写真:岡 泰行

長篠城の歴史と見どころ

長篠・設楽原の戦い史跡案内図お城ファンには『長篠・設楽原の戦い史跡案内図』(新城市教育委員会発光)がずばり良い。城そのものというより、「設楽原の戦い」全般の動きが詳細な地図にプロットされている優れもの。このマップを見れば、すべてのスポットに足を運びたくなるかも。
[shirofan (2000.05.27)]

資料館は2つあります。城跡近くの「長篠城趾史跡保存館」と、JR飯田線、三河東郷駅下車の「設楽原歴史資料館」。

長篠の戦いの資料、鳳来町史『長篠の戦い編』。長篠城趾史跡保存館にてまだ買えるかもしれません。この本は5,000円ちょっとですが、長篠城に興味がある方なら買いでしょう。

『鳥居強右衛門とその子孫』保存館初代館長の丸山彭氏が調査し書き記した本。長篠城趾史跡保存館にて閲覧が可能かも。鳥居強右衛門の子孫を研究した本に、張り付けの旗さしものは、武田方の落合左平治であることが述べられています。これを読めば、あの旗さしものは徳川方ではなくて、武田方の落合左平治のものであることが、納得出来ると思います。なんせ、子孫の方から丸山先生に連絡があって調べたのですから。東大資料室の旗さしものが、どのような経緯で東大にいったのかも書かれています。
[長篠治左衛門 (1999.04.08)]

長篠城の撮影方法

牛淵橋から長篠城を狙うと良しです。季節はいつでも。やっぱ城跡じゃ、ただの原っぱですからね。季節・時間は問いません。秋には紅葉がきれいです。梅雨時の土砂降りの頃(合戦の季節)いらっしゃった方、川の様子を御覧下さい。城を抜け岡崎に援軍を頼みに走った鳥居強右衛門はこの濁流を泳いで下ったんですよ。死んじゃうよな。
[長篠村の田吾作 (1999.03.24)]

長篠城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る長篠城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

長篠城の関連史跡

長篠設楽原古戦場「長篠設楽原古戦場」。この城からそれほど遠くない、設楽原には信長が武田の騎馬隊を防ぐために作った馬防柵が復元されています。あとは城跡近くの長篠城趾史跡保存館と、JR飯田線、三河東郷駅下車にも歴史資料館あり。
[近藤史隆 (1998.10.23)]
[長篠村の田吾作 (1999.03.24)]

近辺にある設楽原古戦場について。設楽が原古戦場資料館の近くに馬防柵が再現されていますが、その西の丘の上の工場前に部隊配置等を示した説明用看板(っていうのかな?)があります。軍事に興味ある向きには是非。
[Spock (1999.05.25)]

長篠設楽原古戦場とセットで廻られたし。その他、鳳来寺には東照宮と呼ばれるものがあり、なんでもココで祈願したから松平竹千代(家康)が生まれたって話で、徳川幕府が大事にしたそうな。新城(しんじょう)の現小学校は、20年くらい前までは木造校舎だった。(城ではなく木造館。そのまま使ってたらしい)だから造りも複雑で広く、教室に帰るまでに迷子になる1年生もいたらしい。校門は、今でも当時の城門のハズ。あと新城の近くに、家康の長女、奥平信昌の室、亀姫の菩提寺があるらしい。
[長篠治左衛門の弟 (2000.09.29)]

鳥居駅から大海へ向かう途中に織田・徳川連合軍唯一の城主級戦死者の深溝城主松平尹忠の戦死の地があります。
[長篠治左衛門 (1999.04.08)]
[長篠治左衛門の弟 (2000.09.29)]

ちょっと長篠城からは遠いですが、長篠の戦いや山家三方衆に関するとこでは、以下の場所が見所です。
◎煙岩山(勝岳院)鳳来寺
 東三河の歴史の話では必ず出てくるところ。信玄や勝頼も逗留。
◎田峰城(設楽町)
 菅沼一族の宗家である、田峰菅沼氏の居城。近年館が復元されました。
◎亀山城(作手村)
 山家三方衆の奥平氏の居城。遺構は残っている模様。
◎新城(新城市)
 読み方は「しんじょう」。奥平氏、後に菅沼氏の居城。現在新城小学校。
◎野田城(新城市)
 菅沼一族の野田菅沼氏の居城。現在藪の中。一応遺構は残っている模様。
[長篠治左衛門 (1999.04.08)]

信長が本陣を置いた茶臼山は比較的近いがかなり歩く。
[百太 (1999.04.08)]

長篠城のおすすめ旅グルメ

このあたりは夏だと鮎かアマゴ。「川魚料理 鳳城苑」愛知県新城市横川字追分270-6(TEL:0120-48-9140)。その他、農産物の直売所「こんたく長篠」。また、武田勝頼が本陣を敷いた医王寺入り口に「本陣」なる食べ物やがありますが、あまりお奨めではないですね。
[長篠村の田吾作 (1999.03.24)]
[長篠治左衛門の弟 (2000.09.29)]

長篠城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

JR飯田線長篠城駅から下りで3駅。湯谷駅でおりれば湯谷温泉。
[長篠治左衛門の弟 (2000.09.29)]

長篠城のアクセス・所在地

所在地

住所:愛知県新城市長篠字市場22-1 [MAP] 県別一覧[愛知県]

鉄道利用

JR飯田線、長篠城駅下車、徒歩10分。

マイカー利用

無料駐車場(20台)有り。 [近藤史隆 (98.10.23)]

城ファンの気になるところ (11)

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    長篠城は、信長の3,000丁の鉄砲隊と武田の騎馬隊の戦で有名な長篠設楽原の合戦であまりにも有名です。天守台は予想していたより小さく、武田勝頼の大軍を500の兵で防ぐには小さすぎると思いました。

    ( 近藤史隆)

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    この城では毎年ゴールデンウィークに、のぼり祭という祭が行われ、火縄銃の演武も行われます。

    ( 近藤史隆)

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    長篠城に一日使ってもらえるんなら、おすすめコースをご紹介します。

    ◎鳶が巣砦 3方を川に囲まれた長篠城を対岸の山の上から見張った砦です。
    ◎牛淵橋 長篠城の3方を囲む豊川・宇蓮川の合流点に架かる橋です。どういう立地に長篠城が在ったかが窺えます。
    ◎鳥居強右衛門 
     磔の跡 武田軍に囲まれた長篠城から織田徳川連合軍に援軍を求めに走った鳥居強右衛門が、援軍来るの報を城中に知らせ、武田軍に処刑されたところです。
    ◎長篠山医王寺 武田勝頼が本陣を敷いた場所。門の前には弥陀の池があり、片葉の葦の伝説が残っています。

    ( 長篠村の田吾作)

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    長篠城周辺にはいろいろなものがありますが、詳しくは史跡保存館にてパンフレットを貰ってください。

    ( 長篠治左衛門)

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    保存館前の旧道を矢沢川渡ったところの民家のところに、鳥居強右衛門が、「助けは来るぞ!!」と場内に向かって叫んだとされるところがあります。確か看板が出ていたと思います。

    ( 長篠治左衛門)

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    鳥居駅から牛渕橋方面に進むと田圃の向こうにの寒狭川沿いに、鳥居強右衛門磔刑の地の碑があります。鳥居駅から飯田線を渡ったところから清井田に抜ける坂道は、武田軍が設楽が原へと進軍した来光坂(ころみつざか)であると思います。

    ( 長篠治左衛門)

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    長篠城北にあるサークルKの裏手が大手門跡で、近くに戦後蟻となって出てきて農作物を荒らした武田の戦死者を封じたといわれる「蟻塚」または「蟻封塔」とよばれるものが有ります。これは武田の戦死者が蟻となって化けて出てきたので、それを封じ込めた場所ということ。長篠城駅近くに「やすら姫」の塚があるはずですが、これは城藪稲荷の「おとら狐」とともに愛知の民話の本で調べられた方がいいかも。説明し出すと長くなるので ^^;。

    ( 長篠治左衛門)

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    こんたく長篠の道を挟んだ反対側の畑の中に「馬場美濃守」の墓があります。

    ( 長篠治左衛門)

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    長篠城は三方を川に囲まれた小城です。史料館以外は見るべきものは少ないです。

    ( Spock)

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    県道69号線沿い、鳶ヶ巣砦へ向かう地点から上流へ数百メートルのところ(姥ヶ懐と呼ばれる)に、武田の鳶ヶ巣砦守備隊「守将、武田兵庫助信実(信玄の異母弟)」の遊軍(浪人衆かな?)を率いて討死にした三枝勘解由左衛門兄弟の石碑がある。そこから山の中にひっそりと墓が残されてある。

    ( 長篠治左衛門の弟)

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    長篠城址での試掘調査現地説明会に行ってきました。現在、保存館から向かって左側に内堀とその内側に土塁が残っていますが、今回の試掘調査している場所は保存館のすぐ前(南側)。現存する内堀と同じ規模の堀が発見されました。幅13m、深さ4m。左手(東側)の堀とつながっていただろうとの考察で、土橋、または橋を架けて渡る構造であったのだろうとの説明でした。発見された堀の内側には、現存する土塁と虎口をはさんで食い違いの位置関係に土塁跡が確認されました。現在では削平されていますが、ここに土塁を復元する計画だそうです。そして、その土塁跡の内側に、発見された堀と暗渠でつながっている三日月堀の跡も確認されました。試掘の課程で皿類といっしょに火縄銃の弾もたくさん出土したそうです。

    ( amano)

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