登り石垣の城

登り石垣とは、山上の本丸から山麓に向かって石垣を延ばし、敵の侵入を防ぐために築かれた防御施設である。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、半島各地の拠点「倭城」で発達した技術が起源とされ、山と海を結ぶ日本独自の築城術として注目される。戦後、この構造は国内にも取り入れられ、松山城(愛媛県松山市)や彦根城(滋賀県彦根市)などの近世城郭に応用された。洲本城、竹田城、米子城にもその遺構が残り、山城の防御と美観を兼ね備えた姿を今に伝えている。登り石垣は、地形を読み解き築かれた日本城郭の知恵の象徴である。