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武州松山城の歴史と見どころ
埼玉県吉見町役場に精巧な復元模型。当時の戦国城の雰囲気が大変良く伝わる。
[ボルジア (1999.03.03)]
武州松山城の周辺史跡を訪ねて
吉見百穴。古代の墳墓後。丘の斜面に空いた無数の穴が薄暗いときに見ると不気味すぎるが一見の価値あり。
[ボルジア (1999.03.03)]
武州松山城の周辺おすすめ名物料理
「らーめんむつみ屋東松山店」なんと!このラーメン屋の店主はお城ファンで武州松山城に詳しい。通な話が聞けるかも。東松山市大字松山2750。ちなみに濃厚みそらーめんがうまい。
[助川富雄 (2005.03.19)]
武州松山城の観光情報・アクセス
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本各地の城郭を訪ね歩いて取材・撮影を続けている。四半世紀にわたる現地経験をもとに、城のたたずまいと風土を記録してきた。撮影を通して美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に宿る歴史の息づかいを伝えている。その作品は、書籍・テレビ・新聞など多くのメディアで紹介され、多くの人に城の美しさと文化を伝えている。
武州松山城:城ファンたちの記憶
実際に武州松山城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全2件)。




私は武州松山城城主であった、上田能登守朝直の直系で29代目に当たるものです。私の祖父である初代東秩父村村長の関口児玉之輔が、大正十四年十一月八日に「松山城とその城主」を発刊し、父の関口直久が昭和五十七年十月三日に、復刻をし、松山城の歴史を、世に示しております。
( 関口直温)
扇谷上杉氏、北条に仕えた上田朝直・憲定らによって治められた。現在の埼玉県東松山市は、松山城(吉見町)の東に発展した城下町が元になった。
( ボルジア)