大坂築城丁場割図の大手門付近

『大坂築城丁場割図』には「大手土橋申年石垣ヲ辰年壊覚」とあり、また同所に「11間松平土佐守」と記載がある。これはもとは申年(徳川大坂城の石垣第一期工事の元和6年(1620)の干支)に、10間を深尾山城守が石垣を築き、辰年(寛永5年(1628)の干支)に石垣が壊れ、11間を松平土佐守が担当して築き直したということになる。

何気に関連ありそうな記事