最も潮流が激しいのは、満ち潮(南流)ではなく引き潮(北流)の時。多くの写真は、満ち潮時のものが多く、島の北東側の波を写したものが多い。引き潮の時のみ、能島と鯛崎出丸の間に激しい流れが現れる。

能島城の撮影方法

能島城の桜を伐採

潮流体験の船頭さんのお話によると、能島の桜は、その昔、空が見えなかったほどだという。史跡で新たに桜を植えられないので、年々減る一方なのだとか。2022年8月、能島城の南側平坦地を除いた、本丸含む全てのエリアで、桜を伐採した(桜の木々により地中に水の流れが出来てしまうのを防ぐため)。本丸や各曲輪より眺めがぐんと良くなっている。

カレイ山展望公園から遠景を撮る

カレイ山展望公園「カレイ山展望公園」から島を見下ろすかたちで眺望が得られるぞ。カレイ山展望公園は村上海賊ミュージアムから、車で4.4km(約13分)(今治市宮窪町宮窪6355-2)。詳しい場所は上記Googleマップ参照。

能島城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る能島城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

能島城の関連史跡

幸賀屋敷跡

幸賀屋敷跡最も能島から近い歴史スポットといえば、能島村上水軍の館跡と推定されている幸賀屋敷跡。台地と井戸跡、石碑のみ。丘陵上には宮窪城跡がある(宮窪城は遺構や石碑は無い)。詳しい場所は上記Googleマップを参照。

 

能島村上水軍の当主、村上武吉の墓

村上武吉の墓能島村上水軍の当主、村上武吉の墓は武吉夫人の墓とともに、ちょっと遠いが周防大島にある。瀬戸内海で勢力を誇った村上水軍は、関ヶ原の戦いの後、消滅。能島村上水軍の当主、村上武吉は周防大島(山口県)の小さな集落で最後の3年を過ごし1604年に没した。集落近くの瀬戸内海を見下ろす山に、今もひっそりと眠っている。明治になり、武吉が著わしたとされる水軍の兵法書が、秋山真之によって日本海海戦の際に参考にされたとのだとか。詳しい場所は上記Googleマップを参照。

 

しまなみ海道の有名城 + 大山祇神社をセットで

大山祇神社しまなみ海道で有名城であれば、本州側から順番に「因島水軍城」、「甘崎城」、「木浦城」、「来島城」、「小島(芸予要塞跡)」といったところ。もちろん、大三島にある大山祇神社も忘れずに。源義経・源頼朝・武蔵坊弁慶などが奉納した武具のほか、武家にまつわる国宝や重要文化財が多数見られる。また、非常に珍しい女性用の鎧(紺糸裾素懸威胴丸)がある。ちなみに、鶴姫のものとされているが定かではないらしい。鶴姫は戦国時代の伊予の女性で大三島合戦で活躍したという伝承がある。

能島城のおすすめ旅グルメ

物産館兼魚食レストラン「能島水軍」村上海賊ミュージアムの船乗り場に、物産館兼魚食レストラン「能島水軍」がある。生け簀もあって海の幸ずくしで海鮮バーベキューも。

能島城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

付近に宿泊処はない。しまなみ海道を渡って、海賊の城めぐりと考えれば、本州側の尾道か福山城付近で一泊か、四国側の今治城付近で宿をとることを考えよう。

能島城のアクセス・所在地

所在地

住所:愛媛県今治市宮窪町宮窪 [MAP] 県別一覧[愛媛県]

アクセス

マイカー利用

しまなみ海道、大島北ICから東へ約3km(6分)、村上海賊ミュージアムを目指す。村上海賊ミュージアム前が、潮流体験の乗り場になる。駐車場は、乗り場と村上海賊ミュージアム両方に、無料駐車場がある。

鉄道利用

JR山陽新幹線、福山駅からバスしまなみライナー約70分「大島BS」にて降車、島内のバスに乗り換え「大島営業所(宮窪)・早川・友浦」行で約11分「大島営業所(宮窪)」にて降車、島内バス乗換約5分「村上海賊ミュージアム」降車、徒歩1分。

城ファンの気になるところ (9)

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    能島城の鯛崎出丸にある弁天様の復興祭に立ち会うことができました。波打ち際では今でも土器の破片を見ることができます。

    ( Hodaka Toya)

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    普段は、潮流体験のボートに乗って、能島の周囲をまわるしかない。周囲からは、岩礁ピットはさすがに見られないが、船着き場跡や武者走などが見られる。そして、なによりも、その動きを知らなければ近寄ることさえできない潮流の速さを体感できる。

    ( shirofan)

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    能島城は島のまわりの潮流が激しく、その流れを把握していなければ、島に近寄ることができない。水軍の城は、まわりの潮流が城の水堀の役割を果たし、敵を寄せ付けなかった。能島城の周囲は最大10ノットの潮流(時速約18km)と体感するととんでもない速さ。

    ( shirofan)

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    大島と能島の間の荒神瀬戸は潮流が最速8.9ノット(時速15.5Km)の急潮場(来島海峡中水道の10ノットに次ぐ)。水は流れている方向に障害物が有ると、その後面や側面で主流と反対方向の流れを生む。すなわち澱みで能島の東西に出来る様です。これを上手く利用した様に御座りまする。水軍は潮流を熟知し、それを上手く利用した様に御座りまする。なお、こういう急潮場の瀬戸では、大船より関船、小早の様な小舟の方が小回りが利いて、操船し易い様に御座りまする。また「能島城」再現イラスト(香川元太郎氏)では、島の周囲は全て丸太の桟橋が造られ、いかなる潮流にも対処出来た様に御座りまする。又、隣の鯛崎島(出丸)とは、吊り橋で繋がって居たと想定されて居りまする。

    ( まつかぜ)

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    建物跡9棟確認 能島城跡愛媛新聞能島村上水軍の拠点・能島城跡(国史跡、今治市宮窪町沖)を発掘調査中の今治市教育委員会は、城跡の二之丸で居住施設とみられる9棟の掘っ立て柱建物跡などを確認したと発表した(2012年2月)

    ( 愛媛新聞)

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    史跡能島城跡の石碑は、能島に上陸しなければ見ることができない。また、簡単な縄張図案内板も島内にある。

    ( 城好きの匿名希望)

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    著書『村上海賊の娘』和田竜による歴史小説の舞台のひとつ。

    ( 城好きの匿名希望)

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    海賊の城では、岩礁ピットがその見どころ。2001年現在で、柱の根元部分が入ったままの岩礁ピットがあったが、2014年に再訪するとさすがに無かった。また、10年の歳月で、波に洗われてピットの数も減ったような印象を受ける。

    ( shirofan)

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    約150本の桜(ソメイヨシノ)があり、風情ある桜の名所としても知られているが、これらは昭和初期に観光資源として植えられたものだ。近年、この桜が地中の地鎮祭を行ったされる遺構を破壊していることが確認され、今後、伐採や移植を進める方針なのだとか。

    ( shirofan)

城の情報

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