上山城の歴史・見どころ

上山城の歴史

上山城(かみのやまじょう)は、天文4年(1535)、武衛義忠が虚空蔵山の高楯城を奪回したのち、天神森の現在地へ城を移して築いた平山城で、月岡城とも称された。上山は山形盆地の最南端に位置し、置賜地方や宮城県白石方面へ通じる交通の要地であった。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、上山里見氏が最上義光とともに徳川方につき、上杉軍と戦っている。

元和8年(1622)に最上氏が改易されると、松平重忠をはじめ歴代藩主の居城となった。城主はたびたび交代したが、17世紀後半、土岐氏の治世には城下町を含めた整備が進み、白壁をめぐらせた城郭は「羽州の名城」と称されたという。

しかし元禄5年(1692)、土岐氏の転封にともない幕府の命によって城郭は取り壊された。その後、金森氏を経て藤井松平氏が入封し、城の一部は修復されたものの、本格的な再建には至らなかった。藤井松平氏は明治維新まで上山藩を治め、明治4年(1871)の廃藩置県を迎えた。

上山城の特徴と構造

上山城は山形盆地南端、天神森と呼ばれた丘陵上に築かれた平山城で、東側を通る羽州街道と城下町を押さえる位置にあった。城域は『日本城郭大系』によれば東西178間、南北282間を測り、石垣・土塁・堀を備えていた。正保元年(1644)頃の「出羽国之内上山絵図」には、城の西北側に侍屋敷、その東側を通る羽州街道沿いに町屋が配置されており、現在の上山市街地につながる城下町の構成を見ることができる。

土岐氏の治世には城郭と城下町の整備が進み、白壁をめぐらせた城郭が形成された。しかし元禄5年(1692)に城郭が取り壊されたため、往時の建造物は現存していない。周囲をめぐっていた堀も明治5年(1872)に埋め立てられ、現在は城跡西側の西内堀にその名残を見ることができる。城跡は月岡公園と月岡神社境内となっており、昭和32年(1957)に上山市の史跡に指定された。

上山城の整備状況

現在見られる上山城の天守風建築は、かつての城郭建築を復元したものではない。昭和57年(1982)、旧二の丸跡に三層の城郭風建築として建設された上山城郷土資料館で、元禄5年(1692)の城郭取り壊しから290年を経て誕生した。館内では上山の歴史や文化に関する資料を展示し、最上階の展望台からは上山市街や蔵王連峰を望むことができる。

城跡一帯は月岡公園となり、上山城、月岡神社、西内堀などが点在する。近年も園路や便益施設などの整備・更新が行われている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系3』(新人物往来社)
  • 現地案内板「上山城の沿革」
  • Webサイト「上山城郷土資料館」(公益財団法人 上山城郷土資料館)

上山城の撮影スポット・絶景ポイント

上山城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、上山城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

上山城周辺の観光スポット・史跡めぐり

中世山城が好きな方には上山城の前身である「高楯城」がお勧め。ただし知る人は少ない。その他、上山市松山の「春雨庵(はるさめあん)」秀忠の怒りをかい、上山に配流された沢庵禅師ゆかりの庵で当時の上山城主土岐山城主頼行が贈ったもの。1955年復元、抹茶一服500円には「春雨」と書かれた干菓子が付く。12~3月は休館。 (地蔵・光秀 98.01.18)

上山城周辺グルメ・名物料理

「一力」そば屋。大手側からくねくね道を下った十字路の角(向かい側は十五屋という菓子屋)。(地蔵 98.01.18)

上山城周辺ホテル・宿泊情報

もともと温泉町なので宿は豊富。 

上山城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:山形県上山市元城内3-7

県別一覧:[山形県の城]

電話023-673-3660(上山城郷土資料館)

アクセス

鉄道利用

JR山形新幹線・奥羽本線、かみのやま温泉駅下車、徒歩約7分。

マイカー利用

東北中央自動車道、かみのやま温泉ICから約10分。または山形上山ICから約10分。上山城駐車場あり(50台)。