合戦東軍西軍どちら派 三成派(1049票)
家康派(535票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(175票)
2位 島津義弘(113票)
3位 真田幸村(102票)
4位 島左近(92票)
5位 小早川秀秋(82票)
中条越前守 さんからのご投稿(2003.01.08)

三成派 石田殿の忠義心は家康に勝る!石田殿のような御方は一人は持っておきたいものだ。それを得た太閤様が羨ましいくらいものだ。それにいちゃもんをつける徳川など味方する気になりませぬ。自分を正当化させるために、石田殿を悪く言ういわゆる「徳川思想」は、あの当時の歴史を狂わせる愚行だ!

福島正則 騙され続け、あげくのはてにポイ捨てされた。家康はなにを考えておるのだ。福島殿が哀れでしかたない。

ジョン さんからのご投稿(2003.01.07)

三成派 それがし三成公を心より尊敬しております!三成公は江戸時代の学者と徳川思想を今日も信じつづけている学者達の手により「主君の寵を笠に着て、豊臣を滅ぼした奸臣である」とされておりますが、それがしが思うに、それは江戸の学者や江戸時代に自分の身分を誇示し悪逆の限りを尽くされた徳川幕府の人間達が賜るべき言葉であり、三成公に賜るべき言葉ではないと思っています!そんな人間達に忠義だの義理だのを語る資格は無いと思います!!!そして、徳川思想を今日も信じつづけている学者達から正しい評価を得て、真の三成公が人々から評価される事を待ち望んでおります!!!!

福島正則 それがしが個人的に好きだからです!それがしのくだらぬ考えを述べさせてもらうなら、恐らく改易処分後の正則公は、自分の非を悟り三成公や太閤様に深く詫びるために、観音様を拝んだのではないでしょうか。それとは別に他の子飼いの臣はそれに気づくことなく自分のやった事に満足し己の非を悔いることなく死んでいったのではないかと思っております。正則公は忠義の士としての道は外れていても人としての道は外れていないと、それがしまことに勝手ながら思っております!!!!

キック・ザ・カンクロー さんからのご投稿(2003.01.06)

三成派 私はまさに、根っからの三成派! また、今年の大河ドラマの主役・日本一の剣豪の宮本武蔵さんも岡山生まれなので三成側の宇喜多秀家軍に従軍!

池田輝政 「新免武蔵(しんめんたけぞう)」を改名させ「宮本武蔵(みやもとむさし)」の名付け親となったこと、今の今まで知らなかったよー!!天下の名城・姫路城をつくっただけじゃなかったんだねー! 関ヶ原では家康に加担した憎き大名なれど、大河ドラマ「武蔵」での中村勘九郎さんの輝政役、楽しみだよ!

ハイティーン溥儀 さんからのご投稿(2003.01.06)

三成派 家康も若い頃だったら、私は嫌いではなく同情もできるのですが(信玄相手の「三方ヶ原」や、「築山殿・信康事件」の頃)、秀吉・利家死後〜関ヶ原〜大坂の陣・豊臣家滅亡に至る時期の家康は日本史上「超」最悪の人物と言っても過言ではないでしょう!

大谷吉継 石田三成、大谷吉継、島左近など義に殉じた西軍武将たちの生きざまは、忠臣蔵以上に胸が打たれます!

ドモン さんからのご投稿(2003.01.01)

三成派 三成が勝てばもっと有力武将がでてくるかもしれないから。(戦国時代がつづから)

真田幸村 真田十勇士がいるのにたった一人で徳川軍勢につっきって入ったから

阿波守 さんからのご投稿(2002.12.31)

三成派 秀秋が裏切らなければ西軍は勝っていた、、、、、家康は戦下手だから勝っていたはずだったのに、、

小早川秀秋 この裏切り者、秀家の岡山城を汚しやがって、、、、後に秀秋は死んでお家断絶いい気味だ。

萬田金次郎 さんからのご投稿(2002.12.28)

三成派 そりゃー、どないゆうても、豊臣家の大忠臣の三成ハン、ほんま大好きでおまっせい! なにぃ、家康やてぇ? あのタヌ公、とことんワシが鬼の追い込みかけたるさかいのうっ!!

大谷吉継 吉継ハンの義と友情、ほんま泣けてくるわ・・・・・。西軍の武将ハンら、みんな偉いわのうっ! それにひきかえ秀吉ハンの家来やったくせしてタヌ公に一味した連中ども、この金次郎さまが鬼となって地獄の果てまで追い込みかけさせてもらいまっせいっ! 覚悟しておくんなはれやあっ!!

治部ラルタル海峡 さんからのご投稿(2002.12.28)

三成派 えーっ!、「家康派」の人たちって、いるの?!  徳川家の子孫の人々以外は、普通は三成びいきでしょう。普通はね。 まあ、国民の道徳心の崩壊が問題になってる今の日本には、たぬきフェチの「天然記念物」みたいな人たちがいてもおかしくないのかな・・・・・。

吉川広家 この広家が「臆病」でなくて、「勇気」がそなわっていれば・・・・・。南宮山にこの人のお父さんの吉川元春、松尾山には金吾でなく、先代の小早川隆景がいたら、たぬきのじいさんはあっという間に壊滅されていたのになあ。 いわゆる元就の遺言は、ことここに至っては関係なく、合戦の状況に対し、臨機応変に動ける大将が「両山」に陣取っていたら、吉川・小早川の「両川」の家もずっとビッグになっていたろうに・・・・。

檀さん大和田さん、檀さん。 さんからのご投稿(2002.12.28)

三成派 石田三成こそ、大和魂(やまとだましい)の伝道者!

島左近 島左近こそ、武将中の武将。

豊臣に栄光あれじゃー! さんからのご投稿(2002.12.28)

三成派 徳川家のほとんどの武将が嫌いだからじゃ!豊臣に好きな武将が多いからじゃ!関ヶ原と大阪の陣は豊臣好きのわしには辛いものがある。なぜなら関ヶ原では武断派と文治派が東西にわかれて争い、大阪の陣では豊臣が滅亡してしまうからのう・・悲しいのう・・トホホホホホ・・

小早川秀秋 貴様ー!ゆるさんからのー!!呪ってやるからのー!!!家康もじゃー!!!!

熱いぜ!治部 show you さんからのご投稿(2002.12.26)

三成派 数年前、「タイタニック」という、実話をもとにした映画が大ヒットしましたが、まさに関ヶ原前の豊臣家は、「朝鮮出兵」という名の氷山にぶつかったタイタニック号に例えられるでしょう。しかし船長の秀吉亡き後、乗組員(家臣)たちが、心をひとつにして協力しあえば「沈没」も防げたはずでした。 三成ら西軍のメンバーは乗組員としての責任・義務を最後までまっとうしようと必死に「沈没してなるものか!」と頑張った敬服すべき人たち。 福島・黒田・浅野・藤堂ほか(豊臣恩顧ながら)東軍についたメンバーは、「タイタニック」に例えれば、近づいて来た救命船(徳川丸)に「われ先に助からん!」と、守るべき乗客をも押しのける勢いで飛び乗ったような人たちです。

加藤清正 関ヶ原で気になる、というより、この人が大阪の夏・冬の陣まで存命だったらどういう行動をとっていただろうか?と非常に気になります。わたしは基本的に三成が好きなのですが、彼と仲が悪かったと(通説では)言われる清正も好きです。天下の名城・熊本城にも7度行っております。(九州に住んでることもあって・・・いつ見ても美しい城です!)関ヶ原時、九州東軍部隊だったようですが、徳川の世になったのち二条城での家康と秀頼の会見に、秀頼のSPとして同行しましたよね。その時点では豊臣家に対する忠義心は三成と同じだと信じているのですが・・・。 まあ、大阪の陣の3〜4年前に亡くなって良かったのかもしれませんね。 真田幸村や後藤又兵衛と同様にはあの時大阪城に入っていたとは到底考えがたく、そうなれば、わたしだけでなく、日本人の加藤清正に対する評価やイメージは現在のものとだいぶ変わっていて「清正公(せいしょこ)さん」という言葉自体も存在しなかったかもしれませんから。

ジェロイモ? さんからのご投稿(2002.12.26)

三成派 狸の世がつまらなくて仕方が無いから!!豊臣が好きだから!!秀吉ー!!秀頼ー!!

本多忠勝 徳川一派と不愉快な仲間達によって作り出された、狸ワールドなんぞ胸くそが悪くなるだけで何もおもしろもくないしバカげてる!!豊臣新参の将達やバカ供はともかく、子飼いの臣(清正、嘉明のダブル加藤、正則、浅野親子)達にはホント頭が下がるよ!!太閤も死ぬ前に泣いて秀頼を守ってくれと頼んだのに、貴様らは一族でありまた子飼いでありながらも見事太閤のご遺言を破りやがった。てめえらみたいな奴らが一族と子飼いってのが納得できない。それに引き換え三成は何の関係も無いのに、命をかけて狸の野望を阻止しようと試みた勇気!!ちっとは見習え!!まっさにこれぞ痛快!!男の中の男!!小早川や吉川(西軍傍観者のバカ供)達については、小早川のバカと傍観者のバカ供はともかく、吉川の気持ちの理解にはとても苦しむ。西軍につき、狸めに襲い掛かれば傍観者のバカ供や小早川のバカも狸に攻め入り西軍が勝利し、西軍を勝利に導いた勲功で毛利家の大加増も間違いなく、毛利の繁栄間違いナシでめでたし、めでたし、だったのに、どうして狸を勝たせるような愚挙に及んだのかがわからない。おまけに狸が毛利の領地を減らし約束が空手形で終わった事、そして自分が皆から裏切り者呼ばわりされるのがそんなに面白い事だったのか?全く理解できない意味不明で謎な行動だ!!恐らく、こんな迷将(徳川一派と不愉快な仲間達、そして裏切り者や傍観者達も)は稀にいないだろう。日本の恥だ!!如水や秀康、忠輝(狸の六男)については、全くもって哀れだ。彼らや西軍で散っていった武将達、または減封された人達(真田親子、小西、宇喜多軍の皆様、戸田、平塚、佐竹、大谷、石田主従、立花、上杉家の皆様など)などは、終生忘れる事の出来ない英雄であり、勇気ある武将達だと信じている。要するに狸(徳川家)に逆らった奴はすごいんじゃあ!!

細川 さんからのご投稿(2002.12.24)

三成派 なんといっても家康がにくいそれに、三成の豊臣を思う心に感激したから。

真田昌幸 秀忠軍を足止めした功は大きい!

三成ファン さんからのご投稿(2002.12.24)

三成派 利家とまつでいい活躍をしていたし家康は何故かウザイから

宮本武蔵 何故家康側じゃなかったのに家康の家来になれたのかが疑問に思うし、大河ドラマにもなるし、こいつはただの剣士なだけで武将とは知らなかったぜ

ロナウド さんからのご投稿(2002.12.22)

三成派 本来、家康は信長の同盟者(力関係では一応、イコール) 三成の主君は秀吉、さらにその秀吉の主君が信長。 つまり、「家康派or三成派?」と、三成が家康と同じ土俵に上がっている時点で(こういうコーナーがあること自体)、三成の大勝利!! それは史実での合戦の勝敗の結果など、まったく問題外のこと!こう言うと、「それは三成がたまたま秀吉に仕え、本能寺の変を契機に秀吉がたまたま運良く天下人にまでのぼりつめたからだ・・・ 三成はコバンザメであって、自分だけの力でここまで来ていないよ。」とおっしゃる御仁がいらっしゃるでしょうが、そんな御仁の寝言のような言い分は一蹴すべし。はるか彼方まで蹴り飛ばしてくれん!

真田幸村 とてもカッコイイ武将。 大阪冬・夏の陣でも豊臣方として参戦し、にっくき家康をもう少しで討ち取っていたところだったから!

ドォーッと、混むぅ! さんからのご投稿(2002.12.22)

三成派 西軍の諸将の生きざまに胸が打たれる。アツイものを感じる!

大谷吉継 友情という言葉が無意味とされた戦国の世での、吉継の行動には、「こうごうしさ」を感じずにいられない!

人情の佐吉! さんからのご投稿(2002.12.22)

三成派 三成って、よく冷たぁーい人間みたいに描かれがちだが、ほんとは、とてもあったかい人だと思う。100歩ゆずって、冷淡だったり横柄だったりキツイ性格だったとしても、それはあくまで自身と同じような立場の武士・政治にたずさわるごく一部の為政者に対してのみの態度。日本に暮らす大多数の民衆に対しては、優しい政治をほどこさねばと、日夜、三成は心を砕いていたであろう。 戦国武将でありながら「政治家は公僕」という、おのれに厳しい姿勢をつらぬき、あるいはひょっとすると「民主主義」という概念にまで到達しかかっていたのでは?(武将でありながら!)とさえ思えるほど三成は時代をはるか先取りした、我が国屈指の偉人である。(先取りしすぎて他の多くの武将たちがついて来れなかっただけだ。) 今のすべての政治家たちは、三成を師とすべし!

毛利輝元 大阪城にとどまらずに、やはり、美濃まで出て来て欲しかった。  おのれ自身の運をさらに開く為にも・・・・。 輝元は萩に移された後、きっと、関ヶ原に向かわなかった事を非常に後悔しただろう。  先に述べた三成の件だが、「主君からもらった給料は公(おおやけ)のためなら惜しみなく使うべきである。 カネを貯め込み過ぎるのは、給料どろぼうである。」と三成が常々述べている点や、関ヶ原後に攻略された佐和山城の内部が、とても質素で、大名の城の中とは思えないほど粗末であったことからも、三成がひたすら滅私奉公の人で、私腹を肥やそうという邪心などなかったことが明らかである。 やはり、「民主主義」の観念までは持ってなかったにしても、少なくとも「為政者は公僕」という観念は持っていたと容易に想像できる。

最強竜 さんからのご投稿(2002.12.21)

三成派 秀頼を立てようと努力したから。

島津義弘 敵中突破が格好良かったから。

安田冶部少輸 さんからのご投稿(2002.12.21)

三成派 冶部殿は、義に厚く、すばらしい人柄だから。家康なんぞとはわけが違うわ、身の程を知れ狸めが、あまり図に乗ると、冶部殿と共に、我が上杉が成敗いたすぞ。

津軽為信 偉い!冶部殿の死後、その一族を保護するとは。東軍にも見所のある奴がいるものだ。結城秀康殿の石田正宗もすばらしい。己の欲望のために動く家康めとはわけが違う。

恐縮です!梨本です! さんからのご投稿(2002.12.19)

三成派 恐縮ですが、石田治部少輔三成公のファンです。ちょっと、古い流行語ですが、アムラーやナオラーに対抗して、三成公の官位名をとって、三成ファンのつどい・「じぶラー」の会を結成したいものでーす! 恐縮です!

田中吉政 今年(2002年)なにかと話題の、「田中さん」が、関ヶ原に参加していた!大スクープだ!でも、この人も近江出身で、大谷刑部公同様、三成公の友人だったんでしょ・・・。しかしやはり、寄らば大樹の陰、お家大事か・・・・。まあ、吉政公の当時の苦しい胸の内、よくわかります。賤ヶ岳の合戦の時の唐沢・・もとい、前田利家公の苦悩とよく似た心境だったと、恐縮ながら推察いたします。吉政公もやはり多くの家臣とその家族の命を預かっているわけですから。 でもそれだけに、吉政公とちょうど対照的に、大谷刑部公が友情・義を最優先されたことに「感動した!」  ライオンヘアー総理もある雑誌の中で、治部様と刑部様の有名な茶会でのエピソード(三成だけは飲んでくれた!)を歴史作家の先生と話していたしね。確か、まだ総理になる前ですが。  ま、とくかく、「田中さん」だけは、憎めないよね・・・!  恐縮でしたあー!

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