大坂城から奈良へ渡った『蛙石』の数奇な歴史
大坂城から奈良へ渡った『蛙石』の数奇な歴史 「大坂城のお堀端にある蛙石に近づいたらアカン!」 そんな言い伝えがありました。その「蛙石(かえる石)」に触ったり座ったりすると、堀へ飛び込みたくなるとされ、土左衛門(水死体)は、この石が置かれていた場所によく上がってきていたのだそうです。場所は、大阪城の乾櫓の水堀(西外堀)を挟んだ対岸の隅。現在は乾櫓の....
大阪城「乾櫓」夏の特別公開が7月18日から
大阪城「乾櫓」夏の特別公開が7月18日から 大阪城では、令和8年(2026)の夏の特別公開として、7月18日(土)から8月16日(日)までの土日祝に、西の丸庭園にある重要文化財「乾櫓(いぬいやぐら)」が特別公開されます。 乾櫓は、元和6年(1620)に築かれた、城内最古の櫓のひとつです。徳川幕府による大坂城再築の初期に築かれた櫓で、千貫櫓と並....
橿原神宮に残る織田家の御殿「文華殿」柳本陣屋ゆかりの建築を訪ねる
橿原神宮に残る織田家の御殿「文華殿」柳本陣屋ゆかりの建築を訪ねる 橿原神宮の境内に、かつて大和・柳本藩を治めた織田家の御殿が移築され、今もその姿を伝えていることをご存じでしょうか。 境内には、柳本陣屋(奈良県)から移築された織田家の御殿「文華殿」が現存しています。柳本藩は、織田信長の弟・有楽斎長益の五男、織田尚長を藩祖とする1万石の大名です。この....
フィルム時代の城を訪ね直す 日野城と仁正寺陣屋の移築建築めぐり
日野城(中野城・滋賀県蒲生郡)は、27年ほど前、会津若松城を訪ねる前に、蒲生氏郷ゆかりの城も見ておこうと思い、当時お世話になっていたNさんに、いろいろと教えていただきながら、音羽城とあわせて巡った城です。まだフィルムで撮影していた時代のことでした。最近は、フィルム時代に撮影した城を改めて訪ね、撮り直す機会を増やしています。 現地を歩くと、風景は驚く....
大正13年、大阪・船場を写した古写真
父の遺品の中から、大正13年(1924)に撮影された大阪の写真が見つかりました。少し珍しいのでアップしておきます。 昨年、写真家の杉本洋一氏からの依頼で、新山清(1911-1969)の作品に日本の城が写っており、どこの城か調べたことがありました。ご子息の新山洋一さんからその写真を拝見し、大阪城であることは分かったのですが、その撮影場所が分かりません....
お城めぐりFAN 30周年
『お城めぐりFAN』は、現存最古の城Webサイトとなりました 個人サイト『お城めぐりFAN』は、1996年5月27日に開設し、2026年5月で30周年を迎えました。まだ「インターネット」という言葉さえ一般にはほとんど知られていない時代でした。検索エンジンも現在のようには整備されておらず、Webサイトを一から構築すること自体が、手探りの時代でした。 ....
東大阪市善根寺町の残念石と旧河澄家
東大阪市善根寺町の残念石と旧河澄家 東大阪市善根寺町に残る大坂城の残念石と、周辺に残る歴史遺産について新たに取材を行い「大東市・東大阪市の残念石」のページに追記しました。 今回のきっかけは、これまで草に覆われて見えにくかった残念石上部が確認しやすい状態になっているとの情報をいただいたことでした。再訪してみると、上部に残る矢穴列や刻印をこれまで....
名古屋城西に生まれた新しい空間『エスパシオ ナゴヤキャッスル』を訪ねて
名古屋城西に生まれた新しい空間『エスパシオ ナゴヤキャッスル』を訪ねて 「エスパシオ ナゴヤキャッスル」を訪れました。この日は15年間お世話なった名古屋のSさんからのお誘いで食事会です。このホテルは名古屋城の西に位置し、2025年10月にオープンしました。前身のホテルナゴヤキャッスルは最上階がレストランフロアでしたが、新しいホテルではレストランは4階にあり....
指月伏見城の記憶を今に伝える、西教寺客殿特別公開
指月伏見城の記憶を今に伝える、西教寺客殿特別公開 この坂本の地は、元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの後、明智光秀が治めた土地として知られています。光秀は琵琶湖畔に坂本城を築き、西教寺もまた、その時代の空気を今に伝える場所のひとつです。 慶長伏見地震で倒壊した、豊臣秀吉の指月伏見城御殿の一部が西教寺に客殿として移築されています。襖絵は....
須知城と玉雲寺、琴滝に残る記憶を歩く
須知城と玉雲寺、琴滝に残る記憶を歩く 京都府京丹波町にある須知城を訪ねました。 須知城は、明智光秀による改修の可能性が指摘される山城です。主郭部には古式石垣が残り、山上にはどこか癖のある古い空間が広がっていました。 そして今回、気になったのが麓の「玉雲寺」です。 須知川を挟んだ山肌に立つ寺で、周囲の景観に対して妙に存在感があります....





