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津城は、戦国期に織田信包によって築かれ、江戸初期に藤堂高虎の改修で近世城郭として整えられた城だ。伊勢湾沿いの低湿地に位置し、安濃川と岩田川を防御に取り込む平城である。現在は石垣や堀が残り、お城公園として整備され、市街地に往時の面影を伝えている。このページでは、津城の歴史と構造、見どころを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
津城の歴史・見どころ
津城(つじょう)は、伊勢湾に面した低湿地に築かれた城だ。かつて港町として栄えた安濃津の地に、その姿を現す。北の安濃川、南の岩田川を防御に取り込む地に位置する。もとは安濃津と呼ばれた港町であったが、明応7年(1498)の地震と高潮により大きな被害を受けた。この地に城が築かれた時期は明確ではないが、弘治年間(1555〜1558)頃、細野氏が関わった小規模な城が起源とされる。
永禄11年(1568)、織田信長が伊勢へ進出し、長野氏と和睦すると、弟の信良が家督を継いだ。信良は元亀元年(1570)に上野城を築くが、手狭であったため津に新たな城を築き始める。戦乱のため工事は停滞したが、天正8年(1580)、五層天守を備えた津城が完成した。信良はのち織田信包と名を改め、中伊勢を掌握する。
天正10年(1582)の本能寺の変後、信包は豊臣秀吉に従うが、文禄3年(1594)に丹波国柏原に減封されて転出する。翌文禄4年(1595)、富田知信が入封し、子の信高がこれを継いだ。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに際し、安濃津城籠城戦が起こる。西軍三万余の軍勢に対し、城兵と町民が応戦したが、激戦の末に開城となった。
戦後、信高は津に戻るが、慶長13年(1608)、藤堂高虎が伊予の今治城から22万3,950石で入封する。高虎はまず伊賀上野城を本拠とし、戦時の拠点としたうえで、津城を平時の居城と位置づけた。慶長16年(1611)には津城の大改修を開始し、本丸の拡張や櫓の整備、城下町の再編を進める。参宮街道を城下に引き入れたことで、宿場町としての機能も備わり、津の町は大きく発展した。
その後、藤堂氏が代々城主を務め、明治に至る。明治維新後、建物は売却・撤去され、城の機能は失われた。だが石垣と堀は残り、往時の姿を今に伝えている。
津城の特徴と構造
津城は、伊勢湾沿いの低湿地に築かれた平城だ。安濃川と岩田川を外郭の防御に取り入れ、本丸と西之丸を中心に内堀と外堀を巡らせた構造を持つ。水を活かした防御が大きな特徴といえる。
初期の津城は五層天守を備えた戦国期の城であったが、関ヶ原の戦いで焼失した。藤堂高虎の改修では、本丸北側が拡張され、三層櫓や多門櫓が整備される。天守は再建されず、天守台のみが築き直された点に近世城郭としての性格が表れている。
外郭には京口門・伊賀口門・中島口門が設けられ、土塁上に櫓を配して防御線を形成した。城下町は城の北・西・南に武家地、東に町人地を配する計画的な構成だ。参宮街道を城下に通したことで、軍事と交通の両面を担う都市として整えられた。
津城の整備状況
明治維新後、津城は県庁などに利用されたが、櫓や御殿は売却・撤去され、堀も埋め立てられて市街地化が進んだ。城郭の姿は大きく変わっていく。
昭和33年(1958)には三層の模擬櫓が建てられ、その後、本丸や西之丸が整備され「お城公園」として開放された。津城跡は同年に市史跡、平成17年(2005)には県史跡に指定され、歴史遺産としての価値が見直されている。
現在は石垣や堀が残り、市民の憩いの場となっている。城の面影と都市の風景が重なる場所だ。
参考文献:
- 『日本城郭大系10』(新人物往来社)
- Webサイト「津城かわら版」(津市)
津城の撮影スポット・絶景ポイント
津城の模擬三重櫓は午前中の撮影が良いが、前面の道路にある電線が邪魔するため、下からのあおり撮影となる。こうなれば撮影時間はいつでも良い。
津城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、津城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。
津城周辺の観光スポット・史跡めぐり
城下町テラス―津まん中歴史資料館―
「城下町テラス―津まん中歴史資料館―」は、津センターパレス1階にあり、津城の復元模型、現代地図にあてはめた津城の古写真、高虎の生涯を紹介するパネル展示が見られる。
高山神社
津城すぐ南側にある「高山神社」。藩祖藤堂高虎が祀られている。現在ある高山神社は、当時の内堀に位置している。
津城から広がる城めぐり
藤堂高虎ゆかりの城
戦国時代を生き抜き、築城の名手として各地に足跡を残した藤堂高虎。
津城アクセス・駐車場・営業時間
津城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
天守台のすぐ東側、津市社会福祉センター1階に、津城の見所が記載されたマップや、関連書籍などが置いてある。また、津城の模型が、津市市役所ロビーに展示されている。
津城の三重櫓が、2023年1月から土日祝で限定公開される。三重櫓は昭和33年に市民の寄附によりコンクリート製で模擬再建されたもの。
津城:城ファンの知見と記録
津城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全9件)。







慶長16年に現在の規模となった津城ですが、さすがにこの時代ともなると石垣の技術も進歩したようできれいな打ち込みハギでつまれていますね。ちなみに大正時代には天守台上に茶屋が営業していたそうです。
城内にある高山神社は、友人が神主でした。高山さんは今も多分、結婚式場をやっていると思いますが、創業者に相談を受けて会社は経営可能です、と答えたのが40年前でした。私にとって懐かしい神社です。
藤堂高虎の銅像は、北向きに設置されているため、撮影は常に逆光となる。また、銅像というのはどこから見てほしいかを想定して創られているが、この高虎像はあまり考慮されていない。特徴である「手」、「顔」、「兜」を同時に見ることができない難しいポーズ。
織田信包により築かれ藤堂高虎により近代城郭として大改修された城。高虎の特徴である石垣下の犬走りが見られる。
津城の本丸復元模型も市役所1階ロビーにある。
本丸にあるアイキャッチとなっている三重櫓は、外観模擬の櫓。ここには、もともと丑寅三重櫓があった。この丑寅三重櫓は、高虎入府400年を記念し、2009年3月から市役所1階ロビーに1/10の構造模型が展示されている。
※丑寅三重櫓の模型は、2009年の高虎入府400年記念イベントに合わせ「津センターパレス」地下1階に3月14日〜22日(予定)に一時移動される。
西の丸と本丸は、土橋で結ばれていたが、現在は埋め立てられ日本庭園となっている。
天守台は、北側の石垣が時代も古く古風で良い。
水堀・天守台もあります。藤堂高虎の修築した城で、かつては3層櫓が2棟ありました。現在は3層櫓が復興されています。また、立派な高虎の騎馬像があります。