写真:岡 泰行

世田谷城の歴史と見どころ

世田谷城阯公園の西側(城山通り側)、遊具などが設置されているエリアにある案内板「世田谷城跡」が、発掘調査や城域の推定図が掲載されていて詳しい。案内板の裏面(道路側ではなく城側)を見るべし。

世田谷城の関連史跡

空堀と土塁が残る世田谷城阯公園の攻略時間は5分程度。時間に余裕があったら訪れてみたい4スポットは下記の通り。

豪徳寺は吉良氏館跡

吉良氏館跡と推定されている、公園北の「豪徳寺」を訪れるべし。境内には井伊家墓所もある。彦根藩主、井伊直孝の菩提を弔うために建てられた。

世田谷八幡宮は出城の役割

豪徳寺の西の世田谷八幡宮は、吉良頼康が創建の神社で、世田谷城の出城の役割があったらしい。

勝光院

吉良氏の菩提寺で、その墓所がある。

世田谷代官屋敷

江戸時代、彦根藩世田谷領20ヵ村の代官を務めた大場家。その主屋と表門が残っている。

世田谷城のアクセス・所在地

所在地

住所:東京都世田谷区豪徳寺2丁目 [MAP] 県別一覧[東京都]

鉄道利用

東京急行電鉄世田谷線、宮の坂駅下車、東南へ徒歩6分。「世田谷城阯公園」が空堀と土塁が残るエリア。

マイカー利用

首都高速3号渋谷線、池尻出口から、西へ約15分。または、首都高速4号新宿線、永福出口から、南へ約15分。世田谷城阯公園は駐車場無し。

城ファンの気になるところ (3)

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    豪徳寺山門の脇の土塁。世田谷城跡公園の空掘り。住宅地のためほとんどの遺構が破壊されているが、上記だけかろうじて残っている。

    ( 田村靖典)

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    室町時代初期、 鎌倉府の支えとして 足利氏一族の吉良治家の築城。吉良氏は世田谷御所様・吉良殿様 と呼ばれ権勢を誇っていたが。 戦国期には、台頭著しい北条氏の傘下に入っていた。天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐の時、北条氏が降伏した為、 その時の当主・氏朝は豊臣に降伏し開城。 世田谷城は二百年の歴史に幕を下ろし、廃城となった。城壁の石材等は徳川氏の江戸城修築の材となったと言われる。

    ( 田村靖典)

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    世田谷城の城域については諸説あり、土塁と堀の一部が残っている公園を中心としたエリアを詰の城、豪徳寺のエリアを吉良氏館と推定されている。

    ( shirofan)

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