大天守最上階

これまでの階とはまったく異る意匠で、最上階には天井もある。城の天守閣というと、イメージとしては、最上階に廻縁がついている風景を想像するが、姫路城は、それが室内に取り入れられているタイプといっていい。廻縁は、南側と東西側は広く、北側のみ狭い。

大天守・最上階

書院造の特徴はどこ?

大天守は最上階のみ書院風に造られている。廻縁の床面より内陣の床面の方が少し高く、天井が設けられている。

天井

天井は、竿縁天井(さおぶちてんじょう)といって、竿縁(下写真の天井で縦に走る木材)を一定間隔に並べた上に天井板を載せたもので、よく見ると一部の材でその竿縁の角を取るような、おしゃれな加工がなされているようにも見える。だとしたら、さらにランクアップして猿頬面竿縁天井(さるほほめんさおぶちてんじょう)ということになるが詳細は分からない。

この竿縁天井は格式の高い部屋に用いられることが多く、通常、床の間に対して平行に付けられるので、ちょうど刑部神社の収まりがいい(刑部神社は明治に明治12年に祀られるようになった)。また、廻縁の天井はこれとは異なる形式で、竿縁がない天井となっている。姫路城では、各小天守の最上階も大天守と同じ竿縁天井が用いられているそうだ。

蟻壁

天井のすぐ下の壁には、横に細長く白漆喰が塗られ、柱が通っていない箇所がある。これは「蟻壁(ありかべ)」といって、部屋の間延びした感じを引き締める書院造のデザインだ。姫路城では、備前丸の東側の入口に設けられた折廻櫓や西の丸の千姫化粧櫓でもこの意匠が見られる。

舞良戸

写真奥の階段付近に戸板がはめられている。この戸板は、「舞良戸(まいらど)」といって、細木を狭い間隔で横向きに入れた書院造で使われるデザインの建具だ。本来は四面すべにこの舞良戸がはめられていた(昭和の大修理の際、大天守地階からこの最上階で使用する舞良戸18枚が発見された)。敷居を見ると、溝が3本あるので舞良戸で2本、残りは障子が入っていたと考えるのが妥当だろう。今とちがって当時は相当暗い部屋となる。一部の残光で内側の白漆喰と、銅製の釘隠が鈍い光を反射してほのかに浮かぶ風情があったのかもしれない。城内で舞良戸は、西の丸化粧櫓にも使われている。
大天守最上階の舞良戸

刑部神社は、ひと言でいうと姫路城の守護神

刑部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)は、ひと言でいうと姫路城の守護神。姫路城が建てられる前から姫山に祀られていた神社で、現在姫路市に3ヶ所ある。この大天守最上層、播磨総社境内、旧城下町の立町の3つで、加えて、姫路城の搦手道にあたる「との一門」虎口の裏手(城の鬼門)に長壁神社がもともとあった場所を示す石碑が建っている。

この最上階のものは明治12年に祀られるようになったもの。姫路では初夏に行われる長壁神社の夏祭り「ゆかたまつり」が有名で3日間で20万人以上の人出があるというから、現代でも姫路市民にとって馴染み深い神社だ。
刑部神社(長壁神社)

塞がれていた四隅の幻の窓

現在、最上階には、南側、北側の中央に各5つ、東側、西側にそれぞれ3つの窓があって、その四隅は壁となっている。この壁に、窓を想定していた痕跡(敷居など)が出てきた(この窓は昭和の大修理のときの記録にその記載があったが、窓として認識していたかは定かでない)。その窓のサイズは現在の窓とまったく同じらしく、敷居に使われた痕跡が無いことから、築城当時から塞がれていたことが平成の修理で分かった。

大天守6階平面図
旧窓跡にはめられた板(下写真)は、硬い「椋(むく)の木」の一枚板で、5〜6cmの厚みがあるらしい。また、本来はその扱いにくさから、建築ではあまり使用されない材なのだとか。もし窓が作られていたら、最上階は、360度大パノラマになっていたかもしれない。眺望よりも、耐震・台風・防弾いずれかを高めるために塞がれたのではないかと推測されている。
修復で明らかになった窓跡・姫路城大天守最上階
その塞がれた窓に四角く凹んだ箇所がある。仕様変更した後に付けた鉄砲狭間かと思われる。外観からもこの凹みが確認できる。また、窓の下に注目してほしい。同じように小さく四角形に凹んだ箇所も鉄砲狭間で、普段は塞いでおいて、戦闘時に破って使用する「隠し狭間」といわれるタイプの鉄砲狭間だ。姫路城では随所に見られるが、ほかに少しタイプのちがう突き上げ式の隠し狭間が、搦手道の「との一門」から「との二門」に至る土塀で見られる。

また、この廻縁には、柱の上部に舟肘木(ふなひじき)が設けられている。舟肘木は、船形の肘木で、桁と柱の間に入れることで接地面積が増えて屋根や小屋組の荷重を軽減するもので、他の階では見られない。
大天守最上階外観

豪華な釘隠は最上階だけ

最上階が特別な意匠であることを示す分かりやすいパーツが、釘隠(くぎかくし)だ。地階から5階までの木製の黒い釘隠と異なり、最上階では、豪華な銅製六葉金鍍金の釘隠が使われているからちらりと見ておこう。

金箔貼りの釘隠・大天守最上階

蟇股(かえるまた)

双眼鏡などで外から天守をつぶさに見れば実は面白い。天守台の石垣になにやら文字が書かれていたり、思わぬ発見をする。そのひとつに、蟇股の紋に、種類があることに気がつく。屋外の装飾なので最上階に上がっても見えないが、せっかくなのでここで紹介しておく。

蟇股(かえるまた)は、寺院建築に用いられた意匠で、重量を支える部材がデザイン化されたもの。カエルが踏ん張る姿に似ているためそう呼ばれたのだとか。平成の修理で、天空の白鷺の特別公開があり、そのとき、北側のみ間近からの見ることが叶った。最上階北側の蟇股の紋は、謎の家紋らしい。南側には、剣酢漿(けんかたばみ)といって、最後の城主、酒井家の家紋が入っているのだとか。剣酢漿の写真は、三左衛門さんからご提供いただいた。
姫路城 蟇股の紋・大天守閣五層壁の北側

  • 姫路城 蟇股の紋・大天守五層壁の北側北側の蟇股 謎の家紋
  • 姫路城 蟇股の紋・大天守五層壁の南側南側の蟇股「剣酢漿」(三左衛門さん提供)

天井裏

大天守の最上階の屋根を見ると、入母屋の中に水抜きの付いた窓があることに気がつく(写真左)。屋根の修復が主な用途かと思われるが、この最上階からは、西北隅の天井から入ることができるという話を三左衛門さんから聞いた(写真右)。天井裏は図面を見ると多数の梁があって部屋として機能はしないが、この窓へは出られるようになっているだろう。

  • 大天守最上階の屋根
  • 大天守最上階天井裏への出入口

埋め木は工人たちの遊び心

最上階にはよく見ると、以下のようなマークの付いた木材が見られる。材木の「死に節」や「抜け節」、「割れ節」を、埋め木によって補修したものではないかと思われる。見ているといろいろな形があり、☆型(五芒星)、ひょうたん、なすび、もしかして男○?と、当時の工人たちの遊び心が見てとれる。

現代でも埋め木はよく行われており、現存ではないが再建された大洲城天守でも、心柱の近くに、てんとう虫の埋め木がある(最後の写真)。

  • 死に節の加工・大天守最上階大天守最上階の埋め木:五芒星
  • 死に節の加工・大天守最上階大天守最上階の埋め木:ひょうたんの形
  • 死に節の加工・大天守最上階大天守最上階の埋め木:不明
  • 死に節の加工・大天守最上階大天守最上階の埋め木:なすびの形
  • 死に節の加工・大天守最上階大天守最上階の埋め木:もしかして男○!?
  • 死に節の加工・大洲城
    大洲城天守の埋め木:てんとう虫

天守群修理のスパンをチェック

昭和の大修理の工事が完了した1964年から、50年周期で大天守、30年周期で小天守の修理が行われることになっているから覚えておこう。次回は2024年に小天守の修理が行われる。

白さについて

築城時の姿とはいえ、大天守の外観が白すぎるのはどうにも落ち着かない。姫路城といえば、年中どこかの漆喰を塗り直している印象があるから、姫路城の城域では「白さ」は、さほど珍しいことではない。ただ、城のメインディッシュである大天守を覆っていた素屋根が、一気に取り払われたギャップもあって、かなり目立つのも確かだ。

今回の修理が終了に近づくにつれ、各媒体は、宣伝のポイントをどこに持ってくるか悩んだことだろう。そこまで白いことをキーにするのかと思うほど、白さアピールが目立つ。耐震補強がどうとか、最上階の床板を一部張り替えたとか言っても、一般的にはピンとこないのも確かだ。どうにも宣伝に違和感を覚えてしまう。平成の修理以降、展示物も撤去され、がらんとした印象を受けるかもしれないが、城本来の仕掛けがいろいろと見えてくる。その見どころに少しでも触れていただければ嬉しい。

また後日、小天守や渡櫓など天守群全体を、お城ファンの目でご紹介できればと思うがいつになるやら…。
(文・写真:岡 泰行)

この記事を執筆するにあたって、姫路城英語ボランティアガイドの三左衛門さんに、間違いの指摘や筆者にはもったいないほどの助言をいただいた。記してお礼申し上げます(三左衛門さんのブログはこちら)。

おあと、せっかくなので、平成の修理を終えて白くなった姫路城の写真をちらりと掲載しておこう。
平成の修理を終えた姫路城
平成の修理を終えた姫路城
平成の修理を終えた姫路城

姫路城の写真ライブラリー
姫路城の見どころ

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