秀吉の大坂城本丸、中ノ段の石垣

秀吉の大坂城本丸、中ノ段の石垣

秀吉の大坂城本丸は、「詰ノ丸」「中ノ段」「下ノ段」の三段となっていた。このうち、昭和34(1959)年に発見されたのが、「中ノ段」の石垣だ。現在の徳川大坂城の本丸から地下7.3mにある(まれに特別公開がある)。この写真は特別に地下に降りて撮影させてもらったもので、おそらくは史上初の高解像度写真だ(元データは8,000万画素)。石垣の段数は、レーザー測量図を拝見するとさらに2段ほど地中に続くようだ。

中ノ段というのは、豊臣期大坂城の曲輪の名称で本丸を構成する石垣。本丸は、詰ノ丸、中ノ段、下ノ段の三段の曲輪で構成されていた。

豊臣大坂城中ノ段石垣が見られるマンホール
大阪城本丸にある巨大なマンホール。いや、ヒューム管の上部と言うべきか。ここに昭和34年発見の石垣が見学用に保存されている。特別公開時はこの蓋が開けられ、7m下の豊臣大坂城中ノ段石垣を望むことができる(特別公開時は上から覗くのみで下へ降りることはできない)。

豊臣大坂城中ノ段石垣
特別公開時に見られる風景。実際は約7m地下にあるので暗く、目を凝らして見ることになる。特別公開時に撮影するには、穴の中の暗さに対応するためカメラのISO感度を上げて撮影すると良い。レンズは望遠があると良く、おおよそ80〜100mm(35mm換算)でこのアングルとなる。

中ノ段の井戸を下から
特別に地下に降りて撮影させてもらった時に、逆にヒューム管の下から上を写した風景。機材を持ちハーネスを着けての垂直7mの上り下りはそうそう簡単ではなかったが、高精細の遺構写真を遺すことができた。関係者の皆様に御礼申し上げます。

2022年1月からは、7m以上の地下に降りる際は、新たな法律により事前に有資格者による酸素の有無をチェックと、降りる際のハーネスの装着が義務付けられた。この豊臣石垣は、地下に水が溜まっていないことから、なんらかの風が通っている可能性が考えられるらしく、今のところ酸素はあるらしい。

(文・写真=岡 泰行)

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