水攻めの城(一覧)
戦国時代の攻城戦には、地形を巧みに利用した「水攻め」が行われることがあった。河川を堰き止めて水を引き込み、城を孤立させて兵糧や士気を奪うという、極めて大規模な戦術である。代表的な例としては、備中高松城を攻めた羽柴秀吉の戦が知られるが、その後も各地で水流や湿地を利用した攻防が展開された。堤防や水路跡などの遺構が残る城もあり、戦国の知略と土木技術を今に伝えている。本ページでは、水攻めにまつわる城を紹介し、地形と戦略が織りなす攻城戦の姿をたどる。
水攻めされた城で有名なのは、備中高松城(岡山県岡山市)、紀伊太田城(和歌山県和歌山市)、忍城(埼玉県行田市)の3城だ。
-
備中高松城の歴史と見どころ 美しい写真で巡る – お城めぐりFAN
備中高松城は水攻めの城、秀吉の中国大返しの起点として知名度が高い。高松城址公園内は散策自由で二の丸、三の丸があるが各曲輪の外郭が明瞭に解る訳ではない。本丸跡には清水宗治の首塚、北西すぐの住宅街の中に胴塚が残る。水攻めの際に造られた堤防は、高松城の東南にその一部が残る。蛙ケ鼻築堤跡という。
-
紀伊太田城の見どころ 美しい写真で巡る – お城めぐりFAN
秀吉が天正13年(1585)に行った水攻めの城。太田城本丸跡に建つ「来迎寺」、太田城大門移築城門がある「大立寺」、出水付近にある「堤防跡」2カ所は訪れておきたい。
-
忍城の歴史と見どころ 美しい写真で巡る – お城めぐりFAN
忍城は現在の埼玉県行田市にあり、北は栃木県との境となる利根川、南は荒川に挟まれた低湿地帯にある。天然の要害となっており関東屈指の名城だ。天正17年(1589)、豊臣秀吉の北条討伐で石田三成が水攻めをしたことで知られている。小田原合戦後は徳川家康が関東に入り、松平家忠、松平信綱、阿部忠秋らが入城、城や城下を整備した。