太閤下水(背割下水)

太閤下水(背割下水)

秀吉の都市計画で造られた商業エリアがある。現在も歴史を知る人からは、大阪のど真ん中といわれる、北浜、淀屋橋、本町、堺筋本町を囲った大きな四角形のエリアのことで、これを船場島之内という。当時は新しく城下町を造る過程で先に町割(区割り)を行い水道を設計した。こういった痕跡は、例えば岩村城下でも見られ4本の水道(水路)をひいて後、城下町を形成していった。大阪では現在でも船場島之内のビジネス街に突如して路地があるが、これは背割下水の痕跡で今は暗渠(地下の水路)となっている。

太閤下水は、背割下水(せわりげすい)といって、城下町で見られる屋敷裏の溝(水路)のこと。つまり通りに面して町屋が造られ、その裏手はお互いの屋敷が背を向けて、間に背割下水が流れているといった構造だ。越前大野城下でも背割下水の痕跡が随所に見られるが、大阪はすっかり都市化してしまっているので、すべてが地下にあり普段は目にすることができない。

その大阪城下の背割下水の公開施設が、市立南大江小学校の西側にある(ページ冒頭の写真・大阪市中央区農人橋1丁目3-3)。上から覗くことができる窓が設置されていて、いつでも中が見られるのだが、事前に申し込むと地下の見学施設に降りることができる。

太閤下水(背割下水)内部

太閤下水(背割下水)の内部(地下)。太閤下水は大阪市内の至るところで現在も使われているが、この公開施設のある場所が幅2m24cm×高さ2m20cmで最大級の大きさ。石垣はその矢穴から明治期のもので目地が漆喰で固められている。水は上町台地から東横堀川に向かって、自然の高低差を利用し、かなりのスピードで流れている。見学は実際に下水に降りることはできず、地下の公開スペースから乗り出して下水を覗くのだが、素人が降りると、まんがいつ流されでもしたら、先の方で大きく沈んでいるところがあり死亡間違いなしなのだとか。

太閤下水(背割下水)内のガスを計測
下水といっても生活排水なのでさほど臭くはないが、見学の際は、ガスが発生していないかを、職員の方が計測して後、安全であれば地下に降りることができる。

下記図面は大阪市建設局のサイトで調べられる太閤下水と、その規模。懐中電灯で照らしているのは、小さな下水口でこれも太閤下水。

太閤下水の図面
太閤下水
太閤下水(背割下水)の路地
太閤下水の路地。背割下水の跡はこうして路地となって残っている場合がある。余談ながら公開施設前の道は熊野街道で、900m南下すると(徒歩12分程度)空堀商店街付近に、大阪城空堀の段差「田島北ふれあい広場」がある。

太閤下水の路地
太閤下水の路地
所変わって大阪市中央区本町1丁目付近の太閤下水の路地。道路下に太閤下水が流れている。本町通の1本北に約225mの路地で、途中、案内板も2箇所に設置されている。

下記サイトでより詳しく紹介されている。

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