写真・記録:岡 泰行/城郭カメラマン
花巻城の歴史と見どころ
花巻城は、花巻市街の北上川沿いに広がる台地上に築かれた平山城だ。北は旧北上川の瀬川、南は豊沢川が断崖を成し、比高約20mの天然の要害であった。天正19年(1591)、南部信直が北松斎信愛を花巻城代に任じ、従来の鳥谷ヶ崎城を花巻城と改称したのが近世城郭としての始まりである。
城下町の整備も進められ、四日町などの町割が形成された。 前史として、鳥谷ヶ崎は甫氏の居城として知られ、永享8年(1436)には葛西勢の薄衣氏がここに陣を置いた記事が見える。戦国期には甫氏が居住し、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったため、領地を没収されて浅野長政の家臣・浅野重吉が代官として入った。
これに対して甫広忠・和賀義忠兄弟が一揆を起こし、一時は城を奪還するが、翌年の奥州再仕置で討伐された。その後、花巻城代の北秀愛が慶長3年(1598)に没し、代わって父の北松斎信愛が南部氏の重臣として築城の事業を継いだ。
慶長5年には和賀氏遺臣が一揆を起こし、花巻城を襲撃するが、北松斎らが奮戦して防いだと伝えられる。やがて南部利直が領内を平定し、次男政直を花巻城主に任じて和賀・稗貫のうち二万石を与えた。政直は城を大改修し、近世的な城郭として完成させたといわれる。花巻城は仙台藩との国境警備を担う要地として重要な役割を果たした。
花巻城の特徴と構造
花巻城は東西約480m、南北約400mの規模をもつ平山城で、比高約20mの台地上に築かれていた。北東隅に本丸(現・瑞光寺)、その西に二の丸、南に三の丸(現・円城寺)を配し、各郭の間には深い堀が設けられた。本丸の周囲には白壁をめぐらせ、西側には鉤形の堀割を構える。大手は西南に位置し、瓦門と呼ばれる表門があった。搦手は東側で円城寺門と呼ばれ、和賀氏の居城・二子城から移されたと伝わる。これらの構造により、花巻城は南部領内でも屈指の防御性を備えた中世から近世への移行期の城郭であった。
参考文献:
- 『日本城郭大系2』(新人物往来社)
- 「花巻城跡」花巻市公式Webサイト
花巻城の周辺史跡を訪ねて
宮沢賢治記念館を行き忘れたら損!花巻温泉なども。
花巻城観光のおすすめホテル
城から約15分の場所「ホテル花城」とか。
花巻城の観光情報・アクセス
所在地
電話:0198-24-2111(花巻市役所代表)
- 公式サイト:「花巻城跡」(花巻観光協会)
アクセス
鉄道利用
JR東北本線「花巻駅」下車、東へ徒歩約16分。鳥谷ヶ崎公園が城跡。
マイカー利用
東北自動車道「花巻南IC」から約6分(3.4km)または「花巻空港IC」から約5分(2.7km)。二ノ丸南に無料駐車場有り。
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本各地の城郭を訪ね歩いて取材・撮影を続けている。四半世紀にわたる現地経験をもとに、城のたたずまいと風土を記録してきた。撮影を通して美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に宿る歴史の息づかいを伝えている。その作品は、書籍・テレビ・新聞など多くのメディアで紹介され、多くの人に城の美しさと文化を伝えている。
花巻城:城ファンたちの記憶
実際に花巻城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全5件)。




城はほとんど残っていませんが大手門や鐘が残っています。城跡は小学校になっています。花巻市役所付近に鐘があります。戦国時代は斯波氏の領内にありました。
( 伊藤)
花巻城は市街地の中にあるので、遺構はほとんど隠滅してしまっているだろうとたかをくくっていたのですが、意外と城らしい雰囲気がよく残っていました。特に鳥谷ヶ崎公園となっている本丸の堀や復元された枡形門などが見所です。二の丸の南側には現存の円城寺門もあります。
( oran jar)
花巻城は、鳥谷ケ崎公園~花巻小学校一帯が城跡です。全体的に、さりげに遺構がよく残っています。「鳥谷ケ崎神社」に、円城寺門と呼ばれる城門があります。また、花巻市役所に大手門の碑があり時鐘があります。
( chie)
花巻城は、武道館や幼稚園など、広い敷地が城址。円城寺門が現存門として有名ですが、西御門など復元されているんですね。空掘、水濠や土塁などもあちこちに見られ、なかなか散策してみると面白そうです。
( nagae)
花巻城を訪れました。この日はうって変わっての晴天、しかも暑い。今まで北海道の涼しい夏になれていただけに、今年初めて感じたといっていいような夏らしい暑さでした。まずは花巻城の遺構として残る時鐘堂へ。市役所の方に向かうと時鐘堂が見えたのでそのすぐ横にある市役所駐車場に駐めました。するとそこにいた係員の方が「観光ですか?」と聞くので「そうです」と答えると、「それなら市役所の窓口で観光マップやパンフレットをくれますよ」と親切に教えて下さったので後から行くことにし、まずは時鐘堂の前へ行きました。この時鐘はもともとは盛岡城のものだったのを花巻城に移したそうです。本来は二ノ丸にあったものを追手門の位置に移したそうで、この時鐘のすぐ近くに「花巻城大手門跡」という碑もありました。その後、市役所で観光マップをもらい、それに従って今度は円城寺門のある鳥谷ヶ崎神社に向かいます。円城寺門は木造二階建ての櫓門でなかなか重厚なものです。その後は、復元されたという西御門の方へ向かいました。しばらく歩くと花巻小学校の横に西御門がありその奥に本丸跡がありました。西御門は両側に石垣と白土塀がなければ円城寺門に似た二階櫓門でなかなか良い雰囲気でした。またその横には堀跡も残っていました。
( KUBO)