最終更新日:2025年7月1日
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
本城の秋田城。秋田城はJR土崎駅から8分のJR秋田駅下車、北へ徒歩5分。
JR秋田駅まで出て、きりたんぽ鍋、しょっつる、はたはた等、秋田ならではの郷土料理「お多福」などいかが?120種以上の「がっこ(秋田の漬物)」も味わえる。
住所:秋田県秋田市土崎
県別一覧:[秋田県の城]
JR奥羽本線、土崎駅下車、徒歩2分。
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年より日本各地の城郭を訪ね歩き、取材と撮影を続けている。「先人たちの知恵とおしゃれ心」をテーマに、四半世紀にわたり城のたたずまいと土地の風土を記録してきた。撮影を通して城郭に宿る美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に残る歴史の息づかいを伝えている。作品は書籍、テレビ、新聞など多くのメディアで紹介され、城の美しさと文化を広く発信している。
湊城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。
現在の状況は跡形もありませんが「土崎港祭り」の盛り上がりぶりからいっても、戦国時代の安東氏への思いが伝わってきてます。城跡としてはほとんど残っていないので、7月20~21日に行われるこの祭りにきてもらえば一番良いですね。
記録:荒浪小太郎 1998
中世湊安東氏居城の城跡。湊安東氏→秋田城之介実季が居城としたところで、現在は土崎神明社になっています。土崎神明社の祭りである「土崎港祭り」は、江戸時代より続く伝統の祭りで、最近では山車に飾られる人形には、安東氏ゆかりの題材をとった山車が飾られています。
室町時代、南部氏に本拠地の津軽地方を奪われた「日の本将軍」安東氏の一族は、男鹿半島から秋田県中央部を地盤に移し、土崎湊に湊城を建設しました。その後、本家筋である檜山安東氏との抗争→合併→抗争を経て、安東家統領となった秋田城之介実季の居城となりましたが、関ヶ原の合戦後、安東(秋田)実季が常陸へ国替えとなり、佐竹義宣が代わりに秋田に転封したとき、一時居城となりましたが、久保田城を築城してから廃城処分となり、跡地には神社(土崎神明社)が建てられました。しかし、港町でもある土崎湊はその後も北前船の寄港地となり、本城のある久保田よりも栄えたといいます。
湊城でのひとときを、そっと記録に残す
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大和郡山城は天正8年(1580)、筒井順慶が本拠を筒井城から郡山へ移したことに始まり、豊臣秀長や増田長盛の改修で城郭が整えられた。奈良盆地北西端、西ノ京丘陵南端に築かれた平山城で、三重の堀と石垣が城の骨格を形づくる。復元追手門や天守台、桜の景観も見どころ。このページでは、その歴史や構造、主な遺構や見どころを紹介する。
竹田城は嘉吉年間(1441〜1443)、山名持豊の被官・太田垣氏により築かれたと伝わる山城。播但街道と山陰街道を押さえる古城山に築かれ、三つの尾根に連なる曲輪と野面積み石垣が壮観だ。雲海に浮かぶ景観でも知られる。このページでは歴史、縄張と石垣、雲海撮影の見どころを豊富な写真とともに紹介する。
安土城は天正4年(1576)に織田信長が築いた居城で、天下統一を目指す拠点となった。観音寺城の尾根続きに築かれ、全山に石垣を巡らせた大規模な山城である。現在は天主台や石垣、大手道などの遺構が残り、往時の構造を体感できる。このページでは安土城の歴史と特徴、発掘調査の成果を豊富な写真とともに紹介する。
現在の状況は跡形もありませんが「土崎港祭り」の盛り上がりぶりからいっても、戦国時代の安東氏への思いが伝わってきてます。城跡としてはほとんど残っていないので、7月20~21日に行われるこの祭りにきてもらえば一番良いですね。
記録:荒浪小太郎 1998
中世湊安東氏居城の城跡。湊安東氏→秋田城之介実季が居城としたところで、現在は土崎神明社になっています。土崎神明社の祭りである「土崎港祭り」は、江戸時代より続く伝統の祭りで、最近では山車に飾られる人形には、安東氏ゆかりの題材をとった山車が飾られています。
記録:荒浪小太郎 1998
室町時代、南部氏に本拠地の津軽地方を奪われた「日の本将軍」安東氏の一族は、男鹿半島から秋田県中央部を地盤に移し、土崎湊に湊城を建設しました。その後、本家筋である檜山安東氏との抗争→合併→抗争を経て、安東家統領となった秋田城之介実季の居城となりましたが、関ヶ原の合戦後、安東(秋田)実季が常陸へ国替えとなり、佐竹義宣が代わりに秋田に転封したとき、一時居城となりましたが、久保田城を築城してから廃城処分となり、跡地には神社(土崎神明社)が建てられました。しかし、港町でもある土崎湊はその後も北前船の寄港地となり、本城のある久保田よりも栄えたといいます。
記録:荒浪小太郎 1998