写真:岡 泰行

高遠城の散策コース
高遠城の散策コース

桜の時期は要注意

開園時間は、午前8時〜午後5時だが、桜まつりの時期は拡大されて、最盛期は午前6時〜午後10時となり、日暮れ後はライトアップも楽しめる。

ちなみに、休日早朝は徹夜組みもいるから、朝6時に現地入りしたとしても、ゲートに最も近い駐車場に駐められないほど混雑する。昼間に行こうものなら高遠城から6kmの渋滞が常で動かず、駐車場は遠いところで三峰川の河原などに駐めて、かなりの距離を歩いて登らなければならず、現地での所要時間がとんでもなく長くなる。

遺構を楽しみたいなら桜の時期を外すこと必須、桜を見たいなら思い切って早朝登城でどうぞ。

高遠城の見どころと歴史資料
高遠城の見どころと歴史資料

青森県の弘前城、奈良県の吉野山と並び、一度は見ておきたい「日本三大桜の名所」にも数えられる高遠城(たかとおじょう)址公園。固有種のタカトオコヒガンザクラが咲き誇る春先は、多くの観光客を惹きつける。

江戸期の遺構を多く残す高遠城は藤沢川、三峰(みぶ)川に挟まれた段丘上にあり、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が囲む梯郭(ていかく)式の平山城である。本丸御殿や庭園など往時のものは残っていないが、石垣を多用せず地形を活かして土塁や空堀を配した造りであった。

この地は信州伊那の要衝で14世紀頃、諏訪氏の支族高遠氏の勢力下にあった。天文14年(1545)、甲斐の戦国大名武田晴信(後の信玄)が攻め取り、信濃平定の拠点とした。天文16年(1547)には、秋山虎繁(とらしげ)と山本勘助が高遠城の改修を手がけたと伝わる。その後は信玄四男の諏訪(武田)勝頼、弟の信廉(のぶかど)、勝頼の異母弟、仁科盛信といった一門が城主を務める要地となった。

天正10年(1582)、織田信長による甲州征伐により城は落城し、盛信も自害。その後はたびたび領主が代わる。江戸時代に入ると高遠藩が成立し、保科氏、鳥居氏に続いて元禄4年(1691)、内藤清牧(きよかず)が入封。以後、内藤氏が代々の藩主となり明治を迎える。

高遠城は明治期に廃城となり、建物などほぼ全てが払い下げられた。明治8年(1875)、城跡の公園化が決まり、翌年には旧藩士たちが城下の桜ノ馬場にあったサクラを移植する。これが現在では約1500本に増え、観桜の名所となったのである。

高遠城の太鼓櫓
搦手門から城下に時を告げていた太鼓は城址に戻された。本丸には明治期に太鼓櫓が建てられた。

高遠城の空堀
各曲輪を仕切っていた空堀。曲輪の周囲には土塁が巡らされ、その上に塀が置かれていた。

高遠城の大手門
明治期に払い下げられた大手門は太平洋戦争の後、現在地に小振りな姿で移築されている。

仁科盛信の墓
城跡の南西にある五郎山には、織田軍に敗れて自害した仁科盛信を祀った祠と石像がある。

高遠城の関連資料

『高遠城址ハンドブック』高遠町教育委員会発行。高遠町立歴史博物館にてGETできるぞ。また、同博物館には高遠城の復元模型があるほか、「絵島囲み屋敷屋敷」が復元されている。

高遠城の撮影方法
高遠城の撮影方法

桜の時期は、白山観音または花の丘公園から

平成8年にできた花の丘公園の上の方からズームでどうぞ。桜の時期に撮影すると周囲の山の中でピンクに色づく城跡の風景が良い。

高遠城の桜または、五郎山にある白山観音から見下すことができる(写真)。五郎山に登る車道に、白山観音を示す小さな案内標識があり、そこから約6分の登山で、白山観音と呼ばれる大きな仏像の下に辿り着く(登り口が見つけにくいので上記Googleマップ参照)。ちょうど高遠城を見下ろす風景となり、桜の包まれた城址を見ることができる(望遠レンズ必須)。ところが、近年、木々が成長してしまい、ちょっと視界が悪くなった。ちなみに後述の五郎山山頂付近の仁科盛信の石像あたりからも眺望が得られるが、この白山観音がある尾根が邪魔して、高遠城の全景は見えない。

また、手軽に城址遠景写真なら、城の南、三峰川にかかる白山橋から。川底との高低差が実感できる。

高遠城周辺の歴史重視の観光史跡スポット
高遠城周辺の歴史重視の観光史跡スポット

仁科盛信の石像とその祠

仁科盛信の墓高遠城をもっとも有名にしたのが、勝頼の実弟である仁科五郎盛信と織田信忠の最後の攻防といって良い。その仁科五郎盛信の墓が、三峰川の対岸にそびえる五郎山山頂にある。白山トンネルの長谷方面出口付近に五郎山に登る車道(分かりにくいため事前に地元で確認すべし)があり、山頂付近まで車で行ける。車を降りて登山道を徒歩3分で仁科五郎の墓と石像。その昔、仁科五郎盛信を慕って高遠城を見下ろす位置に地元民が作ったそうだ。祠は明治期に建てられたものらしい。石像は東向きで午後にいくと思いっきり逆光になるから要注意。

また、仁科五郎盛信の位牌は、城の東、月蔵山の麓、桂泉院にある。または、武田家、保科家の菩提寺である建福寺。ここには勝頼の母の墓がある(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

そのほか、搦手門が、岡谷市(諏訪湖の西)の久保寺に移築されている。

絵島囲み屋敷

江戸時代、大奥のスキャンダルで有名な絵島。大奥のトップへと上り詰めた絵島だが、歌舞伎役者と情を通じたとして、高遠の地に幽閉された。その流刑生活を送った屋敷を当時の見取図をもとに復元したのが「絵島囲み屋敷屋敷」。屋敷は格子や武者返しが設けらるなど厳重で質素な作り。絵島は最期の28年をここ高遠で過ごし享年61歳で病死する。高遠町歴史博物館にある。

高遠城のおすすめ旅グルメ
高遠城のおすすめ旅グルメ

どうやら信州蕎麦発祥の地らしい。

高遠城のアクセスと観光情報
高遠城のアクセスと観光情報

所在地

住所:長野県伊那市高遠町東高遠 [MAP] 県別一覧[長野県]

電話:0265-78-4111(一般社団法人伊那市観光協会)

開館情報

さくら祭り期間中は開園8時〜17時(最盛期は6時〜22時)。入園料500円。その他の時期は無料で散策自由。年中無休。
※高遠さくら祭り
4月1日〜4月30日まで。
ライトアップは咲始めから散り終わりまで(日没から午後10時まで)。

アクセス

鉄道利用

JR伊那市駅・伊那北駅からバス25分「高遠」降車、徒歩20分。

マイカー利用

中央道伊那ICから国道361号線経由、約30分、諏訪ICより国道152線経由、約50分。勘助郭であるグランドゲート・西ゲートに無料駐車場、北ゲート前の駐車場は有料。

高遠城の旅のチェックリスト (5)

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    ちなみに新宿御苑は高遠藩の江戸屋敷跡だぞ。

    (2005.08.02 左近)

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    月蔵山の山麓が西に突きだした台地上にあるお城。北側から山麓を見れば、山城であることが実感しやすい。

    (2006.11.08 光秀)

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    大手門の石垣が、大手門付近の車道、城に向かって右側に残る。本来の大手道は、車道左手の畑付近らしく、その道や門跡の遺構は破壊され、いい加減な積み直しの石垣が被っているそうな。その車道右側の石垣はおそらく虎口の一部だろうと見られる。ちなみに楼門(追手門)は、三の丸に移築され残っている。明治期の払い下げの折りに、規模が縮小されたため、城門というより、普通の家の門といった風情だ。

    (2006.11.08 左近)

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    地元の人に「日本百名城」に選ばれた理由を聞いてみた。「桜が決め手!」と口を揃える。ここの桜は、お城によくあるソメイヨシノではなく、コヒガンザクラという品種のみ。もちろん「桜の名所100選」にも選ばれている。旧藩時代にサクラの馬場の並木だったものを移植・補植されたもので樹齢100年を超えるものもあり、城址全体で1,500本あるのだとか。この桜、紅葉・落葉するタイミングは他の桜や樹木と比べやや早いらしい。

    (2006.11.08 shirofan)

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    是非お花見に行っていただきたいお城です、吉野桜と双璧だそうです。
    車の場合は茅野か諏訪方面からのアクセスの方が渋滞は少ないようです。頑張って平日に行けばまず大丈夫です。公共の駐車場はちょっと歩きますが、平日なら無理なく停められるでしょう。お土産にはあんこたっぷりで有名な?「高遠まんじゅう」をどうぞ。

    (2016.09.27 kaorin27)

城の情報

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高遠城の写真集

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