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尾鷲の石丁場

「曽根石」という名で知られる尾鷲の石丁場(石切場)は、三重県尾鷲市にあります。その石丁場については尾鷲市教育委員会の資料(※)から詳しく知ることができます。

この石丁場から、城では、江戸城普請に伴い細川家が石を搬出しています。また、名古屋城での使用については、をれを示す史料がありませんが(2025年2月現在)、名古屋城の石垣では、この地方の石質が確認されています。

尾鷲は江戸初期は浅野家、それ以降は紀州徳川家の藩領となっており、御香宮神社(京都府)、紀州東照宮(和歌山県)の石鳥居を寄進していることを知りました。

今回は「曽根石切場」「小杉C石切場」「小杉F石切場」の3ヶ所を訪れます。石丁場跡からは刻印が見つかっていませんが、矢穴の形状から、江戸初期から明治期まで使われていたことが分かります。

「曽根石切場」は、熊野古道(曽根次郎太郎坂)を麓から約120mほど登ったあたりから、300mほどまで古道沿いに広がります(案内板有り)。曽根石切場の最高所に母岩があり、谷筋には2mを越える調整石から端材まで様々なものが散乱しているといった風景が広がります。矢穴は大きく最大で15cmほどの長さがあります。

「小杉F石切場」「小杉C石切場」は、先の熊野古道の付け根から海に伸びる小杉半島上にあります。小杉半島は切り立った山がそのまま海に落ちる地形です。こちらは案内板はありません。

尾鷲では熊が目撃されており、ひとりでの散策は危険です。山の中で道なき道を進むわけですが、これまで大坂城名古屋城の三河湾沿岸の石丁場を共にした探索メンバーの力を借りてたどり着くことができました。このページでは、石丁場跡の風景を写真を通して紹介します。

熊野古道沿いにある曽根石切場

曽根石切場跡は、熊野古道(曽根次郎太郎坂)沿いにある。母岩から落ちる谷筋に数多くの石が散乱している。
この地へのアクセスは、地図中の「公衆トイレ(Googleマップ)」裏に3台ほど駐められる駐車場がある。そこから徒歩で熊野古道をゆく。
曽根石切場
Googleマップのスクリーンショットは、Adobe Lightroom Classic による撮影場所GPS情報のプロット(矢穴石の場所以外に風景撮影も含む)。

曽根石丁場(石切場)
熊野古道の石畳に利用された残石。矢穴痕から右手は江戸初期、左手は江戸中期以降かと思われる。

曽根石丁場(石切場)
曽根石切場の風景。谷筋に散乱している数々の石。

曽根石丁場(石切場)
曽根石丁場(石切場)
矢穴列のある石が散見される。

曽根石丁場(石切場)
曽根石切場の風景。この写真は石丁場の頂上付近の削平地。

しし垣(熊野古道)
麓付近には、しし垣がある。

曽根石丁場(石切場)
しし垣の麓側には矢穴石がある。この石は、しし垣を越えなければ見られない。

小杉F石切場

小杉F石切場は、先の曽根次郎坂付近から海に伸びる小杉半島上、北側斜面にある。一方、小杉C石切場は、半島の先端付近にある。
小杉C・F石切場マップ
Googleマップのスクリーンショット上にあるアイコンは、Adobe Lightroom Classic による撮影場所GPS情報のプロット(矢穴石の場所以外に風景撮影も含む)。

小杉F石切場への登山口
小杉F石切場への登山口(Googleマップ)。トンネル手前の道路上の路肩が広く2〜3台が駐車できるスペースがある。トンネル手前右脇の階段から道なき道を直登する(現地は大変危険なので、山や石丁場に慣れていない場合は、小杉F・Cへの登山は控えた方が良い)。

小杉F石切場
写真では分かりづらいが、5mはあろうかという巨石。小杉Fを代表する風景だ。矢穴列痕がずらりと確認できる。

小杉F石切場
付近の至るところで矢穴列痕が確認できる。

小杉F石切場
矢穴列が2列ならぶ巨石。

小杉半島の尾根上にある石積
写真は、小杉F石切場からさらに登った、尾根上にある石積で囲われた何らかの施設跡。

小杉半島の尾根上にある石積
石積の鬼門切り。石積に残る矢穴痕は江戸中期以降のもの。

小杉半島の尾根上にある石丁場
すぐ近くには同時代のものと思われる石切場がある。

小杉C石切場

小杉C石切場は、小杉半島の先端付近にある。石曳道や集積場があり、出荷前の調整された石が列ぶ。

小杉C石切場
小杉C石切場。長さ2mほどの調整された24石が並ぶ。かなりの規模感だ。平坦地が設けられ石が置かれているが、斜面の石曳き道に向かって傾斜している。

小杉C石切場
写真左上から伸びる背後の斜めのラインは、石曳き道。

小杉C石切場
右上の巨石が母岩。調整石が平坦地に列ぶ。

小杉C石切場
石曳き道に列ぶ調整石。

小杉C登山口
林道からの小杉C登山口(Googleマップ)。

今回は小杉Fから尾根上に出て小杉Cに降りようとしたが、資料のプロットが広い範囲を示していたため、一旦、林道に降りて再アタックした。その林道と登山口には、サインや目印になるものはない。こちらのGoogleマップで場所を確認されたし。

尾鷲の石丁場について、Zさん、Mさん、尾鷲市教育委員会に大変お世話になりました。記して御礼申し上げます。

(文・写真=岡 泰行)

※参照資料:
『くまいし通信』創刊号(2023熊野灘石切場踏査会)
『くまいし通信』第2号(2023熊野灘石切場踏査会)
『くまいし通信』第8号(2024熊野灘石切場踏査会)
『くまいし通信』第9号(2024熊野灘石切場踏査会)
『紀伊考古学研究会第27回大会 聖地 熊野と「石」の文化史 ─世界遺産登録20周辺記念─ 発表要旨集』(2024紀伊考古学研究会)
『長久手市猪鼻堰跡残石群測量調査報告』(2024名古屋城調査研究センター研究紀要第5号)

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