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写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
福原城(佐用城)の撮影スポット・絶景ポイント
福原城(佐用城)の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、福原城(佐用城)の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。
福原城(佐用城)周辺の観光スポット・史跡めぐり
福原城(佐用城)周辺グルメ・名物料理
北へ7km、利神城の麓、道の駅「宿場町ひらふく」までどうぞ。ご当地ものは「自然薯」「獅子肉」「丹波黒枝豆」など。「獅子肉」は獅子肉コロッケなるものが道の駅で150円で売っているぞ。また、毎年10月第2週あたりになると「丹波黒枝豆」の収穫時期。肉厚で味わい深い丹波黒は、道ばたで販売していることがある。
福原城(佐用城)アクセス・駐車場・営業時間
福原城(佐用城):城ファンの知見と記録
福原城(佐用城)を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。







福原城(佐用城)跡は、周囲の田んぼに切岸らしき跡と、堀切と思われる道路が残っている。小規模な平山城なので、攻略時間は15分といったところ。
竹中半兵衛と小寺官兵衛が、秀吉の命により攻め落城。福原城跡には、福原城主を祀った福原霊社がある。福原氏は赤松三十六衆のうちのひとり。
中世に築かれた代表的な「平山城」で、南面に川、後背に山の「城堅固」の立地で、空堀、防塁、馬落としなどよくその原型をとどめている。
元弘3年(1331)4月28日、淀の久我畷(くがなわて)の戦いにおいて鎌倉方の総大将名越尾張守高家(なこえおわりのかみたかいえ)をただ一箭に討ち取った佐用兵庫介範家(さようひょうごのすけのりいえ)の築城と伝えられ、その後、赤松三十六家衆のうちの福原氏(ふくはらし)がこの城を継いだので、福原城とも言われている。
戦国時代末期、東西の勢力拮抗の狭間で、西の上月城、南の高倉城、東の利神城とともに赤松一統の城郭群を形成していたが、天正5年(1577)11月、上方勢の羽柴秀吉との攻防により落城しその役割を終えた。
後世、土地の人々によって、時の城主福原藤馬允則尚(ふくはらとうまのじょうのりなお)の首級を祀るため城跡に一社が造営され、「福原霊社(俗に頭(こうべ)様)」として今に広く崇敬されている。