写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン

佐賀城の歴史と見どころ

佐賀城は、文治元年(1185)戦国期に龍造寺氏が築いた村中城を基盤に、鍋島直茂・勝茂父子が慶長13年(1608)から慶長16年(1611)に本格的に整備した平城だ。佐賀城と蓮池城と同時に築城された。当初は蓮池城と併存していたが、慶長20年(1615)の「一国一城令」により蓮池城が破却され、その資材が佐賀城に転用された。五層の天守を備え、本丸・二の丸・三の丸を中心に堀や石垣・土塁をめぐらせ、藩政の拠点として機能した。

江戸期を通じて城は、火災に幾度も遭い、享保11年(1726)の大火で天守と本丸御殿を失い、藩政の中心は二の丸に移った。さらに天保6年(1835)の火災では再建された二の丸も焼失し、10代藩主、鍋島直正は本丸御殿を再建、天保9年(1838)に完成させた。この御殿は幕末の藩政改革を担う舞台となった。直正が造らせた日本初の反射炉は、鉄製大砲を鋳造し近代産業化を担った。

明治維新後の明治7年(1874)佐賀の乱では城の建物の多くが失われたが、本丸は焼失を免れた。多くの建物が解体されていく中、御殿の「御座間」と「堪忍所」が残っていたが、大木公園に移築、地元の会館として使用されていたが、佐賀城に再び移築、復元されている。本丸の門である「鯱の門」と「続櫓」は、国の重要文化財に指定されている。

平成5年(1993)からはじまった発掘調査で、天保期の本丸御殿の礎石などが確認され、城の姿が明らかとなった。その成果をもとに平成16年(2004)、本丸御殿の一部が木造で忠実復元され、「佐賀城本丸歴史館」として開館した。さらに平成29年(2017)〜平成30年(2018)年の追加調査で水場や基礎構造の遺構も発見され、御殿の全体像が姿を現しつつある。今日、佐賀城は発掘と復元を通じて往時の姿を再現し、歴史と文化を伝える場として活用されている。

参考文献:

  • 日本の城 探訪ブックス『九州の城』(小学館)
  • 佐賀市地域文化財データベース『さがの歴史・文化お宝帳』
  • 『佐賀市歴史探訪48 本丸御殿と御座間と堪忍所』
  • 『佐賀県立佐賀城本丸歴史博物館』公式サイト

佐賀城の撮影スポット

佐賀城の鯱の門は、西向きのため撮影は午後が良いが、御殿の玄関は東向きだ。鯱の門は大棟に載る鯱瓦、石垣の重厚感をしっかり撮影しておきたい。城跡内をつぶさに歩くことを考えれば、時間は使うので、できるだけ順光で撮影できるよう効率的に訪問時間を設定したい。

佐賀城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、佐賀城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

佐賀城の周辺史跡を訪ねて

龍造寺隆信誕生地

享禄2年(1529)2月25日、龍造寺隆信は水ヶ江城で生まれた。龍造寺家は村中と水ヶ江の二系を持ち、のち隆信は宗家を継いで勢力を広げる。誕生地には胞衣を納めたと伝わる「袍衣塚(えなつか)」が残り、戦国大名の出発点を物語る。

築地反射炉跡

嘉永3年(1850)、佐賀藩主鍋島直正が日本初の実用反射炉を築いた地。蘭学者らの知と在地の技が結集し、嘉永5年(1852)には鉄製大砲の鋳造に成功した。近代産業化の扉を開いた拠点として、技術史の記憶をいまに伝える。

直鳥城跡

神埼市千代田町の低平地に営まれた中世城館で、環濠と島状の小区画が巡る独特の縄張が知られる。発掘調査報告により堀や溝、掘立柱建物跡などが確認され、佐賀平野における環濠集落系城郭の様相を示す好例となっている。

吉野ヶ里歴史公園

国の特別史跡・吉野ヶ里遺跡の保存活用を目的に整備された公園。弥生時代の巨大環壕集落を復元し、物見や環壕など当時の防御と祭祀の空間構成を体感できる。遺跡は平成3年(1991)に特別史跡へ指定を受けた。

今山合戦場跡

元亀元年(1570)、大友勢の来襲に対し龍造寺方が今山で迎撃。鍋島信昌(のち直茂)が夜襲で大友親貞を破り、隆信の台頭を決定づけた合戦として知られる。古戦場は佐賀市大和町今山に伝承され、合戦碑が史を語り継ぐ。

戦国の記憶を抱く高傳寺鍋島家墓所

天文21年(1552)、鍋島清房の創建に始まる曹洞宗の古刹。境内には、龍造寺家および佐賀藩主鍋島家歴代の墓塔と石灯籠が整然と並ぶ。藩祖直茂・妻である陽泰院の墓も寄り添い、戦国から近世の系譜を今に伝える。

佐賀城の周辺おすすめ名物料理

「壱岐っ子」刺身など海の幸がとにかくおいしい日本料理屋。値段はやや高め。場所は佐賀市愛敬町で日曜が休み。ランチが安いところでは「割烹 夢咲」。場所はJR佐賀駅から北に500mほどで、魚料理が専門の小料理屋。

佐賀城観光のおすすめホテル

佐賀城近郊にホテルは少なく、JR佐賀駅周辺にホテルがある。

佐賀城のアクセス・所在地

所在地

住所:佐賀県佐賀市城内 [MAP] 県別一覧[佐賀県]

電話:0952-41-7550(佐賀県立 佐賀城本丸歴史館)

開館時間

城内は散策自由。「佐賀県立 佐賀城本丸歴史館」は無料(募金募集中)時間は9時30分〜18時。年末年始休館(12月29日~1月1日)。

アクセス

鉄道利用

JR長崎本線、佐賀駅下車、中島行バス15分「鯱の門前」降車、徒歩10分。

マイカー利用

九州横断自動車道長崎大分線、佐賀大和ICから南へ25分(約10km)、無料駐車場有り(119台・7時30分~21時)

【監修者プロフィール】 岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。

佐賀城:城ファンたちの記憶

実際に佐賀城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。

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    初めは鍋島氏の主君である龍造寺隆信の「村中城」だったらしいけれど、鍋島氏によって大改修され、藩は明治時代まで存続したそうだよ。

    カール君)

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    本丸一帯は発掘調査が行われており、本丸御殿の礎石も露出しておりその規模の大きさがよくわかる。鯱の門にパンフレットがあります。

    林田公範)

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    肥前三十六万石、鍋島氏の居城であった佐賀城であるが、明治七年の佐賀の乱により大半は灰燼と化し、建物遺構は鯱の門のみ。とはいえ、その風格はなかなかのものであり、渡櫓で連結されていたと思われる天守台に五層の天守がそびえていた頃を想像すると胸が高まる。

    林田公範)

城の情報

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