忍城

住所:埼玉県行田市本丸17-23 / 埼玉県 / 城ファンチェック: 12

写真:岡 泰行

開城時間開城時間

AM9:00~PM5:00(入館はPM4:30まで)。休館日は月曜日(ただし祝祭日のときは開館)、祝祭日の翌日(ただし土曜日、日曜日は開館)、毎月第4金曜日。

各曲輪跡を示す石碑が町中に点在しているので、歩いてその規模を実感しても良いかも。

交通アクセス・駐車場交通アクセス・駐車場

鉄道利用

JR高崎線、吹上駅下車、バス行田車庫行き朝日バス(前谷経由)「忍城」降車、徒歩すぐ。または、秩父鉄道線、行田市駅下車、徒歩15分。

マイカー利用

東北自動車道、加須ICから、約30分(17.2km)。または、関越自動車道、花園ICから、約32分(24km)。無料駐車場有り。

文献資料文献資料

博物館に展示と解説あり。館内でパンフレットを販売。学芸員のお兄さんが親切で、縄張図をいただいた。
[石川造酒正 (2000.04.04)]
[ヒラリン (2002.08.18)]

撮影スポット撮影スポット

忍城御三階櫓を堀ごしに狙おうとすると、最低でも24mmほどの広角レンズが必要になるぞ。歴史ストーリーを考えると、三成の陣地だった丸山古墳から忍城を望みたいが、残念ながら城はよく見えず残念ながらあまり絵にならない。

グルメグルメ

ご当地B級グルメ「フライ」「ゼリーフライ」

行田のご当地グルメとして「フライ」「ゼリーフライ」が知られている。とはいえ、「フライ」は一般的にイメージされる揚げものではなく焼いたもの。ゼリーフライは揚げているが、菓子のゼリーを揚げているのではない。昔から足袋作りの女工さんも食べていたといわれるお値段も手頃なご当地グルメ、現地へ行ったときにはぜひ一度味わってみたい。

(文:haya)

近郊のホテル・旅館近郊のホテル・旅館

行田市駅前の「ホテル サンマリノ」、水城公園付近の「行田天然温泉 ハナホテル行田」だけかも。

歴史観光スポット歴史観光スポット

歴史ストーリー上、訪れておきたい石田三成と水攻め関連

石田堤史跡公園(鴻巣市)

忍城から南東へ約4km、鴻巣市に「石田堤史跡公園」がある。石田堤は、石田三成が忍城を水攻めするために築いた堤の跡。総延長14kmもの堤を5日間で築き、利根川と荒川の水を流し入れたといわれている。現在の行田市と鴻巣市に一部が残っている。石田堤史跡公園には土塁の断層が見られるところがあり、版築の様子が分かる。

石田堤歴史の広場(行田市)

石田堤史跡公園から北へ約200mのところにあり、平成27年(2015)にオープンした。当時の石田堤の深さまで掘り下げた再現箇所がある。余談だが、石田堤史跡公園と石田堤歴史の広場の間にある忍川にかかる「堀切橋」は、野外アート風のデザインが評価され土木学会推奨の土木遺産に認定されている。

三成本陣跡(行田市・丸墓山古墳)

複数の大型古墳が集まるさきたま古墳群であり、古墳公園の中にある「丸墓山古墳」が「三成本陣跡」である。直径105mの大きさで、円墳としては日本最大といわれる。高さは約19mで、さきたま古墳群の中で最も高く、周囲を一望できる。頂上から三成の視点で忍城方面を眺め、思いを馳せるのもいいだろう。なお、古墳から南の駐車場付近へ続く道は「石田堤」の一部。

(文:haya)

忍城の立地と歴史、今に残る城の遺構とは

忍城は現在の埼玉県行田市にあり、北は栃木県との境となっている利根川、南は荒川に挟まれた低湿地帯にある。この2つの河川や支流によって作られた自然堤防や、伏流水が湧き出て集まった沼地に残る島や高地を利用して、忍城は築城された。この立地から、守りにくく攻めにくい天然の要害となっており、関東屈指の名城で…

石田三成の忍城水攻めの映画『のぼうの城』をチェック

映画『のぼうの城』本能寺の変から8年、1590年。戦国末期。天下統一を目前に控えた豊臣秀吉は、関東の雄・北条家に大軍を投じた。そのなかで最後まで落ちなかった支城があった。武州・忍城(おし・じょう)。周囲を湖で囲まれた「浮き城」の異名をもつ難攻不落の城である。城代は…

城ファンチェック (12)

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    2000.04.04 石川造酒正 さんより

    浮き城「忍城」の名残は本丸土塁と諏訪曲輪の一部のみ。鐘楼は改修されて残存。鐘は新鋳のもの。現品は博物館に展示。三階櫓(本当は三の丸に建っていた)は本丸跡に復興。城沼はほとんど埋められて市役所、産業会館、学校になっている。一部が水城公園として残っている。本丸は野球場になっていたが博物館として整備された。全曲輪、城下の復元ジオラマは圧巻。

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    2000.04.04 石川造酒正 さんより

    丸山古墳から天守を狙うと良し。丸山古墳は三成の陣地。

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    2001.04.17 吉本こずえ さんより

    近くの道も整備されていて、江戸時代にトリップした気分が味わえるかも!?

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    2002.05.08 小林幸雄 さんより

    埼玉県熊谷市を本拠地とする成田氏が築いた城で、文明11年(1479)の古河公方足利成氏の書状に「忍城」とでてくるそうで、この時代には既に築城されていたと考えられています。成田氏は北条氏に属していたため、豊臣秀吉の小田原征伐の時には北条方につき、石田光成が水攻めをしました。約1週間で延長28kmにもおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れました。しかし、いくら水を入れても落ちないのは「城が浮いているからだ」と言われるようになり、別名「浮き城」という名前がつきました。その時の堤も今も一部残っているそうで、「石田堤」と呼ばれております。結局小田原落城後もこの城は落とせず、開城(降伏)してもらったそうです。このあと行田10万石として徳川家康の4男、松平忠吉が入場します。以降徳川の親藩や譜代の大名に引き継がれ、明治維新の時、取り壊されます。昭和63年(1988)に再建されました。

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    2002.08.18 ヒラリン さんより

    本丸跡に博物館がある。復興三重櫓があるが、本来三の丸にあったもの。博物館から国道を挟んで北側に東照宮があり、その裏に土塁と水堀の跡がある。また南東部にある水城(すいじょう)公園はかつて堀の役目をしていた沼地を利用した公園。

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    2002.08.18 ヒラリン さんより

    15世紀末に、地元の忍(おし)氏を滅ぼした成田氏により築城。以後約1世紀に渡って成田氏が城主となる。1590年の秀吉の小田原攻めに際し、石田三成らに攻められるが、小田原開城まで持ちこたえ、名城と謳われた。江戸期は阿部・松平(奥平)など譜代大名が入る。明治維新で大部分を破却。

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    2009.09.02 NSカトー さんより

    やはり有名な豊臣秀吉の小田原攻めの際の「忍城攻防戦」。石田三成を総大将に攻め込んできたが、守備隊がよく防ぎ、また三成の水攻めも間者や忍びも紛れさせて失敗。結局、小田原開城まで持ちこたえてしまった。

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    2009.09.02 NSカトー さんより

    2009年7月に訪れました。来秋公開予定の映画「のぼうの城」の舞台ということで、官公庁を中心に当地全体が盛り上がっているようでした。

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    2009.09.02 NSカトー さんより

    毎年11月(平成21年は11月8日)に「忍城時代まつり」が行われます。石田三成軍との「忍城攻防戦」の再現劇も行われます。

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    2009.09.02 NSカトー さんより

    資料館と併設されていて、資料館では戦国時代までの行田地区、江戸時代以降にわかれて展示されていました。当地が足袋の特産地ということもあり、足袋の展示もみられました。

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    2009.09.02 NSカトー さんより

    行田では「ゼリーフライ」が名物です。決してゼリーを揚げたのではなく、おからとイモのフライ。軟らかく美味です。多くの定食や食堂で提供しています。

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    2009.09.02 NSカトー さんより

    石田堤(石田堤史跡公園)、水攻めの際の堤防跡が残ります。また、丸墓山古墳が三成本陣跡です。その他、加須市の不動ケ岡不動尊總願寺に黒門が移築現存しています。

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