写真:岡 泰行

小田原城の歴史と見どころ

小田原城は3つの時代に築かれた城郭からなる。中世の大森氏時代、戦国の後北条氏時代、そして江戸期の譜代大名の時代だ。後北条氏時代に城は拡張され続け、小田原城は戦国最大級の城となった。後北条氏滅亡後は家康の領土となり、家康は幕府直轄の築城で巨大城郭や八幡山を廃し、現在の位置にその中枢部を移し総石垣造りで築城、明治を迎えた。この壮大な歴史と見どころを紐解いてみよう。

小田原城の歴史を紐解く「北条氏の本拠、巨大要塞」

北条氏の本拠、巨大要塞、小田原城。相模国(神奈川県)の西端にあり、南は相模湾、西は箱根連山、その山を隔てて駿河国(静岡県)と接している。東国と西国を結ぶ主要な幹線道であった東海道に沿い交通の要衝でもあった。海と山を天然の要害とし小田原城は建てられている。小田原城の秘密に迫る歴史を紹介。

小田原城の特徴と構造

小田原城は江戸時代には、関八州の東海道側の入口を守りまた徳川を威厳を示すため、関東の譜代大名の中では、唯一、天守があげられていた城だ。現在見られる小田原城の特徴を見ていこう。

天守

現在見ることのできる天守は、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで再建され、平成28年(2016)に耐震改修工事が行われ外観が一部変更されたものだ。
小田原城天守閣
八幡山古郭から見る小田原城天守と相模湾

再建時に参考にされたのは、宝永3年(1706)に再建された際の天守雛形2つと、取り壊し中の写真だ。天守雛形は大久保神社蔵のものと小田原城天守閣蔵(旧東京大学蔵)のものの2つで、前者が大工がその材や構造を理解するため柱が向きだしになったもの、後者は例えば真壁造りなど外観の意匠が鮮明に分かるものだ。この雛形と現天守を比較すると、三層目の回縁は当時は無かったことが分かる。また、天守台は関東大震災のときに崩落したため、積み直された石垣上に再建されている。このため附櫓やその出入口は当時の姿ではない可能性があり、現天守は部分的な外観復元となる。

また、小田原城の天守を見るとふと気がつくことがある。三層の天守だがその一層目は、窓が2階分見られることだ。一層目が二階建の造りとなっている。天守1階の面積が五層の天守を築けるほど大きいといわれ、このため、二層目と三層目の逓減率が大きくとられている。三層という小規模に思える天守が間近で見ると結構な迫力を感じるのはこのためだ。

本丸の城門と塁壁

本丸への出入口は、常盤木門と鉄門があった。常盤木門は本丸の正門で昭和46年(1971)に、宝永3年(1706)に再建された枡形のかたちで復元されている。長押が見られる美しい外観で城門は鉄板張りとなっている。一方、鉄門は、本丸北側の急勾配の斜面に埋門が2つ連なる虎口だったが、関東大震災で石垣が崩落してしまい現在その姿を見ることはできない。
常盤木門
小田原城本丸の正面玄関、常盤木門虎口。鏡石が無いことに違和感を感じる。石垣は積み直されている。

本丸塁壁には鉢巻き石垣が巡っていた。鉢巻き石垣とは下方が土塁や切岸で造られ、上部のみ石垣が築かれているタイプを言う。これらは関東大震災で崩落しすべて失われてしまった。先に触れた本丸虎口の常盤木門の石垣も当時の姿ではない。
関東大震災で崩落した小田原城本丸石垣
横矢掛かりの隅石が関東大震災でそのままずれ落ちた様子

現在、関東大震災の爪痕として本丸南側で見られる崩落した石垣はまるで、下方にあるため腰巻き石垣にようにも見えるが、それは上部からその形を保ったままずれ落ちた鉢巻き石垣という訳だ。

銅門と二の丸

本丸の東側一帯が二の丸だ。二の丸の正面玄関にあたるのが銅門(あかがねもん)で、平成9年(1997)に復元されている。その南側には馬屋曲輪と御茶壺曲輪が配置されている。本来の登城ルートは、三の丸から二重の枡形を通り馬屋曲輪に入り、二の丸の銅門へと至る。馬屋曲輪はその名の通り馬屋がありその礎石が出土している。馬屋曲輪の西側は堀と仕切りを隔てて御茶壺曲輪(馬出曲輪)が配され守りが固められているため、容易に二の丸銅門には近づくことができない構造になっている。
小田原城の銅門
小田原城二の丸の正面玄関にあたる銅門(あかがねもん)

銅門から見る天守と常盤木門の多聞櫓
銅門から見る天守と常盤木門の多聞櫓

小田原城の銅門虎口
銅門虎口は、渡櫓門、内仕切門、土塀で構成される枡形虎口

銅門虎口は、渡櫓門、内仕切門、土塀で構成される枡形虎口で周囲には水堀が設けらた。そこにかかる木橋を「住吉橋」といい、平成2年(1990)に復元されて後、平成30年(2018)に架け替え工事が行われた。銅門は渡櫓門に銅板の装飾がなされていることが、その名の由来となっている。御茶壺曲輪にも由来があり、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事「御茶壺道中」がそこで休息することに由来する。

小田原城二の丸隅櫓と石垣
復興された二の丸隅櫓と二の丸水堀

復興された二の丸隅櫓は城内側から見ると分かるがL字型だ。だが当時はそういう形ではなかった。また、二の丸の石垣は、対岸の道路上から見ると高さが無いが、すべて関東大震災で崩落したもので、当時の半分の高さに積まれている。写真右手奥の橋は観光用に架けられたもので当時は無い。20年ほど前までは二の丸隅櫓付近から馬出門付近にもう一本、観光用の朱塗りの橋が架かっていた。

三の丸の痕跡

小田原城三の丸幸田口門跡三の丸は、二の丸や城米曲輪(御用米曲輪)、南曲輪などその三方を囲むかたちで配置されていた。現在、その多くは都市開発で消滅している。かつては東に大手口、北に幸田口、南に箱根口が設けられ、それぞれ総石垣の枡形虎口となっていた。現在、その痕跡が、大手門跡に多少の石垣、幸田口門跡に土塁と石垣、箱根口門跡に多少の石垣が残っている。

後北条氏時代の痕跡

小峯御鐘ノ台大堀切北条氏の築いた小田原城、その中心部は現在の小田原高校の兵とその東に丘にあったとされ「八幡山本丸」など呼ばれてきたが、現在の八幡山古郭から、天正年間以前の出土品が無いことから、中心地は現在の城址公園の範囲にあったとも考えられている。天正16年(1588)の豊臣秀吉の侵攻を前に北条氏政・氏直父子は総構の普請を始めた。この時の堀と土塁は周囲約9kmに及び築かれている。現在、小峯御鐘ノ台大堀切(写真)や早川口遺構、山ノ神堀切、稲荷森、蓮上院土塁など、数多くの場所で総構えの痕跡を観ることができる。

(文・写真=岡 泰行)

参考文献:
『日本城郭大系』第6巻 新人物往来社・『名城を歩く18小田原城』PHP研究所・小田原城WebSite・小田原市WebSite

小田原城の書籍や現地資料館など

小田原城の書籍は、市内の書店等に小田原市史別巻『城郭』が売っています。小田原城の歴史・縄張・絵図・古写真・解説等が豊富に載っています。お城でもらうパンフレットより詳しい情報が欲しい方、お勧めです。古文書の類はほとんど神奈川県の文書館や博物館にあるようです。城の中は武器や調度品、地元の民芸品が主でしょうか。また、意外に観光客に知られていませんが、二の丸のほうに、小田原の民俗資料館があります。そこでは、刀剣などが、無料でみられます。そのほかにも壺など小田原の歴史関連の物が展示してあります。 そして、「歴史発見館」では小田原評定の場面が蝋人形の演技で見られます。小田原城をバックにプリクラがとれます。実物大の禄寿応印が押せます、などなど。本格的に研究したい人にはちょっと物足りないかもしれないですが、いろんな意味でけっこう楽しいですよ。ちなみにこの建物の監修は小和田哲男さんだそうです(文:かやきひかる・村松成高・なべっち)。

小田原城の散策コース

小田原城散策マップ初めて訪れたなら主要部をしっかり見ておくと良い。JR小田原駅東口から徒歩で小田原城へと歩く。その道すがら、「北条氏政・氏照の墓所」と「幸田口門跡」を通り見て城址公園へと向かう。小田原城址公園へ入城する場所は「馬出門」からが良い。城内では復元された二の丸銅門を通り、常盤木門から本丸へ。小田原城天守閣を観た後は、本丸の南側に降りて関東大震災で崩落した石垣を見て引き返し、城址公園を西に出て、八幡山古郭東曲輪を経由してJR小田原駅西口に戻り、北条早雲銅像を見ると良いだろう。

なお、戦国期に北条氏が築いた総構えの土塁遺構は、小田原市から『はじめての総構』パンフが発行されているので参考に巡るも良し、また最近はGoogleマップにもつぶさにプロットされている。周囲約9kmに点在する痕跡(高低差あり)を徒歩または電動レンタルサイクルなどで巡るも良し。

小田原城の撮影方法

八幡山古郭東曲輪からの眺め天守は東南からの撮影が良い。つまり午前中が順光で綺麗に撮れる。その他、城門など主要な見所は午前中の撮影が良い。または、近年、整備された八幡山古郭東曲輪から、小田原城天守閣と、相模湾の眺望を。こちらは早朝であれば朝日とセットで、夕方であれば、順光の撮影が望める(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

小田原城天守閣は、約9億9千万円をかけて耐震改修工事を行い(2015年7月から2016年4月末)。2016年5月にリニューアルオープンした。リニューアル後の外観は、壁の白さが際立ち、高欄と避雷針など一部が変更されている。最近の自治体の傾向として、リニューアルした天守は、リニューアル後の写真しか認めないケースがあり、小田原城もそうである。気持ちは分かるが、リニューアル前に撮られた写真を用いないとなると、今後、メディアに露出する天守写真は、白い壁と青空といった、統一されたビジュアルばかりになってしまい絵的には単調なものが続くことになる。姫路城も修復後は白さ訴求が目立ったがそれ以前の写真は否定しなかった。小田原城天守には本来、沢山の情景がある。写真の持つリーチ力を考慮に入れていない気がしてならない。知名度の高い城だけにちょっと残念な気がした。是非、多彩な光を持つ小田原城天守閣をいろいろな媒体で扱ってほしい。

小田原城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る小田原城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

小田原城の関連史跡

元禄4年(1691)、ドイツ人医師ケンペルは、小田原城の城下町と天守について次のように触れている。「町の外側には門と番所があり、町筋は清潔でまっすぐに延び、そのうちの中央の通りには特に道幅が広い。郭外の町を含めると、半時間では通り過ぎることができない。およそ1000戸ぐらいの家々は小さいけれども、小ぎれいで、大抵白く塗られていた。多くの家は方形の土地に小さな庭園を設けていた。城(小田原城)には、新しい三重の天守閣があって人目をひき、これは城主の住まいであって山麓に点在する寺院などと共に、町の北部にある。この土地は近くに海があるが、小売店には品物が少ない。これはこの町が商業や手工業にかかわりがない証拠のように思われた。」(『江戸参府旅行日記』(平凡社)より)

『江戸参府旅行日記』でケンペルは、そのほか小田原領内に入り城下に至る風景など小田原という土地を描写しており、小田原城下町の整頓された町の美しさを垣間見ることができる。こういった小田原のディテールは現在の町から感じ取ることは困難だが、海やその台地、そして天守が変わらず見られると思えば、八幡山古郭東曲輪や天成園小田原駅別館14階テラスなどの高所から、城と城下を遠望するとこれに多少符号する風景が得られ、まるで当時の姿に近づくかのように小田原という町が好きになる。

城下に点在する史跡

小峰大堀切市民会館近くの鐘楼をお見逃しなく。この石垣は三の丸大手門のものを使ってます。また、小峰大堀切(左写真)は多少歩きますが、その希望が壮大で一見の価値があります。これは小田原城惣構えの堀切の跡で一部は埋まっているが幅などからその規模を想像できます。そのほか、小峯御鐘ノ台大堀切東堀、早川口遺構、蓮上院土塁などにも惣構え遺構が残っています。戦国北條氏が好きなら、氏政・氏照墓、松原神社、北条稲荷もご覧ください(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。北条氏政・氏照の墓所車なら石垣山一夜城跡へ。徒歩の方はおしゃれ横町の氏照・氏政墓へ。この墓は市街地の中で結構わかりにくい場所。また、北條稲荷は氏政の建立。水の尾毘沙門天、松原神社も北條家縁。松原神社には氏康縁のお守りも売ってます。また、箱根湯本の早雲寺は北條家五代の墓があります。(文:氏綱・NSカトー)

小田原城のおすすめ旅グルメ

相模湾の新鮮な魚を

相模湾の新鮮な幸を攻めると良い。「海鮮茶屋 魚國」「すし処 うおくに」「魚がし」「寿庵」など、いずれもJR小田原駅付近にある。小田原にごり酒なども一緒に。手軽に済ませたいときは、本丸茶屋で、小田原丼武将茶漬、早雲うどん等北條氏に関わるメニューをどうぞ。

小田原かまぼこ

小田原には「鈴廣(すずひろ)かまぼこ」など、12軒の蒲鉾(かまぼこ)屋がある。旧東海道が「かまぼこ通り」と呼ばれていたり、「小田原かまぼこ十か条」という小田原蒲鉾の認定基準があったりと、天明年間から続く歴史と伝統を守っている。低カロリーで低脂肪で、魚や水への拘り、きめ細かさ、歯ごたえなど、それぞれ味が異なるかまぼこを愉しむのも面白い。

小田原城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

長く小田原城天守閣を遠望するホテルが無かったが、ここ最近に下記2ホテルが誕生し眺望が愉しめるようになった。小田原城天守閣が望めるホテル2選、「東横INN小田原駅東口」と「天成園小田原駅別館」について紹介。

東横INN小田原駅東口

「東横INN小田原駅東口」は、2018年オープンのビジネスホテル。8階と9階の各階3室の窓から小田原城天守の眺望が得られる。8号室の眺望が最も良く、次いで6号室、4号室となっている。

天成園小田原駅別館

「天成園小田原駅別館」は2020年12月オープンのホテル。小田原駅直結の複合施設内の10階〜14階にある。このうち客室は10階〜13階で、14階はレストランに加え誰でも利用できるテラスと足湯があり、そこから小田原城天守閣を観ることができる。客室から小田原城天守閣が見られる部屋は全187室のうち、南東角にあるデラックスツイン3部屋(11階・12階・13階)でこちらの眺望もワイド感があって良い。

小田原城のアクセス・所在地

所在地

住所:神奈川県小田原市城内6-1 [MAP] 県別一覧[神奈川県]

電話:0465-23-1373(小田原城総合管理事務所)

開館時間

小田原城天守閣、常盤木門SAMURAI館以外は散策自由。

小田原城天守閣

AM9:00〜PM5:00(入館PM4:30まで)
休館日:12月第2水曜日・12月31日〜1月1日
入館料:天守閣単独券
(個人)一般510円、小中学生200円
(30人以上の団体)一般410円、小中学生160円

常盤木門との2館共通券

(個人)一般610円、小中学生220円
(30人以上の団体)一般500円、小中学生180円

常盤木門SAMURAI館

AM9:00〜PM5:00(入館PM4:30まで)
休館日:12月31日〜1月1日

入館料:常盤木門単独券
(個人)一般 200円、小中学生 60円
(30人以上の団体)一般 160円、小中学生 40円

天守閣との2館共通券
(個人)一般 610円、小中学生 220円
(30人以上の団体)一般 500円、小中学生 180円

※小田原城址公園内本丸広場 常盤木門2階展示室
※そのほか公園内散策自由。

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、小田原駅下車、徒歩10分。 この城の最大の強みは交通の便の良さにあります。関東での近世城郭と言えば、皇居を除けば東京から最も近い。新幹線で30分、それじゃ旅行気分がしないという方は踊り子号で約1時間。そんな運賃払えないという人は小田急ロマンスカーで1時間30分。

マイカー利用

小田原城址公園には、一般駐車場は無く、周辺の有料駐車場を利用する。

城ファンの気になるところ (29)

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    小田原城で復元工事が進められて昨年度完成した銅門のまわりの公園化工事が現在進んでおります。4月完成予定のようです。ちなみに、銅門は発掘調査の結果と、江戸時代の絵図と明治初期にFar East誌に掲載された写真をもとに復元されています。

    ( あぐい)

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    本丸、天守の下の広場にはなんと動物園がありました。と言っても、せいぜいヤギとかアヒル程度の、小学校で飼ってる動物でしたけど。天守閣と動物のオリの取り合わせはなんかとっても変な感じでした。

    ( 長利智祐)

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    毎年5月3日に「北条五代祭り」が行われます。仮装行列もあって、歴代の当主はもちろん家臣や姫様までいます。氏照を八王子市長がやってたり忍城があった寄居町の旗指物があったり、北条氏の縁で結ばれた町が今でも交流があることにちょっと感動しました。

    ( かやきひかる)

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    二の丸大手門ともいえる銅門桝形と渡櫓、塀が復元されました。関東大震災で石垣が崩壊してから75年目の復元です。震災で崩壊した城の勇姿の一端が復元されました。

    ( 村松成高)

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    歴史見聞館には将来の小田原城復元計画(構想図)があります。つぎは二の丸御屋形の表面表示でしょうか。少しずつ復元されていく小田原城は一回だけ行くのではなく、何年か毎に行くと復元が進んでいてなかなか良いですよ。

    ( 村松成高)

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    二の丸周辺には、春になると桜の花が、お堀沿いに咲き乱れ、とても綺麗です。もちろん本丸にも咲きますが、象の糞の臭いが漂ってくるのでちょっとゆっくりはできないかも?(笑)

    ( なべっち)

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    小田原城では確か500円くらいで甲冑を着せてくれて、なおかつ写真撮影を城内でしてくれます。係のおじ様たちはとても親切で撮影スポットも教えてくれます。他のお客さんたちがイベントと勘違いをして、写真を一緒にとらせてとせがまれたりして、ちょっとしたモデル気分になれますよ!甲冑の種類が幼稚園児位から大人まで3種類あるので家族でも楽しめると思います。

    ( 森走丸)

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    小田原城は小田原駅(東口かな?)から5分くらい歩いたところです。見所は、天守閣や常磐木門、など復興されたものやお堀などがあり、満載です。是非とも天守閣の中に入ることをお薦めします。景色も宜しゅうございます。一夜城は行くのは厄介です。車なら目の前に駐車場があるので問題ないのですが。電車だと、JR東海道線早川駅から40分くらいキツイ坂を登って行かなければいけません。私は歩いた翌日から数日間、すねの筋肉痛で悩まされました。

    ( 古屋)

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    小田原城に行って来ました。絶好の行楽日和とはいきませんでしたが雨に降られ無かったのはよかったです。初めに、本丸のあった小田原高校へ行きました。裏門から入りましたが、何となく残っていた感じでした。また、天守台跡のあると聞いたプールも見ましたが、私には分りませんでした。帰りは正門から出ましたが、こちらもそれらしい感じでした。次に小峰の堀切に行く前に大久保神社によりました。ここは江戸時代の城主であった大久保氏の神社で(名前がそのまま)こじんまりした所でした。そして、小峰の堀切へと向かいました。そこは今でも深い堀が残っていました。こんなのが小田原の町全体を囲んでいたとは、すごいです。それから町のほうへと降りて、今あるお城へと行きました。本丸広場で菊花展というようなものをやっていました。最後に北条氏政、氏照兄弟のお墓に行きました。うーん。商店街のど真ん中にあるとは。そして、あの「幸せの鈴」。忘れずに貰ってきました。最後の一つでしたが、残りのもには福がと言うではありませんか。日は疲れたけど、楽しかったです。

    ( ぼのしげ)

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    小田原城を巡ったあとのグルメは「田毎」そば屋。馬出門土橋の近くでざるそばがうまい。そのほか「伊正利王爵」イタリア料理。新鮮な肉や魚介類を使ったスパゲッティー(パスタ)、クリームチーズ巻などが絶品。大工町交差点近く。ラーメンではあっさりした醤油味の「十三(とさ)」。韓国料理では「梨花園」タン塩、カルビと最高の味だそうな。

    ( 氏綱・NSカトー)

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    小田原城の北西方向は新幹線、在来線、登山鉄道、県道によってトンネルが掘られたり、山が削られているので天守閣の真裏がすぐ線路という状態になっている。もっと考えて都市計画してくれよ!

    ( メジロ)

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    ここは市民の憩いの場で動物園まである。4回行っているが歴史を最も感じさせてくれる。必見!又必見!である。銅門が出来てすぐに行った時、縦100cm、横70cmのODAWARA CASTLE 特大ポスターを親切な職員の方から貰った。未だに飾り眺めて悦に入っている。最高に素晴らしい。フッ、フッ、フッ羨ましいだろう。キンケイ鳥が卵を産んだのを見つけて、売店のおばさんに知らせたのは何を隠そうこの私なのだよ。周りのその時の驚きようは、面白い位騒いでいたよ。今どうしているかな~。一番印象に残っているのは、やっぱりかりがね門だったな~。うん!あの雰囲気はとてもいい。

    ( ハッピーユキちゃん)

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    土肥氏が最初建てた頃は本丸は現在の位置ではなく八幡山の頂上、今の小田原高校のあたりにあったらしい。少し前までは遺構が残っていたらしいが校舎の建て替えに従って潰されることになった。僕が行った頃は、ちょうど文化庁が急遽調査をしているところだった。今はどうかわからない。

    ( 織田信澄)

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    小田原城で甲冑を着ての写真撮影は大人200円で子供はなんと100円でした。とても安くて大満足しました。

    ( 平成侍)

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    天守一階に天守雛形が二基展示されています。解体中の天守古写真との比較で、いずれも旧天守のものではなく検討用のものと思われていますが、失われた天守の雛形はここと大洲城のものしか存在せず大変貴重なものです。

    ( 氏綱)

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    ミシュラン?に箱根が載ったらしくこの城にも外国人が多い。平成になって増築がすすみ、巨大城郭の貫禄がでてきた。天守閣展望台からは箱根関東遠州灘が望め戦国のお殿様になった気分だよ!

    ( PRADA)

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    平成21年4月に馬出門が公開されました。常盤木門〜銅門〜馬出門と続く、江戸後期の小田原城正規登城ルート整備計画に沿って、今後は馬出曲輪の整備に入る様子です。

    ( NSカトー)

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    小田原駅西口の八幡山には、旧小田原城(北條氏康初期までの本丸)の城跡がみられ、特に小峰に代表される大堀切は必見の価値です。

    ( NSカトー)

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    銅門には3・4・5・9・10・11月の日曜日に北條手作り甲冑隊が出陣してます。記念写真の撮影サービスをしてくれます。もちろん無料です。

    ( NSカトー)

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    明治維新での廃城令により、一度は破棄されましたが、昭和30年代に天守閣を復興。ただし正確な絵図などはなく、古写真を基に復元されたそうです。

    ( NSカトー)

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    有名な北條氏は1590年に移封され、大久保氏、稲葉氏ら徳川の重臣が入城するようになります。徳川系初代小田原城主である大久保忠世を祀る大久保神社が今もあります。

    ( NSカトー)

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    この城が復興されるとき小田原市民はこの城の屋根瓦裏に名前を記入して資金寄付したものです。

    ( たけちゃん)

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    広場にあった動物園には最初ライオン、像、クジャク、さる、なんかが飼われていて像のウメコさんは長生きで新聞に載って有名でした。私はクジャクが羽を広げているところが好きでした。

    ( たけちゃん)

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    小田原城の公園敷地によく女優の藤谷美和子さんがいらっしゃいますよ。
    朝と夕方の時間帯にいることが多いですね。

    ( ゆり)

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    小田原久野に北条幻庵の庵跡があります。久野保育園のすぐ前です。

    ( かたちゃん)

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    小田原城はほかの日本の城と少し違うところがある。なんと城下町全体を壁で囲っていたのだ。ヨーロッパの城に発想が似ているが、この日本唯一の城郭都市の構造、総構えと呼ばれるこの構築物によって、他の侵入を許さなかった。かの上杉謙信、武田信玄、豊臣秀吉も真っ向から攻めると必ず敗れたという。

    ( 秀吉)

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    治承4年(1180)、源頼朝が伊豆に挙兵しその際、戦功のあった小早川遠平が小峰山に居館を構えたのがその始まり。応永23年(1416)に乱があり、この一族は失脚する。その後、大森氏が入り、城郭を拡張、明応4年(1495)、伊豆の韮山城の北条早雲によって小田原城は奪われ、以来、氏綱、氏康、氏政、氏直と北条氏の本拠地となる。この北条時代の間、拡張につぐ拡張で城は総構えを持つに至る。

    城というとその立地条件がものを言うが、小田原城は、東海道から関東への入り口で、関東を征したい秀吉にとって、非常に邪魔な存在だったに違いない。天正18(1590)年の小田原討伐後は、この大城郭は取り壊され小規模な城になり、大久保氏、安部氏、稲葉氏と城番が置かれ、1686(貞享3)年、再び大久保氏が入封し明治を迎える。

    天守は明治になって取り壊された、今は復興天守が建つ。早雲が牛の角に松明をつけ夜襲をかけるという奇策を用いて城を奪ったというエピソードは有名。謙信9万6千、信玄2万5千もはねのけ、秀吉が小田原城から見えるところに石垣山一夜城を短期間で築城し、北条勢にその力を見せつけ開城させたことなどから、いかに小田原城が難攻不落だったかが分かる。今も総構えの一部など小田原の各所に点在している。

    ( 秀吉)

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    小田原城と朝日の写真が撮りたいと思って調べてみると、撮影場所は八幡山古郭東曲輪から小田原城天守閣ごしの朝日で、11月10日〜1月20日あたりが天守閣の背後に朝日が重なるようです。天守閣との距離が近いので、あまり望遠は使えず太陽が小さくなると思います。

    ( カメラ小爺)

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    小田原城内のニホンザル7匹が茨城県内の東筑波ユートピアに、2023年12月14日をもって譲渡された。「お城の動物園」の名残で引き取り手が見つからなかった猿が残されていたが今年でその幕を閉じた。サル舎は令和6年1月下旬以降に解体撤去される予定だ。長年、見てきただけあってなにやら、ちょっと寂しい気もする。

    ( shirofan)

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