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宇喜多直家が永禄年間に金光宗高を謀殺して奪取し、本拠とする。本格的な築城は子の秀家の時(1582〜1600年)で、現在の本丸辺りが整備され、旭川を付け替え工事して城の外堀とし、天守閣が築かれ、岡山市の基礎が出来あがる。1600年に秀家が関ヶ原の合戦で没落すると、小早川秀秋が入城し、二十日堀(現在の柳川通り)などを築いて拡張工事を行うも、2年後に病死し、嗣子なく改易。その後池田忠継(輝政の子、1615年夭折)、忠雄(同左1632年没)、光政(忠雄の甥、鳥取藩主から交替)と、池田氏一族が城主となり、その後は幕末まで光政の子孫が歴代城主となる。
第二次世界大戦の戦災を免れた本丸唯一の建物である月見櫓は忠雄時代のもの。光政の子綱政のとき(1700年)、東北の外郭として後楽園が築庭された。
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