浜田城は元和6年(1620)、古田重治が亀山で築城を始め、幕末まで浜田藩の拠点となった平山城。浜田川と松原湾に近い標高70mの独立丘陵に、本丸、二ノ丸、三ノ丸を配し、本丸には高さ約14mの三重櫓(天守)を構えた。現在も本丸や石垣が残る。このページでは浜田城の歴史や見どころ、アクセスを紹介する。
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浜田城の歴史・見どころ
浜田城の歴史
浜田城は、浜田市街の中心に位置する標高70mの独立丘陵、亀山に築かれた。山麓には浜田川が流れ、松原湾にも近い。元和5年(1619)、古田重治は徳川頼宣の和歌山転封にともない、伊勢国の松坂城から浜田へ国替となり、那賀・美濃・邑智郡と丹波国船井郡内を合わせて5万5千余石を与えられた。重治は領内各地を検分したのち現在地への築城を決め、鴨山を亀の縁起にちなんで亀山と改めたと伝わる。
築城は元和6年(1620)2月に始まり、同年11月には地普請の大概を終え、元和9年(1623)に城と城下の諸工事が完了したと伝わる。本丸には高さ約14mの三重櫓(天守)が置かれ、城内にほかの櫓はなかった。二ノ丸や三ノ丸には番所、諸役所、土蔵、屋敷などが配され、浜田城は以後の藩政を担う拠点となった。
古田家は二代で改易となり、慶安2年(1649)には播磨国宍粟から松平康映が入城した。宝暦9年(1759)から10年間は本多中務家が入り、その後は再び松平周防守家が浜田城を居城とした。天明6年(1786)には1万石の加増を受けたが、天保6年(1835)、松平康任が仙石事件に連坐して老中を辞任し、隠居した。翌天保7年(1836)には奥州棚倉への転封があり、竹島事件も発覚して藩内は混乱した。その跡には上野国の館林城から松平斉厚が入った。
幕末の慶応2年(1866)、長州兵の進撃を受けるなか、藩主松平武聡は7月18日に浜田城を自焼して退城した。これによって、長く藩政の中心を担った浜田城は、城としての役目を終えた。なお、三重櫓(天守)はこのとき焼失したとも、焼け残ったとも伝わり、その存亡は明らかではない。
浜田城の特徴と構造
浜田城は、浜田市街の中心にある標高70mの独立丘陵に築かれた平山城で、山麓を浜田川が流れ、松原湾にも近い。城域は『日本城郭大系14』によれば466m×250m。本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸を配し、東側には幅約30mの内堀を設け、浜田川とともに城域を画していた。
本丸には高さ約14mの三重櫓(天守)があり、城内にほかの櫓は設けられていなかった。本丸の北側には高さ約5.5m、西側には約4mの石垣が築かれていた。二ノ丸には櫓台、焔硝蔵、本丸常番所、時打番所が置かれ、三ノ丸には諸役所、土蔵、表屋敷、南屋敷などが並んだ。『日本城郭大系14』によれば、三ノ丸の建物は3740㎡に及んだ。
城門には一ノ門、二ノ門、中ノ門、大手門などがあり、二ノ門と中ノ門は多門造り、ほかは冠木門だった。本丸から中ノ門までは約220m、中ノ門から大手門までも約220mあった。夕日ヶ丘の西側には庭園や茶屋も設けられていた。現在の城跡には本丸や石垣が残り、浜田城の遺構を現地で確認できる。
浜田城の整備状況
浜田城跡は昭和37年(1962)6月12日に島根県指定史跡となっている。浜田市は城山公園の整備にあたり、城郭遺構を保存しながら発掘調査や学術的調査を進め、自然環境も保全する方針を掲げた。
城山エリアでは、石垣や階段の保全・修復、園路や旧浜田県庁門・中ノ門への見学動線、安全柵、案内・解説サインなどの整備が計画された。散策路は現況をできる限り活用し、安全性と周遊性の向上に必要な箇所を整備する方針とし、出丸石垣の活用や樹木の伐採による眺望確保、桜などの植栽も盛り込まれている。
参考文献:
- 『日本城郭大系14』(新人物往来社)
- 「浜田城跡」(浜田市教育部文化振興課)
- 『浜田城周辺整備基本方針(城山公園整備)』(浜田市)
浜田城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
浜田市浜田城資料館
浜田城跡の麓にある資料館。歴史的建造物「御便殿」を活用し、浜田城を中心に、城下町や北前船の寄港地として栄えた外ノ浦、御便殿の歴史などを紹介している。浜田城を歩く前後に立ち寄れば、城と城下町、港とのつながりを理解しやすい。入館無料。
浜田城周辺グルメ・名物料理
浜田の海の幸
日本海に面する浜田は、古くから漁業が盛んな土地。浜田漁港には多彩な魚介が水揚げされ、なかでも「のどぐろ」は浜田を代表する味覚として知られる。刺身や寿司、煮付け、焼き物など、城めぐりのあとは日本海の魚を味わいたい。
赤天
浜田を代表するご当地グルメのひとつが「赤天(あかてん)」。魚のすり身に赤唐辛子を練り込み、表面にパン粉をまぶして揚げた赤い練り物で、ピリッとした辛さと独特の食感が特徴。軽く炙り、マヨネーズや醤油を添えて食べるのも定番。酒の肴にもよく、浜田の土産としても親しまれている。
浜田城周辺ホテル・宿泊情報
島根浜田ワシントンホテルプラザ
JR浜田駅から徒歩約3分と、鉄道で浜田城を訪れる際に便利なホテル。朝食では、のどぐろや赤天、板わかめなど地元の味を取り入れた「石見朝食」も楽しめる。浜田城をはじめ、市内観光の拠点として使いやすい。
いわみの湯 美又温泉 なごみ湯宿かなぎ
浜田城めぐりとあわせて温泉を楽しむなら、美又(みまた)温泉の「なごみ湯宿かなぎ」へ。山あいの温泉地にあり、城跡を歩いたあとにゆっくり滞在したい人に向く。浜田市街から少し足を延ばし、温泉まで含めて浜田の旅を楽しみたいときの宿泊先。
国民宿舎 千畳苑
日本海の景観を楽しみたいなら、海辺に建つ「国民宿舎 千畳苑」。浜田城とあわせて海岸部を巡る旅にも組み込みやすく、浜田の海の幸を味わいながら滞在できる。城だけでなく、日本海の風景まで楽しみたい人におすすめの宿。
浜田城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:島根県浜田市殿町
県別一覧:[島根県の城]
電話:0855-28-7151(浜田市浜田城資料館)
- 浜田市浜田城資料館(公式ページ)(浜田市)
開館情報
浜田城は散策自由。浜田市浜田城資料館は9:00~17:00。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、展示替え期間、年末年始(12月29日~1月3日)。入館無料。
アクセス
鉄道利用
JR山陰本線「浜田駅」下車、徒歩約20分。
マイカー利用
浜田自動車道「浜田IC」から約10分。浜田市浜田城資料館に無料駐車場あり(26台)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
浜田城:城ファンの知見と記録
浜田城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全4件)。
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第二次長州征伐で、村田蔵六(後の大村益次郎)率いる長州藩の軍勢に攻められ、落城(自軍で火を放って撤退)したそうです。
記録:こいちろう 2012
護国神社から登ると、すぐ、司馬遼太郎による「浜田藩追懐の碑」があります。その脇から登ると、旧津和野藩庁の門で旧浜田県庁にも用いられたという木造の門があります。そこからは、山野斜面に沿って積み上げられた石垣が続き、頂上の本丸からは、美しい外の浦などの眺望が見られます。
記録:こいちろう 2012
浜田城は、元和五(1619)年に五万五千石で入封した古田重治が築いた。浜田川河口にあり、本丸跡からは日本海や海上流通の拠点だった。松原湾、外ノ浦が一望できます。かつて三重櫓の天守がそびえてスペインの宣教師に褒められた美しい城であったそうです。
記録:倉井亨 2011
昔も今も浜田は港町。現在は天守はなく城跡ですが浜田港に近く本丸跡から見える景色は最高です。石垣もきれいで平山城にしては簡単に登れるお城です。
記録:倉井亨 2011