天正12年(1584)、龍造寺隆信 vs 有馬晴信・島津家久の合戦がありこれを「沖田畷の戦い」という。発端は、龍造寺氏に反旗を翻した有馬晴信の征伐で、晴信が島津氏に救援を要請、島津氏の武将川上忠堅に龍造寺隆信は討ち取られた。大阪の四條畷など、「畷(なわて)」とついている地名は、湿地帯に伸びる細い道を指す。当時、森岳城(島原城)付近はそういった地形で、沖田畷古戦場は、交通の要衝だったのだろう。沖田畷古戦場跡には、龍造寺隆信の供養塔が建っている。
シリーズ『城の歴史旅』 城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見 …
シリーズ『映像で観る城景』 「映像で観る城景」は、日本の城や歴史遺跡の魅力を美麗に撮影する動画シリーズです。ぜ …
国宝5城をテーマにしたフレーム切手『国宝の城 2020』 日本の美しい風景をセットにした「フレーム切手2020 …
大阪城は、大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財と壮大な石垣を有する。秀吉が築いた豊臣大坂城を包み込むように…
目に見えるものを中心に、姫路城大天守内部の地下から6階までの見どころを、特別公開時などの写真を交え、詳しく見てみる。水五門から始まるその…