日本三大連立式平山城
連立式天守とは、複数の天守や櫓を多聞櫓で結び、全体を一体の防御構造とした形式である。なかでも姫路城(兵庫県姫路市)、伊予松山城(愛媛県松山市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)は、日本三大連立式平山城として名高い。姫路城は大小の天守を巧みに結び、白鷺のような優美さと堅牢さを併せ持つ。伊予松山城は連立式天守の典型で、櫓群と石垣が立体的に連なる壮観を見せる。和歌山城は徳川御三家の居城として重厚な構えを誇り、三城はいずれも技巧と美を極めた平山城の精華である。
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姫路城の歴史と見どころ 美しい写真で巡る | 兵庫県姫路市の城 – お城めぐりFAN
日本で最初に世界遺産に認定された、国宝姫路城。縄張りの匠さに加え、日本の城の中で現存規模が最大の城といってよく、本ページではその構造や見どころを歴史ファン目線で解説する。建築美においても工人たちの知恵に触れることができる姫路城、美しさを知る城郭カメラマンが解説する。
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松山城の歴史と見どころ 美しい写真で巡る – お城めぐりFAN
伊予松山城は標高132mの味酒山に築かれた平山城だ。築いたのは「賤ケ岳の七本槍」に数えられる一方、築城の名手とも称された加藤嘉明。その後、蒲生忠知が築城途中であった二之丸を完成、以降、久松松平家が明治まで続く。1784(天明4)年、落雷による火事で、大天守や本壇を消失、1854(安政元)年、焼失前の姿に再建された。
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和歌山城の歴史と見どころ 美しい写真で巡る | 和歌山県和歌山市の城 – お城めぐりFAN
和歌山城(わかやまじょう)は徳川の西国支配を担う南海の鎮の城だ。天正13年(1585)、紀州を平定した豊臣(羽柴)秀吉は弟の秀長に命じ、紀ノ川左岸の虎伏山に和歌山城を築かせた。築城の名手、藤堂高虎が普請奉行を務め、近くの景勝地、和歌浦にちなみ和歌山城と名づけられた。緑泥片岩が石垣に使われている。