姫路城の石丁場をめぐる
姫路城の石垣は、池田輝政による慶長6年(1601)からの大築城に際し、周辺各地から切り出された石材によって築かれました。近年の石質調査や現地確認により、増位山や鬢櫛山などが石材供給地であったことが明らかになっています。現在も山中には矢穴痕や刻印、運び出されなかった石材が残り、築城の痕跡を今に伝えています。このページでは、姫路城を支えた石丁場として知られる鬢櫛山、増位山、砥堀谷川を紹介します。掲載写真は代表的なカットに絞っています。
鬢櫛山
鬢櫛山(びんぐしやま)は、姫路城の北西約1kmにある。石丁場として公式に認定された一例目として知られる。近年の石質調査や現地調査では、姫路城石垣に使用された石材との共通性が指摘されており、増位山周辺と並ぶ重要な石丁場だったと考えられている。山中には、石を割るために穿たれた矢穴や、切り出し途中の岩塊、一部で刻印が認められ、築城普請の痕跡を現在も見ることができる。山頂付近の平らな岩面に多くの矢穴列が見られた。




増位山
姫路城の石垣には、2019年には増位山でも当時の採石跡が確認された。鬢櫛山に次ぐ二例目だ。増位山の地質は火砕流が固まってできた岩石で、加工しやすく耐久性にも優れていたため、城の石垣材として重宝されたと考えられている。現在の増位山には、矢穴列や矢穴列痕が残る石材が点在している。なお、増位山の随願寺は、姫路藩主、榊原忠次の墓所となっているが、一部で残石が利用されているのが確認できる。


砥堀谷川
姫路城の石丁場、砥堀谷川(そうめん滝の下流)を訪ねた。増位山の東北麓に位置する。このあたりの地名は「砥堀」といい、石に由来する名が印象的だ。市川に注ぐ支流を遡ると、天台宗の東南寺があり、その周辺がかつての石丁場であった。なお、東南寺はすでに檀家を持たない。細い川の中に巨石がひしめくように並ぶ光景は、いかにも石丁場らしい佇まいであった。
現地では、この場所を管理されている方に偶然お会いした。本来は立入禁止となっている細い石橋の先までご厚意で案内していただき、間近で巨石や矢穴石を拝見することができた。お話によれば、その方の祖父は修験者で、この岩場を修行の場としていたという。その縁からこの地に住み着き、長く守り続けてこられたそうだ。
道路上の案内板によると、矢穴石は三つ確認されている。ひとつは案内板のすぐ裏手、河床にあり比較的見つけやすい位置にある。もうひとつは道路脇にあるもの、残る一つは先の修験場として使われていた岩場にあると教えていただいた。

修験者は写真左奥に見える滝に打たれたそうだ。巨石上には石像が置かれていた。右手の岩上面に矢穴列が残る。

特別に立ち入らせてもらい矢穴石を見た。苔に覆われているが石の中央に矢穴列が縦に走る。

道路上にある矢穴石。

河床にある矢穴石。このほか、春川神社にも矢穴石がある。

河床を50mほど下ってみるもその他の痕跡は確認できなかった。その一方で清流の風景がとても美しい。
ここまで来ればと、随願寺参道の石丁場をもう一度訪ねようと、途中「増位山ドライブウェイポケットパーク」に立ち寄った。しかし、かつて石の穴から姫路城を望めたあの仕掛けも、木々の成長によって視界が遮られ、残念ながら今は見ることが叶わなかった。




