姫路城大天守

最も見どころが多い大天守3階

姫路城大天守3階は、他の階に比べ天井が高く、1階2階から、がらりと風景を変える。一見すると、なにやら欄間のような格子がずらりと内陣を取り囲み、ちょっとおしゃれ心のある空間に見えるが、目に飛び込んでいくるのは、二本の心柱と内陣を囲む防衛上の仕掛けの数々。ちょっと見てみよう。

心柱「西大柱」の柱継ぎ

西大柱(写真左)・東大柱(写真右)は、地階から5階の天井まで通されている。心柱は、初期の城には無いこの構造で耐震的にも進んだ工法だったらしい。

西大柱(写真左)は、築城から48年経った明暦二年に、根元を四方から添え木をあてがい帯鉄で巻いて補強された。昭和の大修理のとき、木曾桧で1本の柱にする予定だったが、運搬中の事故で2つに折れてしまい、下方を木曾桧で、上方をここ播州地方にある笠形神社から伐出されたものを使用して同じ3階で柱継ぎされた。その柱継ぎが3階で見られる。旧西大柱は三の丸に屋外展示されている。

東大柱(写真右)は、樅で継手なしの通し柱で築城時は播州の山林から切り出されたという言い伝えがある。昭和の大修理のとき、根元5.4mを台湾桧で根継ぎされている。根元の切断された旧材は、兵庫県立歴史博物館で展示されている。
大天守3階

大天守3階、防衛上の見どころ

大天守3階平面図

四隅の武者隠し、南側タイプと北側タイプで少しかたちが違う

南側の武者隠しをまず見てみよう。天守3階には四隅に武者隠しが設置され、南側と北側は、そのかたちを少し変えている。写真は南側タイプ、南西角の武者隠しでその扉が開いて中が見えている絵だ。

内部は、人ひとりがやっと入ることができる狭いスペースで、内部に設置された大天守外に向いた鉄砲狭間で攻撃をしかけるも良し、落城間際に天守へ入った敵を、扉を開けて内側から攻めるも良しとなっている。この上部の扉と、その下にある天守内側にむけられた鉄砲狭間は、上下別々の部屋となっている。平成の修復以降はひょっとしたら公開されているかもしれない。
大天守3階・南西の武者隠し

実は上下2部屋

写真(下)は上部の武者隠しの内部。大千鳥破風内にあたり、右手に外に向いた鉄砲狭間が見られる。覗いた高さですぐ床があったので、その下部にある大天守内に向けた鉄砲狭間の武者隠しは別の入口がある(次の写真で)。
大天守3階・武者隠し内部

南側の武者隠しを別方向から

下の部屋への入口はどこか。写真(下)は、先の武者隠しを、別方向から見た写真。左手に石打棚があるがその階段下に、下部の武者隠しへの扉がある。
大天守3階・南西の武者隠し
ちなみにこの写真で、壁の上部に外に向いた鉄砲狭間が2つあり、さらに上に高窓があるのが分かる。また、コーナー部分には、筋交柱(すじかいばしら)が見られるが、もっとも負荷がかかる1階・2階・3階(1階〜2階は通し柱、3階は独立した筋交い柱)に設置されており、約5,700トンの大天守の耐久性と耐震性を高めているそうだ。筋交柱1本でも建物の四隅にかかる圧力をかなり軽減できるのだとか。筋交柱は、近代建築では多用されるようになるが、この時代の建築ではあまり見かけない。ちなみに、松本城天守は約1,000トンと推定されているらしく、その5.7倍にあたる。といってもピンと来ないかもしれない、現代の建物でいうと、梅田スカイビル空中庭園部分、赤坂プリンスホテル旧館などの重量に近い。

今一度、図解するとこうなる。
大天守3階・南西の武者隠し図解

石打棚は、「北側」と「南側」の2本
北側の石打棚は、下部が武者隠し

北側の石打棚への階段と武者隠しがこの写真(下)。写真左手は北西の武者隠しの扉と天守内を向いた鉄砲狭間。写真右手の石打棚の下部の扉が開いているが(普段は非公開)、内部はこちらも武者隠しとして機能する。扉をくぐり入って左を向けば、武者隠し下段の部屋に至る扉がある。さらに写真には少ししか写っていないがすぐ右手に、倉庫がある(後述)。

大天守3階・北西の武者隠し・北側石打棚図解
写真左手には、大千鳥破風に出られる扉がある。2階・4階の開き窓と用途は同じで、外壁や屋根の修理のための扉で屋根に出られる窓だ。これらを外観から見たのが下の写真(乾小天守最上階からの眺め)。屋根に出て大千鳥破風沿いに上がれば、上層の屋根にも行くこともできる。ちょうど写真左上にちらっと見えている上層の千鳥破風にも開き窓があるから、屋根をつたって4階と行き来することもできる。
大天守の大千鳥破風の扉

写真(下)は、その北側石打棚の内部(非公開)を特別に見せてもらった。細長い「入室(いりむろ)」で、本ページ冒頭の写真奥に見える扉の内側となる。大天守3階に押し寄せた敵を迎え撃つ武者隠しとして機能する部屋で、結構な人数が詰めることができる。右手に見える扉が武者隠しの扉で内陣に面している。左手に見えるいくつかの扉は屋根裏のスペースを利用した倉庫だろう。
大天守3階・北側の石打棚下部

突き当たりにある小さな扉は、先の北西武者隠しと同タイプと思われる、北東の武者隠し下段の扉。南側タイプと違って、石打棚の下から入る仕組み。扉横には、筋交柱が見られる。
大天守3階北東の武者隠し下段の扉

堅牢な倉庫

倉庫は、2003年NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』放送中に、武蔵の人形が置かれ、宮本武蔵幽閉「開かずの間」として公開されたことがある。奥行き4.8m、高さ2.7mの小部屋で奥に、開け閉めできる明かりとりの与力窓が設けてられている。壁は厚さ約6cmの板で囲われており、鉄砲からも守られる堅固なスペースなのだとか。

大天守3階の倉庫入口
宮本武蔵幽閉「開かずの間」・姫路城大天守3階

3階から4階への階段

西大柱をまわるように付けられた階段で、中間地点に踊り場のようなスペースありU字型に曲がって4階へと上る。この下に先の倉庫への入口がある。西大柱から続く中央の壁が漆喰で塗られているのは、2階から火が出た場合、階段づたいに一気に4階まで火が登らないようにするためと、3階から4階を直接狙えないようにする防御もちらりと考えてのことだろう(2階から4階までは同じ場所に階段が設置されている)。

ちなみに、踊り場までの下の階段とそこから4階までの階段は傾斜が異なる(踊り場までは約45.5度、踊り場から5階までは約52度とより急角度になっている)。一番左手に見える階段は、混雑緩和のため近世になってつけれた下り用の階段で昔は無かった。

大天守3階から4階への階段

階段の中間地点にある踊り場

Uの字を描いて4階へと上るのだが、格子窓に注目してほしい。格子窓の向こうは、北側の石打棚の上部(後述)で、天守に攻め込まれた際には、石打棚からこの踊り場に向けて、鉄砲で狙うことができる。また、格子窓は、3階から踊り場への階段と、そこから4階への階段のちょうど正面に設置されており、写真アングルの左手は、少し奥まったスペースとなっていて、写真には写っていないが左手の壁に武具掛けもある。例えばここに、武器を持った武士がいれば、3階から登ろうとする敵兵には見えず、4階への道がさらに遠のくことになるだろう。

大天守・3階から4階への階段・踊り場

その北側の石打棚は、3階すべてを狙うことができる

北側の石打棚上部。写真のアングルに普段は上がることができないが特別に端の方だけ上がらせてもらった。北側の石打棚は、その全域から、格子窓を通して内陣を狙うことができる(次の写真)。よく見ると、写真奥、突き当たりの壁に鉄砲狭間もある。

大天守3階北側の石打棚上部

落城間際に、最期の時間を稼ぐ

北側の石打棚上の格子から内陣を見下ろした風景が下の写真だ。この3階に上がってきた敵兵を狙うのに充分な視野がある。正面中央の周囲から一段上に設置されている欄間(格子窓)が、南側の石打棚から狙える射撃ポイント(後述)で、2階から上がってくる敵兵を直接視野に入れることもできる。

大天守3階北側の石打棚から内陣を望む
想像してほしい。敵はこの階を陥落させなければ先には進めない。内陣にはすべて戸板がはまっていて暗い。3階にたどり着いた敵兵からすれば、それらの戸板すべてが武者隠しに見え、「はいはい、そこに石打棚があるのね」なんてすぐには把握できず、南北の欄間(石打棚の格子窓)から散散に撃たれた挙げ句、さらに、この欄間下(石打棚の下)の武者隠しから、武士がどっと出てきて、てんやわんやになるに違いない。

こうして見れば、1階・2階は、天守内から外を攻撃する要素が強く、3階は、1階・2階が危うくなれば3階に早めに撤退して、ここで一網打尽にする、という発想があったのかもしれない。いずれにせよ、天守内に攻め込まれては落城間際なので、敵兵にこれより上階は慎重にと思わせるほどに、ここ3階で攻城スピードを確実に落とせるだろう。落城間際の最期の時間を稼ぐことのできる3階といっていい。

南側の石打棚

南側の石打棚を見てみよう。こちらも写真のアングルに普段は上がることができないが特別に端の方だけ上がらせてもらった。南側の石打棚は、北側と異なりすべてが内陣に連結していない。ちょうど中央にテラスのような一角がある。唐破風の上にあたるため石打棚を高くしているとも考えられるが、内陣に橋をわたすように連結していることを考えると、南側石打棚の目的は主に外を攻撃する用途だが、テラスから内陣をも鉄砲で狙うことを想定した造りなのだろう。これで南北両方から内陣を攻撃できる。

大天守3階・南側の石打棚上部

建材に付けられたマーキング

大天守3階の南側の石打棚の下に、文字で切り込まれた番付がある。また、3階の東の壁際に、多羅葉(たらよう)の葉が切り込まれた箇所がある。多羅葉の葉には番付説と火除け説がある。

南側の石打棚下の番付文字
姫路城大天守3階南側の石打棚の下の番付
東側壁際にある多羅葉(たらよう)の葉
姫路城大天守3階東側壁際にある多羅葉(たらよう)の葉

現在の姫路城で見られる切り込み番付には、絵と文字の二種類がある(番付には、ほかに墨書や刻印がある)。絵で表現されているものは、文字の読めない工人でも分かりやすいように、同じマーク同士を組み合わせるといった建築時に役立つ組み立て説明的なマークの意味あい(合番(あいばん)ともいう)。文字で書かれた番付は、棟梁クラスの文字が読める人が、この材はここで使おうと、建材を選ぶ段階で付けられたマーキングの意味あいだ(大天守5階の破風内の梁にも番付が見られる)。

前述の火除け説は、多羅葉(たらよう)の肉厚の葉は水分が多く燃えないので、それに用いたとする説だ。余談ながら姫山に原生林(自然林)があり、多羅葉は300本以上で他の種を圧倒する割合で優占している。イチョウと同じく防火を意図して植えた可能性があるらしい。

(文・写真:岡 泰行)

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