写真:岡 泰行

【城郭カメラマン撮影】

石垣山城の見どころと歴史
石垣山城の見どころと歴史

歴史上、関東に初めて登場した総石垣の城である。築城者は言わずと知れた豊臣秀吉。それ以前は、笠懸山(かさがけやま)と呼ばれていたようだ。1588(天正15)年、秀吉は「関東・奥両国惣無事令」を発し、東国の諸大名に私戦を禁じた。関東の覇者、後北条氏(当主は氏直)は秀吉に対する去就をあいまいにしていたが1590(天正17)年、真田昌幸の支城、名胡桃城を一族である北条氏邦の家臣、猪俣邦憲(範直)が奪い取ってしまう。

この事件を惣無事令違反と見た秀吉は北条攻めを決意し、徳川家康、豊臣秀次、毛利輝元、上杉景勝ら総勢15万とも20万とも言われる軍勢に動員をかけた。関東に点在する支城が次々と陥落・開城する中、秀吉は小田原城を包囲した。ただ、豊臣勢に備え、全長9kmにも及ぶ惣構えを構築した城に対し力攻めはほとんど行われなかったという。その間、北条方の知らぬところで石垣山城の築城が始まっていた。

井戸曲輪と小田原市街
石垣山城井戸曲輪付近から小田原市街

石垣山城馬屋曲輪・二の丸跡石垣
馬屋曲輪・二の丸跡石垣

城は、およそ3か月をかけ、天正17年6月26日に落成したと伝わる(他説あり)。その際、城のまわりの木々を切り払って小田原城からも見えるようになった。北条方は「一夜にして城が築かれた」と驚き、戦意を喪失しての降伏につながったという伝承から、「石垣山一夜城」「太閤一夜城」と呼ばれる。

急造を隠すために、骨組みに白い紙を張って白壁に見立てたという言い伝えもある一方、大坂城聚楽第にも劣らない城であると記した、秀吉の書状が残されている。実際には延べ4万人が動員され、金箔瓦の天守も備えた本格的な近世城郭であった。北条氏の降伏後、城は箱根路の要害として小田原藩の管轄下に入り、石垣などはそのまま残された。一部は関東大震災などで破壊されたが、現在は石垣山一夜城歴史公園として整備され、当時の姿を思い起こさせる場となっている。

石垣山城の特徴

山頂付近に本丸が置かれ、天守台はその北西部に位置する。天守台には二層、または三層の天守があったと推察されるが、確かな史料は残っていない。本丸の北に厩(うまや)曲輪、さらには馬出し、その外に三の丸および大手門があったと推定されている。馬出しの東には井戸曲輪が置かれていた。天守台の北西には西曲輪もある。

縄張りを担当したのは、後に築かれた名護屋城との類似点から、黒田孝高(官兵衛)とする説がある。石垣は野面積みで、穴太衆によって築かれたもの。井戸曲輪にある「淀君の化粧井戸」と呼ばれる井戸跡は、谷筋を石垣でふさいで井戸としたもので、当時のままの石積みがよく残る。

参考文献:『日本城郭大系6』(新人物往来社)、探訪ブックス『日本の城2 関東の城』(小学館)、『日本の山城100名城』(洋泉社)、石垣山一夜城歴史公園現地案内板・小田原市公式サイト・小田原市観光協会公式サイト

石垣山城の撮影方法
石垣山城の撮影方法

石垣山一夜城から小田原城を望む公園として整備された山城で随所で遺構が見やすく整備されていて写真に撮りやすい。随所にちらばる石垣と井戸曲輪、本丸は最低でも見ておきたい。本丸の物見台から、秀吉も見たであろう小田原の眺望をどうぞ。

石垣山城の周辺関連史跡
石垣山城の周辺関連史跡

有名城でセットで攻めるべき小田原城はもちろんのこと、石垣山城に来て、最も近い史跡はどこかというと、珍しさと近さで「早川石丁場」は見ておきたい。石丁場というのは山の奥地にあり登山しなければならないケースがあるが、ここは道路直下にあるためアクセスも良い。そのほかJR早川駅近くの堀秀政の供養塔などを紹介する。

早川石丁場群関白沢支群

早川石丁場群関白沢支群江戸城の石垣を築くための石丁場跡が整備され見学することができる。矢穴石や刻印石が数多く見ることができる。石垣山城から西へ徒歩約10分の距離にある。道路にかかる橋の下にあるためその風景から発見しずらいので上記Googleマップを参照されたし。早川石丁場群は石垣の角石に用いられた大きめの石が採取された丁場で安山岩。早川から相模湾に出し江戸まで運ばれた。
早川石丁場群関白沢支群については「公益財団法人かながわ考古学財団」のWebサイトで詳しく紹介されている。

堀秀政の供養塔

堀秀政の供養塔が、海蔵寺にある。山中城攻略後、小田原早川口まで攻め込み、海蔵寺に本陣を布いたが病没する。石垣山城からJR早川駅まで徒歩の場合は、その麓付近にあるため寄っておきたい(神奈川県小田原市早川766)。

小田原城

15世紀ごろ、大森氏が最初に築城したと伝わる小田原城。1495(明応4)年、伊勢宗瑞(北条早雲)が奪い、北条氏5代の居城となった。北条氏が滅亡した後には、徳川家康重臣の大久保忠世が入封。その子、忠隣が改易されると、本丸が現在の場所に移転、惣構えも破却されるなど大きく改変された。明治期に建物は壊されたが、1960(昭和35)年、復興天守が建てられた。

山中城

小田原城の西の守りで三島市にある山中城。発掘調査によって蘇った「障子堀」が有名だ(静岡県三島市山中新田410-4)。

石垣山城のおすすめ旅グルメ
石垣山城のおすすめ旅グルメ

一夜城ヨロイヅカファーム

石垣山城のすぐそばにあり、著名なパティシエ、鎧塚俊彦氏がシェフを務める、レストラン・パティスリー。地元小田原産の素材を使った料理や、スイーツを堪能できる。事前予約がおすすめだ。地獲れの果物や野菜を販売する直売所(マルシェ)も併設。

小田原丼

一 小田原の海と大地で育まれた新鮮な食材をひとつ以上用いること
二 伝統工芸品・小田原漆器の器に盛って饗すること
三 お客様に満足していただき小田原をさらに好きになっていただけるよう、おもてなしすること
の3点を条件に、和風や洋風など、十数種類以上の丼がいろいろなお店で供される。まずはリンク先などを参考に、自分好みの「小田原の味覚」を見つけよう。お腹に自信があれば、はしごも楽しめるかも?

小田原おでん

海産物が豊富な小田原では、蒲鉾づくりも盛ん。名物の蒲鉾や豆腐、コンニャクなど、地どれの食材を使ったおでんも有名だ。

片浦レモン

小田原市片浦地区の柑橘農家で栽培されているのが、減農薬、ノーワックス、防かび剤不使用の「片浦レモン」。それを使った「片浦レモンサイダー」は、地元の人気商品となっている。また、酒愛好家は、焼酎の水割りに片浦レモンを絞り、皮ごと入れる「水レモン」で乾杯!

石垣山城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
石垣山城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

石垣山城付近には無いため、JR小田原駅近郊、小田原城近郊で宿を探すと良い。

石垣山城のアクセスと観光情報
石垣山城のアクセスと観光情報

所在地

住所:神奈川県小田原市早川1383-12 [MAP] 県別一覧[神奈川県]

電話:0465-23-1373(小田原城総合管理事務所)

開園時間

石垣山一夜城歴史公園は散策自由。

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線、早川駅下車、徒歩50分。
箱根登山鉄道、入生田駅から徒歩60分。
小田原駅下車、タクシーで約15分。
箱根登山鉄道、箱根板橋駅下車、タクシーで約10分。

バス

小田原宿観光回遊バス「うめまる号
1日フリー乗車券(乗り降り自由)500円
※土・日曜日、祝日のみ運行。
※小田原城天守閣などの入館料割り引き特典あり

マイカー利用

西湘バイパス「小田原IC」から約15分。
小田原厚木道路「小田原西IC」から約8分。
無料駐車場有り。バイク可。

石垣山城の旅のチェックリスト (8)

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    5年くらい前ですから1993年頃、多少公園としての整備ができました。とはいえ城跡としてのものはそのままに、遊歩道が整備された程度のもの。崩れかけた(そこらへんが急ごしらえの城らしい)石垣がなかなか色っぽく、なかなか広きにわたって縄張りがわかる、よい城跡です。

    (1998.03.14 よーすけ)

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    一夜城と言われる割に立派な石垣があり、石垣に付いている緑のコケが長い年月を象徴しているかのようで感慨深いものがあります。また、小田原城を見下ろせます。

    (1998.05.19 かず)

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    小田原の早川で鮎釣りを楽しんでいたところ目の前の山の石が何となく石垣に見えたので、竿を投げ出し車で山道をイッキに登ったところ道幅狭く車一台ガやっと、だんだん心細くなり始めたころわりあい大きな道に出た、秀吉一夜城との標識が有りまして、城跡を歩いて登り天守閣跡に着いたころには、これが短期間で作った城とは思えぬ縄張り・石垣の大きさ・雄大さでありまして、完成まじかで木を伐採し、これを見た北条勢は一夜で出来あがったと思い、戦意喪失……秀吉の大きさを思いつつ釣りに戻りました。尚、帰りの道はとっても良く国道1号まで通じてました。その為に鮎釣りはぼうずでした。

    (1998.12.14 袋野)

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    初めて城跡に行ったのが石垣山一夜城でしたが、とても良い所です。変に鉄筋コンクリートで城を建て中にはエレベーターもある城が多い中、とても好感が持てました。車ですと国道1号線から舗装された長い山道を登り、無料駐車場の目の前がお城の入り口です。注意した方が良いのは一部駐車場に入れる際に道路と駐車場の間にコンクリートブロック?があり車高の低い車はお腹を擦ります。家族でお弁当持って行って楽しめる所だと思います。再度行きたい城跡でした。

    (2001.12.26 中納言)

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    関東大震災で石垣が崩れているところがあるけど、山に築かれているだけあって眺めは抜群。近くに分かりにくいが出城跡がある。道端に様々な大名の掲示板があるので資料になる。実はこの城は、できたときに木を切り払ったと言われていますが、実際は木など植えず北条氏の観てる前で堂々と城造りをしていたんだそうです。

    (2004.09.01 堀之内寛)

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    夏に行きました。木が多いので本丸の方は涼しかったです。途中、勾配がきつく、道幅が狭いところがあるので明るいうちに行くことをおすすめします。物見台からの景色はとてもいいです。

    (2014.08.07 こんぶ)

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    午前中に小田原城に登城した後に石垣山一夜城に行きました。13時頃に早川駅を出発し、途中ルートを間違えた為、14時半過ぎにやっと到着。100名城には選出されていませんが、本丸跡に有る物見台からの景色は一見の価値有りです。早川駅までの帰り道は徒歩で30分強でした。

    (2015.05.30 ようくん)

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    土づくりの城の関東にはない高石垣で、完成したときに一気に周りの木を切って、北条方をビビらせたそう。秀吉は茶会をしたり、妻を呼んだりと余裕の雰囲気で小田原征伐を行ったらしい。

    (2021.10.20 カール君)

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