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須知城と玉雲寺、琴滝に残る記憶を歩く

玉雲寺の山門

京都府京丹波町にある須知城を訪ねました。

須知城は、明智光秀による改修の可能性が指摘される山城で、主郭部には古式石垣が良好に残っています。山の上には、少し癖のある古い石垣が残っていました。

そして、今回あわせて気になったのが、その麓にある「玉雲寺」です。

須知川を挟んだ山肌に立つ寺なのですが、周囲に集落があるわけでもなく、妙に立派なのです。しかも、須知城の麓にあったとされる居館は反対側に伝わっています。

では、なぜこの場所に寺があるのか。

その理由を知りたくなり、改めて玉雲寺を訪ねました。

ご住職のお話によれば、玉雲寺の前身は「琴滝」にあり、須知城を攻めた際に放たれた火によって焼失したと伝わるそうです。そして、明智光秀が現在地に住まいを用意したとも。

さらに寺には、光秀が母の弔いを頼んだという話も伝わっていました(一説には乳母とも)。現在も琴滝周辺には石垣が残り、玉雲寺とのつながりを今に伝えています。

興味深かったのは、寺が広大な寺領を持っていたこと、廃仏毀釈や農地改革によって土地を失っていったこと、そして最後には須知城を含む山を売って維持していたというお話でした。

一方、城の北側には、山陰道の宿場町「須知宿」が残っています。

観光地化された町並みではありません。数軒に往時の面影を残す程度ですが、旅籠「大黒屋」の看板や、煙出し窓を載せた造酒屋建築など、この土地に積み重なった時間を感じさせる風景が残っていました。

町の方のお話では、かつては飲み屋や女郎宿も並び、「無事須知を通りました」という手紙が残るほどだったそうです。

須知城を歩いているつもりが、気がつけば宿場町や寺の歴史へ入り込んでいました。

城だけでは終わらない。
そういう土地があります。

須知城は、まさにそんな場所でした。