写真:岡 泰行

【城郭カメラマン撮影】

松山城の見どころと歴史
松山城の見どころと歴史

伊予松山城を築いたのは、「賤ケ岳の七本槍」に数えられる一方、築城の名手とも称された加藤嘉明である。関ヶ原の戦いで功を上げたことで加増を受け、20万石の大名となった。1601(慶長6)年、幕府の許可を受け、味酒山(みさかやま)や勝山と呼ばれていた松山平野内の独立丘陵に新たな城の築城を始める。1603(慶長8)年にはそれまでの居城であった正木(松前)城から移り、一帯を松山と名づけ城名も松山城となった。

1627(寛永4)年、会津藩主の蒲生忠郷が早生。無嗣断絶となるところだったが、母親が徳川家康の娘、振姫(正清院)であったため、幕府の差配で忠郷の実弟忠知が減封の上、伊予松山藩24万石を与えられた。その代わりに、嘉明が43万5500石に加増の上、会津若松城に入ることとなった。

松山城二ノ門虎口
天守曲輪の正面玄関で厳重に守られた一ノ門から二ノ門に至る虎口

松山城に入った忠知は、築城途中であった二之丸を完成させる。しかし、1634(寛永11)年、忠知が急死し蒲生家は無嗣断絶。翌年、久松松平家の定行が桑名から15万石で入城。以降、松平氏が幕末まで続く。松平定行時代、それまで5層だった天守が3層に改築されている。1784(天明4)年、落雷を原因とする火事で、大天守をはじめとする本壇(天守曲輪)の建物の多くが焼失してしまう。松山藩は幕府に再建を働きかけ、ペリー来航の翌年である1854(安政元)年、焼失前の建物をできるだけ再現し、本壇が再建された。

明治を迎えると、最後の藩主、松平勝成は旧姓の久松に復姓した。1874(明治7)年、本丸は公園化され、1878(明治10)年からは堀之内に陸軍の駐屯地が置かれた。1923(大正12)年、当主の久松定謨(さだこと)は本丸一帯を松山市に寄贈した。1933(昭和8)年には、放火により小天守、南北隅櫓、多聞櫓などが焼失。また、太平洋戦争の戦火により、乾門なども焼失している。

1948(昭和23)年、二之丸や堀之内(三之丸)を含めた「城山公園」となる一方、市営野球場、松山競輪場、市立城東中学校、市営プールなどが建てられた。1950(昭和25)年には、21棟の建物群が国の重要文化財に指定されている。1958(昭和33)年から城跡の整備が進められ、馬具櫓(鉄筋)を皮切りに、小天守、南北隅櫓、筒井門、太鼓櫓、天神櫓(以上、木造)などが復興された。1984(昭和59)年から二之丸の発掘調査が始まり、1992(平成4)年には松山城二之丸史跡庭園が開園。

伊予松山城二ノ丸の大井戸
二ノ丸表御殿跡に残る深さ9mの大井戸

2000年(平成12)年には城山公園(堀之内地区)整備計画が策定され、2010(同22年)には、第一期整備が完成した。この間、城域にあった市立城東中学校、松山競輪場、四国がんセンター(旧国立松山病院)などが移転し、市営球場も閉鎖された。これにより、城全体の整備が進められている。

松山城の特徴と構造

松山城は、標高132mの味酒山(勝山)に築かれた平山城である。加藤嘉明が城地を選ぶ際、このほかに天山(あまやま)と御幸寺山も候補になったと言われている。味酒山には嘉明以前、南朝方や河野氏の砦があったとも言うが定かではない。

山上には「本壇」と呼ばれる天守曲輪があり、現存天守をはじめ21棟の国重文を含む連立式天守群が置かれている。山麓にある二之丸とは、登り石垣でつながっていた。そのほか、三之丸のある堀之内や北曲輪、東曲輪があり、そのまわりに武家屋敷や商家などの城下町が形成されている。

本丸の北側に位置する本壇は、天守を中心に小天守や櫓を多聞櫓や塀で連結した連立式天守群。入り口に当たる紫竹門をはじめ、6つの門が桝形状に配置され、敵の侵入を防ぐ厳重な構造を成している。このうち、国の重要文化財に指定されているのは、天守、一ノ門、一ノ門続櫓など16棟である。本丸ではこのほか乾櫓、野原櫓、隠門など、5棟が指定を受けている。

二之丸史跡庭園も訪れておきたい。藩の中枢となる表御殿と藩主の生活の場、奥御殿からなる御殿跡で、間取りが平面復元されている。中でも大井戸遺構は必見だ。西側には通用口である多聞櫓が復元されている。

  • 伊予松山城の天守

    天守

  • 松山城二ノ門虎口

    二ノ門虎口

  • 伊予松山城本壇の西側を守る櫓群

    本壇の西側を守る櫓群

  • 松山城の乾櫓

    乾櫓

  • 松山城の野原櫓

    野原櫓

  • 伊予松山城二ノ丸の大井戸

    二ノ丸の大井戸

  • 伊予松山城の登り石垣

    登り石垣

松山城の関連書籍

堀之内に県立図書館があり、そこに松山市観光課刊『松山城』、松山市教育委員会刊『松山市史 近世 第2巻』が所蔵されている(数之進 1999.11.29)。

松山城の撮影方法
松山城の撮影方法

現地を訪れると松山城の城山が意外と高く、麓を歩いていると山頂のある城は見えないのに驚かされる。城山(勝山)は、比高で約90m(海抜134.7m)。平山城の比高において最も高い位置にある。本丸から撮影する分には問題ないが、ほかの平山城のように山の麓から天守群は見えない。よって、付近のビルに上るしかない。松山城代表4アングルを、本丸の定番アングルと交えご紹介。

本壇虎口前から天守を望む

本壇虎口前から天守を望む広角レンズが必要になるが、天守の眺望は実に松山城らしい。ここから撮られた天守のアップ写真は日本城郭大系の表紙にもなっている。

本丸馬具櫓横から天守群を望む

本丸馬具櫓横から天守群を望むひと昔前まではこのアングルが松山城の代表格だったが、近年、木々が成長してしまい本丸の高石垣と建築群が見えづらくなっている。

「ホテルマイステイズ松山」から望む

「ホテルJALシティ松山」から望むホテルマイステイズ松山からは、城山全体が望めるほか西日に映える本壇の風景が特に美しく見える位置にある。この風景を観るには宿泊する必要がある。シングル・ツインともに「お城側で」と指定すると良い。12階が絵的に理想だ。レンズは本壇部分をアップで狙うなら35mm換算で400mm、城山全体なら24mm といった焦点距離でいかに城山が広く比高が高いかが分かる。二の丸庭園や登り石垣も見られる。ちなみに「東京第一ホテル松山」からも眺望が得られるが、風景の良さでいうと「ホテルマイステイズ松山」が良い。なお、このホテルはもとは「ホテルJALシティ松山」といい、2017年7月1日より「ホテルマイステイズ松山」となっている。

「いよてつ髙島屋」屋上から望む

「いよてつ髙島屋」屋上から望むいよてつ髙島屋」は松山城本壇をほぼ真南から狙うスポット。レンズは約200mmで本壇を捉えることができる。城を見るだけなら、屋上の大観覧車「くるりん」もおすすめ。城山(勝山)のロープウエイ「長者ヶ平駅」とほぼ同じ高さの眺望が得られる。

松山城の周辺関連史跡
松山城の周辺関連史跡

秋山兄弟生誕地

伊予松山は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で有名な、秋山好古・秋山真之ゆかりの地。ロープウェイ乗場近くの「秋山兄弟生誕地」へどうぞ。当時の写真を検証して建設された家屋や銅像がある。

愛媛県美術館分館 郷土美術館(萬翠荘)

県庁通りに旧松山藩主の子孫である伯爵久松定謨が建てた萬翠荘なるフランス風別邸があり、摂政宮裕仁親王(昭和天皇)もお泊まりになった。もちろん見学可能(愛媛県立美術館別館)(投稿者:数之進)。

湯築城跡

最も近い城、湯築城跡へは徒歩または路面電車で。ちなみにすぐ近くに道後温泉本館がある。

松山城のおすすめ旅グルメ
松山城のおすすめ旅グルメ

夏のあつーい時に、松山城下を見ながら食べるかき氷を最高。お店のおばっちゃんは、結構親切(投稿者:うんの)。または伊予鉄道(路面電車)の「松山市駅」横のいよてつ高島屋上階のレストラン。松山城を真南から眺望できる。眺望なら屋上の観覧車に乗るのも良い。

松山城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
松山城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

「ホテルJALシティ松山」から業務を引き継いだ「ホテルマイステイズ松山」からは、城山全体が望めるほか、西日に映える本壇の風景が良い。1階にあるダイニング&バー『瀬戸内バル ラ・テラッツァ』と一部の客室から見える。宿泊の場合は、予約時に「お城側で」と指定すると良い。12階が理想。レンズは本壇部分をアップで狙うなら400mm、城山全体なら24mm といった具合でいかに城山が広く高いかが分かる。二の丸庭園や隣接する登り石垣も見られる。

東京第一ホテル松山」からも眺望が得られるが、風景の良さでいうと「ホテルマイステイズ松山」のほうがが良い。ほかにも、城の見えるホテルはいくつかあるようだ。ちなみに昼間なら問題ないが、ビルの上階からの撮影はいくら三脚を立てようが、ビルそのものが揺れているから、超時間露光するとぶれることが多い。昨今はデジカメの時代、撮影後にしっかり拡大してチェックしよう。

松山城のアクセスと観光情報
松山城のアクセスと観光情報

所在地

住所:愛媛県松山市丸之内 [MAP] 県別一覧[愛媛県]

電話:089-921-4873(松山城総合事務所)

開館時間

天守観覧券520円
ロープウエイ・リフト往復券520円、片道券270円

天守

2月~7月 9:00~17:00、8月9:00~17:30、9月~11月8:30~17:30、12月~1月8:30~16:30 12月第3水曜日は大掃除のため休業。

ロープウエイ

2月~7月8:30~17:30、8月8:30~18:00、9月~11月8:30~17:30、12月~1月8:30~17:00 10分間隔で運行。山上「長者ヶ平」まで約3分。山上から天守入り口まで徒歩約10分。

リフト

通年8:30~17:00 山上「長者ヶ平」まで約6分。山上から天守入り口まで徒歩約10分。※雨天時は運休あり

アクセス

鉄道利用

JR予讃本線、松山駅から伊予鉄道、大街道下車、ロープウエイ5分。また、JR松山駅から徒歩20分で堀之内、二之丸庭園まで徒歩15分、そこから登山で本丸広場まで徒歩35分。

バス

松山空港から「道後温泉行き」リムジンバスで約30分。「大街道」下車、徒歩5分でロープウエイ「東雲口駅」。
松山観光港から「道後温泉行き」リムジンバスで約30分。「大街道」下車、徒歩5分でロープウエイ「東雲口駅」。
三津浜港から伊予鉄バス「松山市駅行き」で約40分、「松山市駅」下車。伊予鉄電車「環状線2番」または「道後温泉行き」で約6分。「大街道」下車、徒歩5分でロープウエイ「東雲口駅」。
※「松山駅(JR)」と「松山市駅(伊予鉄)」は場所が異なるため注意。

マイカー利用

松山自動車道、松山ICから北へ約7km。ロープウェイのりばまで徒歩約2分の「喜与町駐車場」へ(有料)が良いが下記に松山城駐車場を記載しておく。

駐車場

松山城駐車場(松山市喜与町1丁目6-12)。2時間420円(以降、30分ごとに100円)。
8:00~ロープウエイ営業終了時間の30分後まで。
※ロープウエイ「東雲口駅」まで徒歩2分。

松山城の旅のチェックリスト (9)

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    構造的には層塔型である天守は、直線的な破風、最上層の高欄、初層・二層目の腰高下見板、連子窓に付く突揚板など、外観の意匠は幕末再興とは思えぬほど古式。 天明四年に焼失した天守を忠実に再現したのだろうか。ならば、これが復元城跡松山のはじまりとも言える。

    ( 城山神々)

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    度重なる火災、戦災により多くの建造物を失っているが、往時を偲ばせる本丸は木造による復元を心掛けた松山市の努力による賜物。二の丸跡の中学校が廃校後発掘 調査を行い、門・多聞・土塀を復元している。今後の復元構想には愛媛県も乗り出すなど、現在進行中の城郭整備は他城のお手本といえる。願わくば、三の丸跡の球場や美術館を撤去し旧情に復していただきたい。

    ( 城山神々)

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    松山城本丸(標高132m)へは、ロープウェイ・リフトあるいは、徒歩で登ることになる。同じ平山城である熊本城の約2.6倍、姫路城の約3倍の高さ。彦根城は136mだが、幕府普請であることを考慮すれば、一大名の居城としてこれだけの規模の城郭を築いた加藤義明の並々ならぬ意気込みが本丸に近付くごとに伝わってくる。

    ( 城山神々)

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    なんと、天守落雷時(天明4年)の城主は、老中松平越中守定信の兄です。つまり9代藩主松平隠岐守定国(徳川宗武男)の時で、定国は城内三之丸(現国立ガンセンター)におり、お城下の法龍寺(現中の川通り)に避難したということです。その天守の再建落成式が挙行されたのは、1853年で実に70年近くの時間が要されたのでした。時の藩主は12代松平隠岐守勝善で、彼は定国の養曾孫にあたるのです。ほんと、松山城は定国以下歴代の並みならぬ努力の賜物です。大切に見学したいですね。

    ( 数之進)

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    松山城を松山市に寄贈したのは、最後の藩知事従五位久松定昭の養嗣伯爵久松定謨(さだこと)ですが、それを顕彰した石碑が、本丸艮櫓付近にあります。顕彰碑だけなら問題ないのですが、その字を書いた人が、徳川将軍家17代当主徳川家正です(現18代当主恒孝の養父)。来城した時、ご覧になって下さい。

    ( 数之進)

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    現存12天守のひとつで、平山城の比高において最も高い位置にある。

    ( shirofan)

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    現在三の丸跡地にあった野球場、ガンセンターは移転され広々とした緑地になっています。そこから二ノ丸庭園やお城が眺められそれはそれでいい感じです。

    ( 風)

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    松山城は夏の恒例行事で、野原櫓、乾櫓、隠門続櫓などの普段非公開の櫓が、特別公開されることがある。

    ( shirofan)

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    ライトアップは、昭和24年から行われてきたが、平成23年3月からLEDライトに変更された。平成27年10月27日から、さらにLEDを10基増設、南隅櫓、北隅櫓もくっきりしたそうな。

    ( 松山城ばんざい)

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