伊予松山城
写真:岡 泰行
伊予松山城の開城時間
天守含む本壇は、おおよそ9:00~17:00で有料、時期により変動がある。ロープウェイもこれに連動する時間帯。本丸広場は5:00~21:00(11月〜3月 5:30〜21:00)で解放されているが、徒歩で夜に登山するには懐中電灯などが必要。
伊予松山城のアクセス・駐車場
鉄道利用
JR予讃本線、松山駅から伊予鉄道、大街道下車、ロープウエイ5分。また、JR松山駅から徒歩20分で堀之内、二之丸庭園まで徒歩15分、そこから登山で本丸広場まで徒歩35分。
マイカー利用
松山自動車道、松山ICから北へ約7km。ロープウェイのりばまで徒歩約2分の「喜与町駐車場」へ(有料)。駐車場の営業時間は8:00~18:00。
伊予松山城の文献資料
歴史民俗資料館が三の丸跡にある。
[城山神々 (1998.01.30)]
堀之内に県立図書館があり、そこに松山市観光課刊「松山城」、松山市教育委員会刊「松山市史 近世 第2巻」が所蔵されています。
[数之進 (1999.11.29)]
城ファンが紡ぐ、シリーズ『城の歴史旅』
伊予松山城の撮影スポット
松山城代表4アングル
松山城の城山が意外と高い。城山(勝山)は、比高で約90m(海抜134.7m)。平山城の比高において最も高い位置にある。本丸から撮影する分には問題ないが、ほかの平山城のように山の麓から天守群は見えない。よって、付近のビルに上るしかない。本丸の定番アングルと交えご紹介。
本壇虎口前から天守を望む
広角レンズが必要になるが、ここから天守の眺望は実に松山城らしい。ここから見る天守のアップは日本城郭大系の表紙にもなっている。
本丸馬具櫓横から天守群を望む
ひと昔前まではこのアングルが松山城の代表格だったが、近年、木々が成長してしまい本丸の高石垣と建築群が見えずくなっている。
「ホテルJALシティ松山」から望む
「ホテルJALシティ松山」からは、城山全体が望めるほか西日に映える本壇の風景が良い。撮影は宿泊の必要がある。シングル・ツインともに「お城側で」と指定すると良い。12階が理想。レンズは本壇部分をアップで狙うなら400mm、城山全体なら24mm といった具合でいかに城山が広く高いかが分かる。二の丸庭園や隣接する登り石垣も見られる。ちなみに「東京第一ホテル松山」からも眺望が得られるが、風景の良さでいうと「ホテルJALシティ松山」が良い。ちなみに昼間なら問題ないが、ビルの上階からの撮影はいくら三脚を立てようが、ビルそのものが揺れているから、超時間露光するとぶれることが多い。昨今はデジカメの時代、撮影後にしっかり拡大してチェックしておこう。
「いよてつ髙島屋」屋上から望む
松山城本壇をほぼ真南から狙うスポット。レンズは約200mmで本壇を捉えることができる。余談だが「くるりん」と愛称のついた観覧車が屋上にあり、城山(勝山)のロープウェイ山頂駅とほぼ同じ高さの眺望が得られる。
伊予松山城のグルメ
夏のあつーい時に、松山城下を見ながら食べるかき氷を最高。お店のおばっちゃんは、結構親切。
[うんの (1998.12.03)]
伊予鉄道(路面電車)の「松山市駅」横のいよてつ高島屋上階のレストラン。松山城を真南から眺望できる。また、眺望なら屋上の観覧車に乗るのも良い。
[城山神々 (1998.01.30)]
伊予松山城近郊のホテル・旅館
松山城天守(本壇)の眺めがすこぶる良いのが「ホテルJALシティ松山」。シングル・ツインともに「お城側で」と指定すると良い。12階が理想。または、「東京第一ホテル松山」。こちらは10階ダブルルーム(ひとり利用可)か8階までのデラックスシングルから。ちなみに奇数階が禁煙ルーム。11階にはレストランがあるが、宴会場なので個人で食事をすることはできない。眺望でいえば、前者の「ホテルJALシティ松山」に軍配が上がる。
また、地図で見ると「チサンホテル松山」が最も近くにあるが、城山が大きいため、天守群のごく一部が最上階のダブルルームから見えるのみだ。なおこの3つのホテルは、リフトからは離れているため、歩いて城山に登らない人にはおすすめできない。松山は城のまわりにホテルが隣接しており窓から城が見えるかどうかは、こちらのサイトが参考になる。
伊予松山城の歴史観光スポット
伊予松山は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で有名な、秋山好古・秋山真之ゆかりの地。ロープウェイ乗場近くの「秋山兄弟生誕地」へどうぞ。当時の写真を検証して建設された家屋や銅像がある。
[shirofan (2008.5.27)]
県庁通りに伯爵久松定謨が建てた萬翠荘なるフランス風別邸があり、摂政宮裕仁親王(昭和天皇)もお泊まりになった。もちろん見学可能(愛媛県立美術館別館です)。
[数之進 (1999.11.29)]
湯築城跡へは路面電車でどうぞ。ちなみにすぐ近くに道後温泉本館があります。銭湯感覚の温泉です。
[城山神々 (1998.01.30)]
伊予松山城の口コミ 城ファンチェック (9)

1998.01.30 城山神々 さんより
構造的には層塔型である天守は、直線的な破風、最上層の高欄、初層・二層目の腰高下見板、連子窓に付く突揚板など、外観の意匠は幕末再興とは思えぬほど古式。 天明四年に焼失した天守を忠実に再現したのだろうか。ならば、これが復元城跡松山のはじまりとも言える。
1998.01.30 城山神々 さんより
度重なる火災、戦災により多くの建造物を失っているが、往時を偲ばせる本丸は木造による復元を心掛けた松山市の努力による賜物。二の丸跡の中学校が廃校後発掘 調査を行い、門・多聞・土塀を復元している。今後の復元構想には愛媛県も乗り出すなど、現在進行中の城郭整備は他城のお手本といえる。願わくば、三の丸跡の球場や美術館を撤去し旧情に復していただきたい。
1998.01.30 城山神々 さんより
松山城本丸(標高132m)へは、ロープウェイ・リフトあるいは、徒歩で登ることになる。同じ平山城である熊本城の約2.6倍、姫路城の約3倍の高さ。彦根城は136mだが、幕府普請であることを考慮すれば、一大名の居城としてこれだけの規模の城郭を築いた加藤義明の並々ならぬ意気込みが本丸に近付くごとに伝わってくる。
1999.11.29 数之進 さんより
なんと、天守落雷時(天明4年)の城主は、老中松平越中守定信の兄です。つまり9代藩主松平隠岐守定国(徳川宗武男)の時で、定国は城内三之丸(現国立ガンセンター)におり、お城下の法龍寺(現中の川通り)に避難したということです。その天守の再建落成式が挙行されたのは、1853年で実に70年近くの時間が要されたのでした。時の藩主は12代松平隠岐守勝善で、彼は定国の養曾孫にあたるのです。ほんと、松山城は定国以下歴代の並みならぬ努力の賜物です。大切に見学したいですね。
1999.11.29 数之進 さんより
松山城を松山市に寄贈したのは、最後の藩知事従五位久松定昭の養嗣伯爵久松定謨(さだこと)ですが、それを顕彰した石碑が、本丸艮櫓付近にあります。顕彰碑だけなら問題ないのですが、その字を書いた人が、徳川将軍家17代当主徳川家正です(現18代当主恒孝の養父)。来城した時、ご覧になって下さい。
2000.10.21 shirofan さんより
現存12天守のひとつで、平山城の比高において最も高い位置にある。
2015.07.26 風 さんより
現在三の丸跡地にあった野球場、ガンセンターは移転され広々とした緑地になっています。そこから二ノ丸庭園やお城が眺められそれはそれでいい感じです。
2015.08.01 shirofan さんより
松山城は夏の恒例行事で、野原櫓、乾櫓、隠門続櫓などの普段非公開の櫓が、特別公開されることがある。
2015.10.28 松山城ばんざい さんより
ライトアップは、昭和24年から行われてきたが、平成23年3月からLEDライトに変更された。平成27年10月27日から、さらにLEDを10基増設、南隅櫓、北隅櫓もくっきりしたそうな。