角館城は、戸沢氏が古城山に築き、戦国時代に仙北地方を治める拠点とした山城。山頂部に曲輪を配し、角館の町を見渡す立地に築かれた。現在は古城山から城下町を一望でき、麓には武家屋敷の町並みが残る。このページでは角館城の歴史と見どころ、城下町の史跡を豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
角館城の歴史・見どころ
角館城の歴史
角館城(かくのだてじょう)は、現在「古城山」と呼ばれる標高166mの丘陵に築かれた中世城郭。古城山は、かつて姫小松が多く茂っていたことから小松山とも呼ばれていたという。築城の時期や築城者には諸説があり、『日本城郭大系』では南北朝時代末期頃の菅氏による築城説などを挙げている。
その後、角館城は戸沢氏の拠点となった。戸沢氏が仙北地方へ進出した時期や経緯には不明な点が多く、『戸沢家譜』などにも諸説がみられるが、やがて角館を中心として仙北地方に勢力を広げた。戸沢氏時代には古城山の山上に館が置かれ、その北麓に城下町が形成されており、軍事的機能を優先した町づくりが行われていた。
天文17年(1548)には小野寺氏による仙北への攻撃を受け、この争いには堀田・梅津・白岩・大野・本堂・六郷氏らも関わった。翌天文18年(1549)には秋田・小野寺・戸沢三氏の和睦が成立したと『戸沢家譜』に記されている。
戦国時代後期には戸沢盛安が勢力を伸ばした。盛安は天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、小田原陣中で没した。戸沢氏は盛安の弟・光盛を経て政盛が継ぎ、慶長7年(1602)、関ヶ原の戦い後の領地替えによって常陸松岡へ移された。
戸沢氏に代わって角館を治めたのは芦名氏。元和6年(1620)、芦名氏は古城山を軸としながら、戸沢氏時代とは反対となる南側に新たな城下町を整備した。この頃、古城山の館は廃されて居館も南麓へ移され、角館城は城郭としての役割を終えた。
その後、芦名氏が断絶すると佐竹北家が角館の所預となり、明治の廃藩まで11代、200余年にわたってこの地を治めた。古城山の城そのものは失われたが、元和6年(1620)に始まる城下町の町割りは現在の角館へ受け継がれている。
角館城の特徴と構造
角館城は、角館市街地の北側にそびえる古城山に築かれた平山城で、山頂は標高166m、河川との比高は100m余り。城域は東西約600m、南北約100mとされ、東西に長く延びる急峻な丘陵を利用している。北東側には院内川が西へ流れ、北西側では院内川と合流した桧木内川が南流しており、二つの河川と急斜面が城の北側を守る天然の防御線となっていた。一方、南側には現在の角館市街地が広がり、山上から城下を広く見渡すことができる。

『日本城郭大系』には城内の施設として「高城」「中城」「空堀」が記されているが、元和6年(1620)に城が廃されたため、具体的な縄張や建物配置など、その実態には不明な部分が多い。戸沢氏時代には山上に館を置き、その北麓に城下町を形成していた。現在は明瞭な城郭遺構が多く残る城跡ではないものの、院内川と桧木内川、急峻な古城山という地形から、戸沢氏が拠点とした角館城の立地を捉えることができる。
角館城の整備状況
角館城跡は現在、古城山公園として整備されている。山上に往時の建物は残らず、城郭の具体的な姿を示す遺構も限られるが、山頂付近からは角館の市街地や周囲の山々を望める。なお、熊の出没などによって立ち入りが制限される場合があるため、訪問前に仙北市が発信する最新情報を確認しておきたい。
城跡を訪ねる際には、山上だけでなく、戸沢氏時代の城下が置かれた北麓と、元和6年(1620)に芦名氏が整備した南側の城下町をあわせて歩くと、角館の町が城を軸として大きく姿を変えたことを捉えやすい。
角館の城下町
現在の角館を歩いて目にする町並みの骨格は、元和6年(1620)に芦名氏によって整えられたもの。戸沢氏時代には古城山の北麓に城下町が置かれていたが、芦名氏は古城山の南側に新たな町を築いた。その後、芦名氏が断絶すると佐竹北家が角館を治め、城下町として発展した。現在も江戸時代以来の町割りと武家屋敷がまとまって残り、昭和51年(1976)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
内町と外町を分けた城下町の町割り
城下町の大きな特徴は、武士が暮らす北側の「内町」と、町人や商人が暮らす南側の「外町」を明確に分けた町割りにある。その境には「火除」と呼ばれる東西約288m、幅約21mの空地が設けられ、土塁と木戸門によって両地区を隔てていた。火除は外町で発生した火災が内町へ延焼することを防ぐ役割を持っていたとされる。こうした町の性格は地名にも残り、武士の居住地には「表町下丁」「東勝楽丁」のように「丁」、商人町には「岩瀬町」「下新町」のように「町」が用いられている。
角館の武家屋敷
とりわけ見応えがあるのが、表町や東勝楽丁を中心とする武家屋敷の町並み。道路沿いに黒板塀や生垣、門が続き、その奥に茅葺屋根の主屋や庭園、大木が姿を見せる。屋敷単体だけでなく、道路、門、塀、生垣、樹木を含めた武家屋敷町の空間が連続して残されていることが、角館ならではの景観をつくっている。
武家屋敷では、石黒家、青柳家、河原田家、岩橋家、小田野家、旧松本家などを見学できる。石黒家は佐竹北家の用人を務めた家柄で、薬医門や萱葺の主屋、黒板塀などが残る。道路側にはのぞき窓を備えた黒板塀が巡り、現存する角館の武家住宅の中でも最も古いものとされる。
青柳家は芦名氏譜代の侍で、芦名氏断絶後は佐竹北家に仕えた。万延元年(1860)の銘を持つ薬医門をはじめ、寄棟萱葺屋根の主屋、蔵、塀などがまとまって残る。正玄関と脇玄関が設けられ、訪れる客の格式や身分によって使い分けられていたことからも、武家住宅における格式を知ることができる。


岩橋家は芦名氏の重臣で、芦名氏断絶後は佐竹北家に仕えた。屋敷は江戸時代末期に改造され、武家住宅の間取りを現在に伝えている。屋敷内には推定樹齢300年余りのカシワの大木が残り、シダレザクラとともに武家屋敷の景観を形づくっている。

河原田家は芦名氏の会津時代からの譜代の家柄で、関ヶ原の戦い後に芦名氏に従って角館へ移り、その後は佐竹北家に仕えた。現在の主屋は明治24年(1891)に建てられ、四室で構成された間取りに角館武家住宅の典型的な造りを伝えている。
小田野家は今宮弾正組家で、のちに佐竹北家に仕えた。現在の主屋は明治33年(1900)の大火後に再建されたもの。モミやモミジなどの樹木とクマザサを配した前庭には京都庭園作法の伝統植栽法が取り入れられ、幕末期の武家屋敷にみられた庭園様式を伝えている。一族からは秋田蘭画で知られる小田野直武を輩出した。
旧松本家は、足軽や中間などが暮らした小人町に残る武家住宅。松本家は佐竹氏の重臣・今宮家の組下で、のちに佐竹北家の組下となった。建物は幕末頃の建築と推定され、茅葺屋根や離れの寝室などが残る。上級・中級武士の屋敷とあわせて見ることで、身分による武家住宅の違いにも触れられる。
角館のシダレザクラ
角館の町並みを彩るもう一つの大きな見どころがシダレザクラ。武家屋敷の門や黒板塀、モミなどの大木と重なり合い、角館を象徴する景観をつくっている。「角館のシダレザクラ」は昭和49年(1974)に国の天然記念物に指定され、平成11年度(1999)から平成19年度(2007)にかけて指定木の調査や保存管理計画の策定、生育環境の改善が行われた。土壌改良や根系誘導、根系通気、保護柵の設置など、樹木の状態に応じた保存が続けられている。
古城山に残る角館城の遺構は決して多くない。しかし山を下り、芦名氏と佐竹北家の時代を受け継ぐ町へ入ると、城下町の骨格そのものが現在まで残されていることがわかる。古城山と武家屋敷を一つの城下町として歩くことで、中世の戸沢氏から近世の芦名氏、佐竹北家へと続いた角館の歴史を、町並みの中からたどることができる。
参考文献:
- 『日本城郭大系2』(新人物往来社)
- 現地案内板「仙北市角館 伝統的建造物群保存地区」(仙北市教育委員会)
- 現地案内板「天然記念物『角館のシダレザクラ』保存事業」(仙北市教育委員会)
- Webサイト「古城山城跡(古城山公園)」(仙北市)
- Webサイト「武家屋敷通り 角館の魅力」(角館観光協会)
角館城周辺の観光スポット・史跡めぐり
角館城跡とあわせて巡りたいのが、角館の武家屋敷。現在の町並みは元和6年(1620)に芦名氏によって整えられ、のちに佐竹北家の城下町として栄えた。表町や東勝楽丁を中心に武家屋敷が残り、昭和51年(1976)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。現存する武家住宅の中でも最も古いものとされる石黒家をはじめ、岩橋家、青柳家、河原田家、小田野家、旧松本家などがあり、門や黒板塀、生垣、大木が連なる城下町の景観を楽しめる。角館城跡とともに歩いて巡りたい。
角館城周辺グルメ・名物料理
角館で味わいたいのが、秋田名物の稲庭うどん。「古泉洞」では、歴史ある建物の趣を感じながら稲庭うどんを楽しめる。「菊蔵」は、腰の強い山形板そばを味わえる店。角館町岩瀬にあり、駐車場も備える。「百穂苑」では、200年以上前から武家でつくられていたと伝わる「鮎の姿ずし」を復活させ、角館ならではの料理として提供している。
角館城周辺ホテル・宿泊情報
角館駅を拠点にするなら、駅前に建つ「ホテル B4T 角館」が便利。武家屋敷までは徒歩約20分で、角館城跡と城下町を巡る拠点にしやすい。城下町の風情を楽しみながら滞在するなら、「和のゐ 角館」など田町武家屋敷通り周辺の宿を選ぶのもよい。
角館城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:秋田県仙北市角館町 [地図を見る]
県別一覧:[秋田県の城]
電話:0187-54-2700(仙北市観光情報センター「角館駅前蔵」)
※古城山公園全域は、令和8年(2026)5月15日から熊出没のため当面の間、全面立入禁止。
アクセス
鉄道利用
JR秋田新幹線・田沢湖線「角館駅」下車、徒歩約40分。またはタクシー8分で登山口。駅にはレンタサイクルもある。
マイカー利用
秋田自動車道「協和IC」
大曲西道路「山根IC」から、北へ33分(24.1km)または、東北自動車道「盛岡IC」から、西へ1時間22分(75.1km)。市営桜並木駐車場を利用(4月1日~11月30日・有料)。冬期間は除雪されないため注意。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
角館城:城ファンの知見と記録
角館城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全6件)。
角館城でのひとときを、そっと記録に残す







桜の季節に登った。山頂から見ると、桧木内川沿いの桜並木が長く続いている様子がよくわかり、町中から見る桜とはまた違った景色を楽しめる。武家屋敷周辺に比べると山上まで来る人は少なく、角館の春景色を俯瞰して撮りたい人には印象に残る場所である。
記録:安国寺AK 2025
遊歩道を登っていく途中にも平坦な場所があり、城の曲輪を意識しながら歩くと面白いです。ただ、現地では桜や公園としての案内に比べて城郭遺構の説明が少なく、どこがどの曲輪なのかは少しわかりにくく感じました。事前に縄張や城の概要を見てから登ると楽しみ方が変わると思います。
記録:空蝉日和 2024
武家屋敷が続く通りを歩きながら、ときどき屋敷の中へ入り、角館に残る歴史に触れてきました。華やかな桜の季節もいいですが、新緑や雪に包まれた町にもまた違った風情があります。急いで名所を巡るより、半日、一日とかけてゆっくり歩きたい城下町です。
記録:みちくさ旅人 2018
武家屋敷の町並みを抜け、その先に見える古城山まで歩きました。角館は武家屋敷だけを見ていると町並み観光の印象が強いですが、古城山へ向かって歩くと、ここが城を中心につくられた町だったことを意識できます。城跡と武家屋敷を続けて巡るのがおすすめです。
記録:城好きの匿名希望 2016
古城山はそれほど高い山ではありませんが、登城路は思った以上に傾斜があります。ゆっくり歩いても山頂まではそれほど時間がかからず、登り切ると角館の町並みを広く見渡せました。城跡そのものより、この高台を戸沢氏が拠点とした理由を眺望から感じられるのが良かったです。
記録:城あるき父さん 2003
戸沢氏が支配したその主城。「かくのだて」と読みます。角館城址は標高166mの山で、古城山公園(ふるじろやま)と地元で呼ばれ、削平地・空堀が残っている。桜が多く春は見事。城跡は角館の町を一望できる公園になっている。 元和6年(1620)の一国一城令により廃城。
記録:半兵衛 2000