2020.12.01   /   城の歴史旅   /  

シリーズ『城の歴史旅』

城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。

丸亀城(本荘良智)
[File.008] 本荘良智

シリーズ城の歴史旅:
『四国現存天守を巡る旅 讃岐丸亀城』

丸亀城の起源は室町時代前期、丸亀平野の亀山に細川頼之重臣の奈良元安が砦を築いた事から始まります。1597年生駒親正が讃岐17万石で入封。高松城を本城とし亀山に支城として本格的な城郭を6年の歳月をかけ築城。その後、山崎氏・京極氏で明治を迎えます。現在に遺る天守・石垣等は京極氏入封時の大改修による物と云われています。

高松城を後にJR予讃線丸亀駅を降り先ずは腹ごしらえ、丸亀と言えば「うどん」現在も営業しているか分かりませんが、予讃線高架下のうどん屋さんへ。釜揚げうどんに、ちくわとイカの天ぷらをトッピング、流石本場コシが強いうどんで食べ応え十分!とても美味かったです。

お腹を満たし、丸亀城大手門へ向かい徒歩15分。この日は雨が降る「全くもう!」のコンディションでズボンの裾が濡れ始めた頃、丸亀市民広場に到着、標高60mの亀山に4重に重ねられた高石垣上に小さいですが三重の天守が目立ちます。京極氏入封事改修の際建立天守、時代的に大規模天守は御法度なので三階櫓を天守代りに使用していました。

丸亀城大手門(本荘良智)
丸亀城大手枡形鏡石(本荘良智)
大手門土橋を渡り大手枡形に入りますが、土橋から堀を覗き込むと城名との繋がりか鯉も居ましたが、亀も沢山生息していました。枡形の石垣には鏡石が幾つも嵌め込まれています。大手には大きな鏡石や大きな門は常ですね。ココで城主の威厳と力の見せ場ですから何処の城も頑張っています。

御殿表門 丸亀城(本荘良智)
大手ニノ門を潜り山上に登る前に御殿表門・番所・長屋を見学。藩政時代は本丸にでは無く麓に御殿を置き藩政と藩主の住まいとしましたが、現在御殿自体は存在していません。

丸亀城高石垣(本荘良智)
丸亀城高石垣(本荘良智)
表門を潜ると散策道をそのまま搦手へ、帯曲輪高石垣を左手に進むと2018年10月に崩落した三の丸坤櫓趾・帯曲輪南西角石垣が球場の前に見えて来ます。私が訪れた頃は崩れてはいませんでしたが、石垣は緩み石と石の隙間がかなり空いていました。石垣崩落のニュースを見た時はやはりと思いました。現在は復旧工事が進められ修復完了予定は2023年だそうです。

丸亀城搦手(本荘良智)
丸亀城搦手(本荘良智)
そのまま搦手へ向かう、すると低い石垣が現れます。多分往時はもっと高かっただろうに…。生駒時代は城の南面に大手が在りましたが京極氏が入った際に現在大手が在る北面に改修されましたが、こんなに低い筈は有りませんので後世に解体され石は再利用されたのではないかと思います。

丸亀城天守(本荘良智)
さて左回りに一周して大手に戻り本丸目指し坂を登る、コレがまた結構キツい!三ノ丸・二ノ丸と上がり本丸虎口へ上がると右手にお目当ての天守が下から見た印象は「ちっちゃ!」それがいやいや結構堂々としているではありませんか。少し急ぎ足で本丸迄来てしまいましたが、ヤバイ!これから高松空港まで戻らねば飛行機の時間が…。

丸亀城(本荘良智)
これにて私の「四国現存天守を巡る旅」はこの丸亀城で終了です。この6年後、高知城は抜きで松山城・宇和島城・丸亀城は再訪しました。時間が経ち新たな気持ちで見直すとまた違った見方が出来ました。

(文・写真=本荘良智)

シリーズ『城の歴史旅』

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