川島城の歴史・見どころ

川島城の歴史

川島城は、吉野川中流域の右岸に臨む城山一帯に築かれた城。北麓には船着き場に適した湾入地形があり、南麓には伊予街道が通ることから、水運と陸上交通の双方を押さえる要衝に位置した。築城を直接示す資料は残っていないが、天正元年(1573)に現在の川島町桒村の植桜一帯で起こったとされる上桜合戦で功績を挙げた川島兵衛進惟常が、三好氏から領地を与えられて築城したと伝わる。南方に位置する上桜城に対し、「北の城」とも呼ばれた。

天正7年(1579)、川島兵衛進は岩倉合戦で勝瑞方の諸将とともに討死し、その子孫は備中へ逃れた。川島城が再び重要な役割を担うのは、蜂須賀氏の阿波入国後となる。天正13年(1585)、蜂須賀家政は家老の林能勝に川島城を修築させ、麻植郡内で五千五百四十石と兵三百を与えて城番とした。川島城は徳島城を支える阿波九城の一つに位置づけられ、阿波西部や麻植・名西山分に対する押さえを担った。

林能勝は蜂須賀正勝に従い、軍略や築城にも携わった人物とされる。九州征伐や朝鮮の役に出陣し、大坂の陣にも養子勝行、実子吉時らを伴って従軍した。しかし大坂の陣で勝行が陣中で乱心し、その所領は没収された。元和元年(1615)の一国一城令によって川島城は廃城となり、寛永15年(1638)に他の諸城とともに取り壊された。

廃城後も城山には藩の役所が置かれ、川島は郷町として発展した。慶応元年(1865)には蜂須賀斉裕が城山に測練所を置き、洋式訓練を実施。明治2年(1869)には徳島藩の西民政所が置かれ、その後も阿波麻植郡役所などが設けられ、地域行政の拠点として利用された。

川島城の特徴と構造

川島城は、吉野川中流域右岸に面した標高40mの城山と、これに近接する岩山の古城山に築かれた。北麓は船着き場に適した湾入地形となり、南麓には伊予街道が通る。城域は約500m×200mで水陸交通を押さえる立地を特徴とする。

古城山の頂部には本丸跡とされる「岩ノ鼻」があり、その東側の一段低い場所に二の丸、三の丸の跡が続く。『阿波国郡村誌』を引用した『日本城郭大系』によれば、本丸は約340坪、二の丸と三の丸はそれぞれ約300坪の平坦地とされる。古城山の周囲は削られて断崖状となり、眼下には吉野川が流れる。

本丸付近の岩山は明治末期から大正初年にかけて青石が切り出され、吉野川の堤防工事に利用されたため、地形が大きく改変された。一方、現在も本丸、二の丸、三の丸の痕跡とみられる地形が残り、往時の曲輪配置をうかがうことができる。

川島城の整備状況

川島城では現在、本丸、二の丸、三の丸の痕跡とみられる地形が残り、二の丸、三の丸は川島公園として整備されている。城跡東側には昭和56年(1981)、勤労野外活動センターとして鉄筋コンクリート造の模擬天守「川島城」が建設された。耐震診断で3階・4階部分が耐震基準を満たしていないことが判明し、現在は閉館している。

参考文献:

  • 『日本城郭大系15』(新人物往来社)
  • 「川島城址」『藍のふるさと 阿波』(文化庁・日本遺産)
  • 「川島城休館について」(吉野川市)

川島城周辺の観光スポット・史跡めぐり

上桜城

川島城とあわせて訪ねたい篠原長房の居城。天正元年(1573)頃の上桜合戦の舞台となり、この戦いで功績を挙げた川島兵衛進惟常が領地を与えられ、川島城を築いたと伝わる。本丸と西の丸を中心とする山城跡で、県指定史跡となっている。

川島城周辺グルメ・名物料理

2000年代には、模擬天守内に食堂があったが、今は閉館とともに幕を閉じている。

川島城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:徳島県吉野川市川島町

県別一覧:[徳島県の城]

電話:0883-22-2226(吉野川市 産業経済部 商工観光課)

アクセス

鉄道利用

JR徳島線「阿波川島駅」下車、徒歩約8分。

マイカー利用

徳島自動車道「土成IC」から約13分(8km)。川島城無料駐車場有り。

地図